まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

チャイナタウン/新雑句雑感(243)~プロローグ5の終わり

2017-10-28 14:26:13 | 新雑句雑感

*癒しの音楽付

カラオケ館出でしばかりに後の月(今年は11月1日)  十日目の死の遠からず後の月  百鳥てふ俳誌をもとめ後の月  ふるさとの四字の空洞後の月  廣太郎句集にある闇後の月  後の月正気の沙汰といふことば  窓を開ければ来世のわたしと後の月  振り仰ぎ足踏み鳴らす後の月  四方より芭蕉の足音後の月  通販の念珠ブレスレット後の月  母と子の競泳後月滴らす  立ちションの誰かと見れば後の月  後の月またも駅弁いらんかね  チャイナタウンと海のさざめき後の月

 

リラクゼーション・ミュージック 究極の癒し 

https://youtu.be/VySNn0Q15Io?t=22


【俳句の此岸】元祖おたくたちが身に着けた《戦争をしない男の服》/私とは誰か~プレおたく世代の現在(36)

2017-10-27 07:03:00 | エッセー・評論

わたしの1970年代前半の上京から、すでに40年以上の年月が過ぎ去った。とにかく、10年区切りの各年代の変貌ぶりが凄まじい。中でも、当初の70年代から80年代への変化がいちばん大きかった。60年代末のウッドストックに集約されたニューロックは、70年代の後半には跡形も無く消滅し、パンク・ニューウェイブという突然変異めいた異貌の音楽表現が出現し、80年代前半には何の痕跡も残さず消え去った。そんな中で、ファッションの世界に一陣の涼風のように現れ、街を彩ったデザイナーズブランド(キャラクターズ。略してDC)は時代の唯一の収穫だった。その担い手が70年安保を闘った【団塊の世代】であったことも身近さを感じる理由だった。ただし、その創造物(ファッション)を身に着けて街を闊歩していたのは、わたしたちを足蹴にしてのし上がった【元祖おたく世代】であったことは不快極まりないことであった。丸井のバーゲンの列に並ぶ時、わたしは30歳を少し超えていたが、彼らは20歳前後のシャキシャキの若者だったのだ。このDCブランドの売りのひとつに、ダブダボの大よそ当時の大都市の日常生活にそぐわない、アンチ機能的な上下服があった。ニューウェイブ音楽の中心だったテクノポップのような無機質な全体性ではなく、実に豊穣な色彩感に溢れていた。70年代までの否定精神は、もはやどこにも無かった。これを指して、ある新聞コラムは【戦争をしない男の服】と表現していた。確かに、80年代という時代はベトナム戦争(~1975)も終結し、第二次世界大戦からの《第二の復興》とも言うべき次なる世界の有り様を模索する時期に当たっていた。その割には、この時代の担い手は全ての事柄に対してあからさまに醒め切っていて、彼らがこれらのブランド服を身に付ける時は、まるで能面のような表情をしていた。1970年の変革の破綻という泥沼を見ながら、何の展望もなく立ち尽くすことを余儀なくされていた私たちポスト【団塊の世代】には、理解の範囲を越えていた。もはや、何事も完結し、変化の必要はどこにもないとでも言いたげに映った。・・・《続く》

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【型を超える】カラオケの空(から)と定型言語の再生/新俳句入門(20)

2017-10-26 08:00:06 | 新俳句入門

9月の末から、ずっと気にかかっていた総選挙がやっと終った。終ったが、終ったなりにイロイロと新たな問題が噴出し始め、キリがない。それより、カラオケバトルの年間チャンピオン決定戦が重なって、こちらは偉大な収穫があった。カラオケが始まったのは、私の記憶では1970年代の後半である。当時、私は音楽業界の裏方志望だった。周囲のプロたちはカラオケの歌唱の《型》にはまりきれない、未熟なアマチュア(素人)性を嫌っていた。・・それから40年もの歳月が過ぎ去り、まだ10代のカラオケ《超おたく》たちの歌声に聞き惚れている。席巻されていると言っていい。そこでは歌唱に止まらない、俳句を含む《定型性》の全体の隅々まで【うた・こえ】が浸透しているからだ。謂わば自分とは違う声が出ている。彼女たちの表現(カラオケ)空間をくまなく埋め尽くす肉体を持った言語の一言一句に、定型の死としての《俳句》の日常を生きる自分自身を密やかにぶつけてみる。その痛みがなぜか痛快ですらある。・・・《続く》

「竹野留里 カラオケバトル」の画像検索結果

竹野留里(高二) 『LOVE IS OVER』 2016 

https://youtu.be/v4o5QN8fdaM?t=44


【型を超える】息を切らし指を冷やしすぐに会いに行くから・・10代カラオケバトル集/J-POP論・POP詩の宇宙

2017-10-25 16:20:19 | J-POP論/POP詩の宇宙

鈴木杏奈 『WHITE LOVE』 2016 

https://youtu.be/m7JVD88TNTg?list=RDv4o5QN8fdaM&t=130

天使がくれた 出逢いは

あの空を 突き抜けて

永遠に輝き続ける

 

竹野留里 『涙そうそう』 2016

https://youtu.be/gYYnLIro6k8?t=156

あなたの場所から 私が見えたら

きっといつか会えると信じ

生きてゆく

 

堀優衣 『ORION』 2016

https://youtu.be/ewRaqR1Q_Yg?t=37

伝えたい言葉を 繰り返すのに

また声にならない

 

佐久間彩加 『やさしいキスをして』 2016

https://youtu.be/gAidij1glE8?t=111

なにもかも放り出して

息を切らし 指を冷やし

すぐに 会いに行くから

 

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【俳句の此岸】ダブダボ服の中の空虚・・新しい実存に羨望の眼/私とは誰か~プレおたく世代の現在(35)

2017-10-24 09:26:42 | エッセー・評論

1980年代に入っても、私は70年代のままだった。パンク・ニューウェイブ音楽やデザイナーズ・ブランド(キャラクターズ)が目の前に現れても、私は私のままでいられたということは、70年代が80年代に優っていたと言えるのかもしれない。しかし、この80年代という《現在》は、なかなか魅力的な時代だったのだ。その理由は、自分よりわずか10年にも満たない年の差の所謂若者たちが、まるで未来世界からやって来たような異質な感性を発散していた。彼らは、何故だかわからないがもの凄く自由で、何より私が良くも悪しくも青春時代を送った前時代から完全に切れていたからだ。まだ30歳になるかならないかの私は、完全に彼らの世界から浮いてしまっていて、その意味でもはや若者ではなかった。それでは、私とはいったい何だったのか?そして、彼らはいったい誰だったのか?・・・《続く》

「世紀末の地球儀 坪内稔典」の画像検索結果

1987年刊の坪内稔典著『世紀末の地球儀』はまだ未読。まさか、前著(『過渡の詩』『俳句の根拠』)からの10年の歳月を体感していないわけがない。60年代どころか70年代も消し飛んでしまったのが80年代だ。俳句などどこにも在りゃあしなかった。