先日のブログで、漢字の書き順について、小2の孫や大学時代の友人原田君の年賀状の内容を絡めて書いた。その中で私の小学校時代についてもふれた。そこに登場したのが「文学士 松本徳巳」先生。忘れ得ぬ先生の1人であるのでこの機会に思い出話に付き合っていただく。
73年の人生の中でたくさんの教師に出会ってきた私だが、通知表などの担任欄に、学位と氏名のセットのゴム印を押した人は松本先生唯一人である。小学校3年生で担任してもらったが、通知表の【担任氏名 文学士松本徳巳】を目にした時「他の先生とは違う特別な先生なのか?」という驚きで、通知表の中身より「文学士松本徳巳」にみんなの関心が集まった。リズミカルに言えるので分からないまま「ぶんがくし まつもと とくみ」と呪文のようにみんなで唱えた。
松本先生はスパルタ教師であった。「アメとムチ」という言葉があるが、先生の場合は「アメ」無しの「両手にムチ」という感じだった。子ども的には、感情が表に出るトランプ型のスパルタは動物的に適応できるが、松本先生はプーチン型で冷徹に罰を与えるのでどうしようもない怖さがあった。
その日常の教育スタイルと「文学士松本徳巳」とのギャップに皆がインパクトを受けたことは確かだった。以来、仲間内では「文学士が来たぞ!」という具合に先生のことを呼ぶようになった。そして私たちの担任を終えたら転勤した。これでスパルタ教育から解放されたと喜んだのも束の間、4年生、5年生と持ち上がりで今度は「アメとムチ」を使い分ける女先生が担任となった。(^^♪恐怖は続くよどこまでも♪だが、まだ先生が存命中なので思い出話は後日に。
松本先生が再び話題にのぼって来たのは6年生の時。「文学士が文中にいるらしい」と誰かが言った。文中というのは私たちが進学する文岡中学校の略称である。今と違って情報のない世界で暮らしていた私たちに、この情報はインパクトがあった。私達に動揺が走ったのは言うまでもない。しかし、情報提供者は「今は、すごくおとなしいみたいだ」と告げた。半信半疑で入学したが、音楽の教師として私たちの前に現れた「文学士松本徳巳」先生は別人のようだった。そして、中学3年生の時、再び担任として関わることになる。これも不思議な巡り合わせだ。教育スタイルは変貌したが、担任名の「文学士松本徳巳」は健在だった。
漢字の書き方で、先生や親をやきもきさせた証拠を小学3年生の通知表からお見せして思い出話を終わりたい。
「学習意欲はあるが、常に消極的であまりおもてに立った活動はされない。理解力も時間的におそく、稍々(やや)不確実。全体的に粗雑で根気がないようである。特にノートの使い方、書写能力に乏しいようである。今後の努力を期待します」
指摘されて50年余り「書き順無視」を貫き、還暦を過ぎてやっと「余録」の書き写しをしつつ先生の期待に応えようとしている。のかな?
73年の人生の中でたくさんの教師に出会ってきた私だが、通知表などの担任欄に、学位と氏名のセットのゴム印を押した人は松本先生唯一人である。小学校3年生で担任してもらったが、通知表の【担任氏名 文学士松本徳巳】を目にした時「他の先生とは違う特別な先生なのか?」という驚きで、通知表の中身より「文学士松本徳巳」にみんなの関心が集まった。リズミカルに言えるので分からないまま「ぶんがくし まつもと とくみ」と呪文のようにみんなで唱えた。
松本先生はスパルタ教師であった。「アメとムチ」という言葉があるが、先生の場合は「アメ」無しの「両手にムチ」という感じだった。子ども的には、感情が表に出るトランプ型のスパルタは動物的に適応できるが、松本先生はプーチン型で冷徹に罰を与えるのでどうしようもない怖さがあった。
その日常の教育スタイルと「文学士松本徳巳」とのギャップに皆がインパクトを受けたことは確かだった。以来、仲間内では「文学士が来たぞ!」という具合に先生のことを呼ぶようになった。そして私たちの担任を終えたら転勤した。これでスパルタ教育から解放されたと喜んだのも束の間、4年生、5年生と持ち上がりで今度は「アメとムチ」を使い分ける女先生が担任となった。(^^♪恐怖は続くよどこまでも♪だが、まだ先生が存命中なので思い出話は後日に。
松本先生が再び話題にのぼって来たのは6年生の時。「文学士が文中にいるらしい」と誰かが言った。文中というのは私たちが進学する文岡中学校の略称である。今と違って情報のない世界で暮らしていた私たちに、この情報はインパクトがあった。私達に動揺が走ったのは言うまでもない。しかし、情報提供者は「今は、すごくおとなしいみたいだ」と告げた。半信半疑で入学したが、音楽の教師として私たちの前に現れた「文学士松本徳巳」先生は別人のようだった。そして、中学3年生の時、再び担任として関わることになる。これも不思議な巡り合わせだ。教育スタイルは変貌したが、担任名の「文学士松本徳巳」は健在だった。
漢字の書き方で、先生や親をやきもきさせた証拠を小学3年生の通知表からお見せして思い出話を終わりたい。
「学習意欲はあるが、常に消極的であまりおもてに立った活動はされない。理解力も時間的におそく、稍々(やや)不確実。全体的に粗雑で根気がないようである。特にノートの使い方、書写能力に乏しいようである。今後の努力を期待します」
指摘されて50年余り「書き順無視」を貫き、還暦を過ぎてやっと「余録」の書き写しをしつつ先生の期待に応えようとしている。のかな?
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