娘の使っていた「新・国語要覧」(大修館書店)で俄仕込みの知識は得ていた。その生涯と誹風の変遷は大まかに5つに分けられる。
①貞門俳諧の時代 ②談林俳諧の時代 ③虚栗(みなしぐり)調の時代(蕉風模索期)
④さび追求の時代(蕉風確立期)⑤軽(かる)みの時代(蕉風円熟期)
そして、チラシの中の“芭蕉を「『人はひとりで生き、ひとりで死んでゆくよりほかに道はない』ことを究めるために苦吟した詩人」と、井上ひさしは考えて書き下ろした、芭蕉一門主流の歌仙三十六句にちなんで綴る全三十六景の一代記です。” というくだりで、5つの誹風の変遷を句とエピソードとをからめて紹介していく舞台であろうというイメージを勝手につくりあげていた。それにしても一人芝居でどうするのかな?タイトルの「芭蕉通夜舟」ってどういう意味なんだろう?という素朴な疑問も持ちながら幕の上がるの待った。
実際の舞台はイメージとはずい分違った。三十六景とはずい分多いなと思っていたが、十代の終わりから通夜舟に乗るまでの30年余りの年月と伊賀上野、京都、江戸、旅で訪れていく所などでの場面の1つ1つは寸劇といってよいほどの長さである。それら36の断片をつなぎ合わせるのは観客に委ねられている芝居である。
そうなると、芭蕉や俳句などへの素養の深さによって楽しみ方が異なるということになる。俳句に限らず表現者の目指すものは、何かを人に伝えることで、そのためにさまざまな苦労をするわけだが、相手に受け取られた時点で、表現者の“思い”とはズレてしまうという皮肉な結果になる危険性が常につきまとう。
芭蕉が一生かけて追求してきたものが死後、自分のもっとも忌み嫌った形で伝わってしまっているということを暗示して終わる幕切れは何ともいえない複雑な思いにとらわれた。その漠然とした思いを少しずつ整理できたのが会場で買い求めた“the座 №73”である。台風の余波で1日中雨模様の天気、バタバタ動いた3日間の反動もありじっくりと味わった。
歌仙三十六句なるものが、どういうものかということから始まった。冒頭に1998年10月11日、石川県山中温泉「かよう亭」での丸谷才一氏(玩亭)・大岡信氏(信)・井上ひさし氏(ひさし)の3人でおこなわれた歌仙「菊のやどの巻」が掲載されていた。
読んでもよくわからない。そもそも“歌仙三十六句”とはどういうものかということがわかっていなかった。これは同本の特集②芭蕉入門で小森陽一さんが説明してくれている。
「三十六句の形式の連句のことを歌仙と言います。百句を重ねるのが“俳諧之連歌”の基本で、略式として米字(よねじ)八十八句、易(えき)六十四句、世吉(よよし)四十四句などがあります。歌仙三十六句の場合、懐紙二枚に書き記します。一枚目初折の表に六句、その裏に十二句、二枚目の名残の折の表に十二句、裏に六句を記すことになります。
巻頭が発句、その次が脇、そして第三と続き、巻尾が挙句と呼ばれています。春と秋の句は三句続け、夏と冬は二句以下におさえます。月の定座は初折の表の第五句、裏の第八句、名残の表の第十一句で、花の定座は初折の裏の第十一句と、名残の裏の第五句、恋の句は二箇所といった約束事に則り、序破急の流れで進めます。」
説明としてはわかっても実際にはピンとこない。それをおぎなってくれたのが特集①とくとく歌仙「菊のやどの巻」についての3氏による鼎談である。冒頭の三十六句のつくられていく過程に沿いながらの意見、感想、思いなどを自由に語っているのだが読んでいるうちに句の持っている深さを感じたり俳句というものの本質やら連句というものがおぼろげにわかってきた。ことばの達人どうしの話は面白い。連句を井上さんは言葉のサッカーみたいなところがあると言っていたが、知的な興奮を覚える。鼎談を読んだ後もう一度「菊のやどの巻」を読むと全く違う世界が広がっていた。
他にも演出の鵜山仁さんの話、芭蕉を演じた坂東三津五郎さんの話、先の小森陽一さんの戯曲の中の記述の順序に従いながらの松尾芭蕉研究の中で明らかになっていることの片鱗の紹介などもあり、読み応えがあった。
雑木林の中を進んでいたら目の前に未踏の高い山が出現した感がある。
