1日の朝刊には府教委の管理職人事が掲載される。退職して10年余りとなると大多数が知らない人であるが長年の習性で一応目を通す。今年は3人の方だけになった。AさんとTさんは再任用で務めていた校長の職を退かれる。Aさんとは村野中学校の時に同勤し、信州白馬方面の修学旅行で私のクラスの副担としてお世話になった。Tさんとは同勤していないがサッカー部の顧問として試合でよく戦った。「実直」という言葉がピッタリの方だった。
そして、二中に転勤して5年目に新任で来られたSさんが磯島小学校からこの4月から高陵小学校と中宮北小学校が統合し、新しくスタートした「禁野小学校」の校長に転任された。
彼が教員を目指した頃は、採用枠が非常に少なく今とは比較にならないくらい狭き門だった。職場でも数年新任を迎えていなかったのでフレッシュであった。狭き門を突破してきただけに意識も能力も違うと刺激を受けた。私が二中を出た後もサッカー部の顧問として刺激をもらった。
2つの小学校が統合された新しい学校の運営は目に見えない苦労が多いと思う。それぞれの学校には長い間に培われてきた文化のようなものがある。それらが学校運営のいろいろな場面で顕在化してぶつかる。それを調和させて新たな文化をつくりあげるのには時間がかかる。
加えて、令和8年度新校舎開校・禁野小学校における「新しい学校づくり」
(https://www.city.hirakata.osaka.jp/cmsfiles/contents/0000037/37515/kinya-atarashiigakkoudukuri.pdf)
を見ると、新しいモデルの学校づくりという前例の極めて少ない取り組みを推進していかなければならないようだ。
やりがいもあるが苦労も多い。頑張ってもらいたい。
今日の朝刊の小倉孝保さんの「金言 kin-gon」はアインシュタインの歩みにふれて新たにスタートする人たちに向けてのエールであった。
締めくくりの部分、同感したのでエール代りに紹介します。
アインシュタインによると、「失敗したことのない人間は、挑戦したことのない人間」である。失敗はチャレンジの証し。むしろ胸を張っていい。無駄な寄り道と思えた時間が、その後の人生を豊かに彩ることも少なくない。
そのためにも第2、第3希望からのスタートでも、腐らないことが大切だ。特許局に就職したアインシュタインが研究意欲を失っていたら、物理学の進歩は随分、遅れていただろう。
リンカーン元米大統領は言っている。「あなたが転んだことに関心はない。そこから立ち上がることに関心があるのだ」。倒れたら立ち上がり、すりむいた膝をなでながら歩み出そう。失敗や挫折の真価を決めるのは、その後の生き方次第である。(論説委員)
そして、二中に転勤して5年目に新任で来られたSさんが磯島小学校からこの4月から高陵小学校と中宮北小学校が統合し、新しくスタートした「禁野小学校」の校長に転任された。
彼が教員を目指した頃は、採用枠が非常に少なく今とは比較にならないくらい狭き門だった。職場でも数年新任を迎えていなかったのでフレッシュであった。狭き門を突破してきただけに意識も能力も違うと刺激を受けた。私が二中を出た後もサッカー部の顧問として刺激をもらった。
2つの小学校が統合された新しい学校の運営は目に見えない苦労が多いと思う。それぞれの学校には長い間に培われてきた文化のようなものがある。それらが学校運営のいろいろな場面で顕在化してぶつかる。それを調和させて新たな文化をつくりあげるのには時間がかかる。
加えて、令和8年度新校舎開校・禁野小学校における「新しい学校づくり」
(https://www.city.hirakata.osaka.jp/cmsfiles/contents/0000037/37515/kinya-atarashiigakkoudukuri.pdf)
を見ると、新しいモデルの学校づくりという前例の極めて少ない取り組みを推進していかなければならないようだ。
やりがいもあるが苦労も多い。頑張ってもらいたい。
今日の朝刊の小倉孝保さんの「金言 kin-gon」はアインシュタインの歩みにふれて新たにスタートする人たちに向けてのエールであった。
締めくくりの部分、同感したのでエール代りに紹介します。
アインシュタインによると、「失敗したことのない人間は、挑戦したことのない人間」である。失敗はチャレンジの証し。むしろ胸を張っていい。無駄な寄り道と思えた時間が、その後の人生を豊かに彩ることも少なくない。
そのためにも第2、第3希望からのスタートでも、腐らないことが大切だ。特許局に就職したアインシュタインが研究意欲を失っていたら、物理学の進歩は随分、遅れていただろう。
リンカーン元米大統領は言っている。「あなたが転んだことに関心はない。そこから立ち上がることに関心があるのだ」。倒れたら立ち上がり、すりむいた膝をなでながら歩み出そう。失敗や挫折の真価を決めるのは、その後の生き方次第である。(論説委員)