「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

構造は同じ、静岡空港と八ッ場ダム

2010-11-07 21:39:00 | ノンジャンル
コンクリートから人へという民主党の公約の象徴的な存在であった八ッ場ダムの建設ストップが揺らいできた。
中止を前提とした再評価作業をしないということだという建前論とは別に建設推進の勢力は馬淵大臣の変遷に期待を膨らませている。

建設ありきで数字を改ざん。
静岡空港の需要予測が雨天補正と称する北海道需要の過大化による事実上の改ざん(http://hp1.cyberstation.ne.jp/shizuoka/mizumasi.html)であったことは今日の需要の結果を見れば明らか(http://navy.ap.teacup.com/hikaritoyami/616.html)であるが、これと同じことは他の公共事業でも当然のごとく行われている。
その一つがダム事業である。
11月2日の毎日新聞のコラム「イカサマを暴いたもの」に載っていた職を賭した学者「関良基」氏の告発ブログ(http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/7f66a9a9ad8f05e3eaa33ecfe147d39c)を見れば、そのトリックが分かる。しかも、空港のとき同様に検証に必要な情報を出し渋っているのも変わらない姿勢だ。

このように批判的事実でさえ公にされるというのはネット時代の恩恵であるが、一方で多すぎる情報に国民の認識力が付いていけないことも事実である。

おそらくこのままでは静岡空港と同じ道をたどるだろう。

民主主義国家が国民の総体としての能力に依拠するとすれば、これに対抗している善悪はともかく頭脳明晰な利益共同体たる官僚集団に勝てる道理がない。
だからこそ、国民の負託を受けた強力な政治主導での国家構造の変革が必要だったはずだ。
だが、民主党は時間を置きすぎて全てが後手後手に回り、今やかつての自民党と何が違うのかというありさま。

静岡県は石川県政とそれに続く川勝県政で失われた10年がさらに延長されいまや国民生活にとっては無為無策状態。
地方はそれでもいいが、国家間の権謀術数渦巻く中にあって、国はそういうわけにはいかない。
まさかとは思うが、このダム問題への姿勢は民主党の政治姿勢の試金石と見て、だめならそれこそ三行半をたたきつけるべきだろう。
さもなくば、失われた4年どころでは済まない事態となる。