素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

アギーレ監督八百長疑惑のため解任

2015年02月04日 | 日記
 プロ野球同様、サッカーもJリーグ開幕に向けて動き始めていた。その矢先のアギーレ代表監督解任の発表であった。6月にはワールドカップ予選も始まることを考えればこのタイミングしかないのかと思ってしまう。八百長疑惑に対する本格的な捜査が行われることが決まった以上、集中して監督業に専念することは不可能であろう。長いW杯本大会までの道のりを考えるとやむを得ないかな。

 問題は後任だが、見通しのないまま解任を決めたわけではないと思うので、どういう人選になるか楽しみにしておこう。

 最近、何気なく使っていた言葉の語源がよく気になるようになってきた。「八百長」もそう。おそらく大相撲が八百長問題で大騒動していた時、新聞などで語源にふれた話はあったと思うが、その頃の私のアンテナには引っかかっていなかった。

 家にある辞典を引いてみた。

 明鏡国語辞典(大修館書店)には「勝負事などで、表面は真剣に争っているように見せかけながら、あらかじめ示し合わせたとおりに勝負をつけること。また、なれあいで事を行うこと」だけで、語源的な部分の記述はない。

 そこで、広辞苑・第二版(岩波書店)、「(明治初年通称八百長という八百屋が、相撲の年寄某と常に碁を囲み、すぐれた技倆をもちながら、巧みにあしらって一勝一敗になるようにしていたことに起こるという)①相撲で、力士の一方が前もって負ける約束をしておいて、土俵上でうわべだけの勝負を争うこと。なれあいの勝負。②内々示しあわせておいて、なれあいをすること」とあった。

 スペースの制約からかかなり要約されているのでわかったようなわからないような生煮え状態。ひょっとしたらと見た『知っておきたい故事名言・由来・ことわざ総解説(自由国民社)にはこうありました。

 「わざと負けるようにしくyんだこと。本家の相撲から競輪に及び、また政府と与党のなれあいの質問を八百長とまで非難されるに至った。明治のはじめ、八百屋の長兵衛は「八尾長」という相撲茶屋をも経営していた。その彼が、相撲協会の前身相撲会所筆頭、今なら理事長の伊勢の海五太夫と碁をして、いいところで勝ちをゆずることにしていた。そこからわざと負けることを八百長と言うようになった」

 諸説あるみたいだが、総合すると「八百長」という言葉の由来は理解できた。本家の相撲協会は「八百長」という概念を認めていないみたいである。『故意による無気力相撲』と言うらしい。

 いずれにしても前途多難なサッカー代表チームである。禍い転じて福となすことを祈るのみ。
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