①貞門俳諧の時代 ②談林俳諧の時代 ③虚栗(みなしぐり)調の時代(蕉風模索期)
④さび追求の時代(蕉風確立期)⑤軽(かる)みの時代(蕉風円熟期)
そして、チラシの中の“芭蕉を「『人はひとりで生き、ひとりで死んでゆくよりほかに道はない』ことを究めるために苦吟した詩人」と、井上ひさしは考えて書き下ろした、芭蕉一門主流の歌仙三十六句にちなんで綴る全三十六景の一代記です。” というくだりで、5つの誹風の変遷を句とエピソードとをからめて紹介していく舞台であろうというイメージを勝手につくりあげていた。それにしても一人芝居でどうするのかな?タイトルの「芭蕉通夜舟」ってどういう意味なんだろう?という素朴な疑問も持ちながら幕の上がるの待った。
実際の舞台はイメージとはずい分違った。三十六景とはずい分多いなと思っていたが、十代の終わりから通夜舟に乗るまでの30年余りの年月と伊賀上野、京都、江戸、旅で訪れていく所などでの場面の1つ1つは寸劇といってよいほどの長さである。それら36の断片をつなぎ合わせるのは観客に委ねられている芝居である。
そうなると、芭蕉や俳句などへの素養の深さによって楽しみ方が異なるということになる。俳句に限らず表現者の目指すものは、何かを人に伝えることで、そのためにさまざまな苦労をするわけだが、相手に受け取られた時点で、表現者の“思い”とはズレてしまうという皮肉な結果になる危険性が常につきまとう。
芭蕉が一生かけて追求してきたものが死後、自分のもっとも忌み嫌った形で伝わってしまっているということを暗示して終わる幕切れは何ともいえない複雑な思いにとらわれた。その漠然とした思いを少しずつ整理できたのが会場で買い求めた“the座 №73”である。台風の余波で1日中雨模様の天気、バタバタ動いた3日間の反動もありじっくりと味わった。
歌仙三十六句なるものが、どういうものかということから始まった。冒頭に1998年10月11日、石川県山中温泉「かよう亭」での丸谷才一氏(玩亭)・大岡信氏(信)・井上ひさし氏(ひさし)の3人でおこなわれた歌仙「菊のやどの巻」が掲載されていた。
読んでもよくわからない。そもそも“歌仙三十六句”とはどういうものかということがわかっていなかった。これは同本の特集②芭蕉入門で小森陽一さんが説明してくれている。
「三十六句の形式の連句のことを歌仙と言います。百句を重ねるのが“俳諧之連歌”の基本で、略式として米字(よねじ)八十八句、易(えき)六十四句、世吉(よよし)四十四句などがあります。歌仙三十六句の場合、懐紙二枚に書き記します。一枚目初折の表に六句、その裏に十二句、二枚目の名残の折の表に十二句、裏に六句を記すことになります。
巻頭が発句、その次が脇、そして第三と続き、巻尾が挙句と呼ばれています。春と秋の句は三句続け、夏と冬は二句以下におさえます。月の定座は初折の表の第五句、裏の第八句、名残の表の第十一句で、花の定座は初折の裏の第十一句と、名残の裏の第五句、恋の句は二箇所といった約束事に則り、序破急の流れで進めます。」
説明としてはわかっても実際にはピンとこない。それをおぎなってくれたのが特集①とくとく歌仙「菊のやどの巻」についての3氏による鼎談である。冒頭の三十六句のつくられていく過程に沿いながらの意見、感想、思いなどを自由に語っているのだが読んでいるうちに句の持っている深さを感じたり俳句というものの本質やら連句というものがおぼろげにわかってきた。ことばの達人どうしの話は面白い。連句を井上さんは言葉のサッカーみたいなところがあると言っていたが、知的な興奮を覚える。鼎談を読んだ後もう一度「菊のやどの巻」を読むと全く違う世界が広がっていた。
他にも演出の鵜山仁さんの話、芭蕉を演じた坂東三津五郎さんの話、先の小森陽一さんの戯曲の中の記述の順序に従いながらの松尾芭蕉研究の中で明らかになっていることの片鱗の紹介などもあり、読み応えがあった。
雑木林の中を進んでいたら目の前に未踏の高い山が出現した感がある。
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