船焼き捨てし/船長は//泳ぐかな 高柳重信 *3行目の空間は、21世紀の新たな言語表現の在処を指し示す。
今日は何と私の誕生日である。何歳になったか・・などとても言えたものではない。元々自分の誕生日にあまり関心は無かったのだが、こうも人生が押し詰まって来ると多少は気になり始めることになる。私は高齢単身者の部類に入るのだろう。父も母もすでにこの世にいないのだから、自分が高齢者であろうが単身者であろうが全く無関係である。もちろん、子どもも存在しない。後は自分のヒトゲノムをどう処理してゆくかである。さて、最近嵌っているカラオケバトルやその亜流のTV番組がある。私はその草創期の1970年代世代だが、ここに来てカラオケ文化は国境を越えて、全世界に拡大している。21世紀を迎え、カラオケの世界には我々一般人の中から新種の【天才】たちが出現している。カラオケとは空(カラ)・オーケストラ(オケ)の融合によって生まれた造語である。考えてみると、この存在形態は何とも凄いことである。芭蕉らが和歌の七七を切り捨て、連歌の発句を自立した言語表現として甦らせた発想とどこか似ている。否、酷似していると言うべきだろう。芭蕉らによる五七五の《17音》としての【歌】の再構成と、現代のカラオケ文化における【カラオケマシン】という歌唱の《型》の定式(物質)化は、凄まじいまでの親近性を持つ。こんなことを考えるのは私だけなのだろうか。・・・《続く》