素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

長く人生を生きてこられた方の紡ぎだす言葉

2012年09月19日 | 日記
 毎日新聞の朝刊に“おおさか発プラスα”という紙面がある。火曜日が《くらし》、水曜日が《文化》、木曜日が《探求》をテーマに話題を提供してくれる。特に、毎月1回掲載される『老いに学ぶ』というシリーズは楽しみにしている。

 長く人生を生きてこられた方の紡ぎだす言葉には重みがある。今日は民族学者で国立民族学博物館名誉教授佐々木高明(82歳)さんである。

 小学校1年生で母、4年生で父を亡くし叔母に引き取られ、小学校6年で太平洋戦争が始まり、京都一中卒業の前年が敗戦と世の中がひっくり返ってしまう中で働きながら学ぶという道を取らざるを得なかった。それでもこう言い切る。

 「苦学」という意識はありません。楽しみながら働き、学びました。

 恵まれない状況をしっかり切り開いて生きてきた佐々木さんの言葉だからこそ重みがある。また、グローバリぜーションが進む中で大切な視点として日本が多文化国家であることの理解であると述べられている。

 明治以降、日本は近代化を進めるため、国民や文化を単一・同質のものにしようとしました。その過程でアイヌの人々の伝統文化を否定し、同化を強制しました。
 しかし、縄文時代以来、日本列島にはさまざまな文化が伝来し堆積しました。日本の文化は異なる系統のいくつもの文化が融合して形成された異文化の複合体です。日本が多文化国家であることを理解できれば、アイヌを含む異民族の尊厳を認め、異文化の理解を深めることが可能になるでしょう。


 日本の各地を旅する機会が増え、自分の足で歩き、目で見ていくことで佐々木さんの言われていることはよくわかる。混迷と閉塞感のある今日、明治維新の頃への回帰の風潮もあるが、もっと冷静にあの頃のことを分析していかないといけない。多文化共生という言葉がよく使われるようになったが“異なるもの”への寛容さという面ではまだまだのような気がする。特に、教育の世界においては逆行しているのではないかと危惧している。

 佐々木さんは自分自身の人生を振り返ってこう述べている。

 振り返ると、人生にはいくつもの分岐点があったと思います。右か左か、真ん中か?自分で判断したこともあれば、他人が勝手に決めていたこともありました。(中略)その時々の条件によって選択された道で、どれだけ努力するかが大切でしょう。両親の死や敗戦で進学を断念した時、進学した同級生をうらやんだこともありました。でも、働きながら学んだことで、かえってその後の道が開けたのだと思います。 

 佐々木さんの他にも敬老の日前後に、長く人生を歩んでこられた方の話をお聞きする機会が多くあったが、共通するのが“今を生き抜く”という強い意志である。

 私自身も基本的には“誕生”と“死”に関しては自分自身の意志は関与できないと思っている。だから「この世に生を受けた以上しっかり生き抜く」ということを旨としている。 
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