今日の夕刊の特集ワイド、田原和宏さんの「フィールドの向こうに」の中で≪unlearn(アンラーン)»という言葉を知った。
30年にわたりスペインでサッカーの指導に携わり、現在は1部ビリャレアルのスタッフとしてクラブを支える佐伯夕利子さん(50)のサッカー人生がつづられている「本音で向き合う。自分を疑って進む」(竹書房)を読んで感じたことが書かれている。
その中で、2部降格をきっかけに、選手を自前で育てる育成型クラブのビリャレアルが始めた「指導改革」が興味深かったと紹介している。
「クラブには3歳児からトップ選手まで800人近い選手が在籍。佐伯さんを含め、彼らを指導する総勢120人のコーチが取り組んだのは、指導者のあり方を根本的に問い直すことだった。
「4―3―3の話は卒業しよう」。布陣などの戦術ではなく、サッカーとは一見、無関係にも思える歴史や社会学、教育学を学ぶことから始めた。勝敗ばかりにとらわれるのではなく、もっと選手らが人として成長する指導ができないか。そんな思いからだった。
佐伯さんはこの改革を英語で「unlearn(アンラーン)」と表現する。」
田原さんも「unlearn(アンラーン)」という言葉を哲学者の鶴見俊輔さんの著書で知り、大切にして来たという。コラムは次のように締めくくられている。
【英和辞典には「習慣などをわざと捨てる、意識的に忘れる」とあるが、鶴見さんはアンラーンを「学びほぐす」「学びほどく」と訳す。学校で教わる知識は、型通りに編んだ毛糸のセーターのようなもの。ほどいて毛糸に戻し、自らの体に合わせて編み直して、ようやく自分のものになる。アンラーンとはそんな作業なのだ、と。
佐伯さんは19歳でスペインの指導者養成学校に通った。言葉や文化の違いを乗り越え、身をもって学び続ける歩みは、アンラーンと呼ぶにふさわしい。】
「学び」というのは、知識や情報をどんどんプラスしていくこと、自分の中にため込んでいくこと、ととらえがちだが、それ以上に「これまでに身につけた思考のクセを取り除く」ということも大切であるという指摘だと思った。
人生100年時代に成長し自己実現し続けていくための新しい考え方として「アンラーン」を意識していきたいと思った。
30年にわたりスペインでサッカーの指導に携わり、現在は1部ビリャレアルのスタッフとしてクラブを支える佐伯夕利子さん(50)のサッカー人生がつづられている「本音で向き合う。自分を疑って進む」(竹書房)を読んで感じたことが書かれている。
その中で、2部降格をきっかけに、選手を自前で育てる育成型クラブのビリャレアルが始めた「指導改革」が興味深かったと紹介している。
「クラブには3歳児からトップ選手まで800人近い選手が在籍。佐伯さんを含め、彼らを指導する総勢120人のコーチが取り組んだのは、指導者のあり方を根本的に問い直すことだった。
「4―3―3の話は卒業しよう」。布陣などの戦術ではなく、サッカーとは一見、無関係にも思える歴史や社会学、教育学を学ぶことから始めた。勝敗ばかりにとらわれるのではなく、もっと選手らが人として成長する指導ができないか。そんな思いからだった。
佐伯さんはこの改革を英語で「unlearn(アンラーン)」と表現する。」
田原さんも「unlearn(アンラーン)」という言葉を哲学者の鶴見俊輔さんの著書で知り、大切にして来たという。コラムは次のように締めくくられている。
【英和辞典には「習慣などをわざと捨てる、意識的に忘れる」とあるが、鶴見さんはアンラーンを「学びほぐす」「学びほどく」と訳す。学校で教わる知識は、型通りに編んだ毛糸のセーターのようなもの。ほどいて毛糸に戻し、自らの体に合わせて編み直して、ようやく自分のものになる。アンラーンとはそんな作業なのだ、と。
佐伯さんは19歳でスペインの指導者養成学校に通った。言葉や文化の違いを乗り越え、身をもって学び続ける歩みは、アンラーンと呼ぶにふさわしい。】
「学び」というのは、知識や情報をどんどんプラスしていくこと、自分の中にため込んでいくこと、ととらえがちだが、それ以上に「これまでに身につけた思考のクセを取り除く」ということも大切であるという指摘だと思った。
人生100年時代に成長し自己実現し続けていくための新しい考え方として「アンラーン」を意識していきたいと思った。