素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

今日は駐車場作り

2010年09月20日 | 日記
実家は道路から高い所にある。道路に面して車庫はあるのだが、来客があると不便である。隣が空地で雑草が覆い茂っているので、借りることにしたらしい。整備はこちらがするということなので私と弟の出番となった。さて、どうなるか?弟は昼帰る予定。私も夕方には出発したいと思っている。午前中の勝負となる。

予想以上の苦戦であった。1つは、駐車場にする所の隣に、かつて掘立て小屋が立っていた。小屋の部分は撤去されたが基礎のコンクリートだけが30cmの高さで残されており、それがちょうど貯水槽のようになって水が溜まり、そこに覆いかぶさるように草が生えているのでコンクリートの一部を割って水を抜き境目を見つけ出す作業をしなければならなかった。 長年人の入らない安住の地で暮らしていた動物があわててゴソゴソと出てきた。蚊はもちろん、ムカデ、ザリガニ、かに、など。蛇と遭遇しなかっただけでましであった。

2つ目は、根っこのすごさ。植物も生存競争をやっているので、以前生えていた潅木の根が草を刈っていくと姿を現した。草ならともかく枯れているとはいっても木なので取り除いておかないとタイヤによくないだろうということでツルハシを使って掘ったのだが、根がよく張っていて大変であった。

3つ目は、残暑の厳しかったこと。風の通らない所なので蒸し暑く、思ったようにははかどらなかった。何とか駐車場としての形になったのは3時ぐらいであった。  
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猿田彦に寄り道して実家に帰る

2010年09月19日 | 日記
敬老の日と雑草退治第二弾で実家に帰ってます。見たいものがあったので猿田彦神社に寄り道をした。目的は達したので大満足。実家に着くと雑草退治の他に新たな仕事が待っていた。明日は弟と一緒に駐車場作りをしないといけない。

そこで、夏できなかった家の横の部分の雑草退治と“固まる砂”による予防を大急ぎで行なった。日が落ちる前に何とか家と生垣のあたりをスッキリすることができた。

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「である」ことと「する」こと

2010年09月18日 | 日記
 高校の教科書に、政治学者の丸山真男氏の書いたものがあった。『「である」ことと「する」こと』という禅問答みたいな題であった。岩波新書の『日本の思想』の中にあるのだが、昨今の政治の動きを見聞きしていて、ふとこの本のことを思い出し、本棚から取り出した。

 高校生であった私に一番インパクトがあったのが“権利の上にねむる者”という言葉であった。

 その具体例として最初にあ「時効」という制度についてである。金を借りて催促されないのをいいことにして、ネコババをきめこむ不心得者がトクをして、気の弱い善人の貸し手が損をするという結果になるのはずいぶん不人情な話のように思われるけれども、「時効」という規定の根拠には、権利の上に長くねむっている者は民法の保護に値しないという趣旨も含まれている。

 請求する行為によって時効を中断しない限り、たんに自分は債権者であるという立場を喪失する。という話が強く印象に残った。そして、その共通の精神を日本国憲法に見るのであるである。

 憲法第十二条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」を次のように読みかえている。

 「国民はいまや主権者となった。しかし主権者であることに安住して、その権利の行使を怠っていると、ある朝目ざめてみると、もはや主権者でなくなっているといった事態が起こるぞ」という警告になっている。そして続ける。

 私たちの社会が自由だ自由だといって、自由であることを祝福している間に、いつの間にか その自由の実質はカラッポになっていないとも限らない。自由は置き物のようにそこにあるのでなく、現実の行使によってだけ守られる。いいかえれば 日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうるということなのです。
 
 その意味では近代社会の自由とか権利とかいうものは、どうやら生活の惰性を好む者、毎日の生活さえ何とか安全に過ごせたら、物事の判断などはひとにあずけてもいいと思っている人、あるいはアームチェアから立ち上がるよりもそれに深々よりかかっていたい気性の持主などにとっては、はなはだもって荷厄介なしろ物だといえましょう。


 もう一度肝に銘じておきたい部分である。高校時代に理解できたのはこのあたりだけで、新書の95%の部分は消化できない内容であった。その後、私の頭の中には「~である」(男である。女である。高学歴である。先生である。政治家である。弁護士である。・・・)ということより「何をする」「何をした」を考える回路がつくられたように思う。
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回復には1週間かかった

2010年09月17日 | 日記
 先週、体の調子が良すぎて休養日を入れずに走ってしまったため、左ひざの古傷の痛みを復活させてしまった。歩くことには問題ないが、走りとなると厳しい状態が続いた。2日前から、少しずつ走りを入れて、今日30分4.5km(時速9km)の設定ノルマをクリアできた。何とか元に戻ったわけだが、教訓としなければいけない。休養もトレーニングである。わかっていたつもりだが、ついつい調子に乗ってしまった。

 管内閣の新しい陣容が発表された。そろそろマスコミも「小沢」を基準に報道するのをやめてほしいと思う。聞き飽きたし、もっと違う視点に目を向けさせてくれないと政治経済が面白くない。野党にしても、もっとビジョンを発信していかないといけない。素朴な疑問として、政党助成金は仕分けの対象にならないのかということ。予算編成までどのように協議しながら進めていくか興味を持ってながめていきたい。最近、新聞を読む時間が長くなってきている。

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“道”への思い入れが強いのかあ!?

2010年09月16日 | 日記
 先日、私の話の節々に“道”への思い入れが強いということを言われた。自分自身はごく普通に、無意識にしゃべっていたのだが、言われて思い返してみると「そうかもしれない」「そうなんだ」と自分自身のことではあるが初めて意識のレベルに上がってきた。

 教師になって2年目に担任をした。とびこみの3年の担任であった。学校の事情で仕方のないことではあったが、ずい分無茶なことだった。当人は経験もなく、何も知らないことが強みで「若さ」だけで突き進んでいった。今考えると、恥ずかしいこともたくさんあり、まわりの人たちの寛大さに感謝の限りである。

 その時の学級通信の名前は『道』だったと思う。あの時は、通信にいろいろな人の詩を掲載して自分の気持ちを代弁してもらっていた。タイトルの決め手になったのはヘルマン・ヘッセの『独り』という詩であった。教師生活第1号の学級通信に載せた。

     地上には
     大小の道がたくさん通じている。
     しかし、みな
     目ざすところは同じだ。

     馬で行くことも、車で行くことも
     ふたりで行くことも、三人で行くこともできる。
     だが、最後の一歩は
     自分ひとりで歩かねばならない。

     だから、どんなつらいことでも
     ひとりでするということにまさる
     知恵もなければ、
     能力もない。
 (ヘッセ詩集 高橋健二訳 新潮文庫)

 この詩を読んで、どのような話をしたかは記憶の淵に沈んでしまっている。学年通信の場合は対象が広いので「公」の度合いが強いが、学級通信になると「私的」な感じになりタイトルにしても無意識に自分好みが前面に出てくる。 “風鈴”風まかせ、無風であれば鳴らないというところが好きである。 “やじろべえ”絶妙の不安定さが大好き。などがなつかしいタイトルである。

 「季節も良くなってきたので“道”が呼んでいる。」と言うと、苦笑いする聖母の顔が浮かんでくる。
     
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