素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

発明王・エジソンの言葉

2024年04月19日 | 日記
 昨日の「発明の日」にちなんだ「余録」を読んだ時、エジソンにちなんだ日なのかとパッと思った。特許庁のホームページで関係ないことはすぐに判明したが、世に大きな発明を残した人に共通するのは「失敗のとらえ方」と「継続する根気」、それらを支える「信念」である。

 発明王と呼ばれたエジソンの言葉をにそれらが集約されているように思う。「発明の日」を契機にもう一度味わってみたい。

 「私は失敗したことがない。ただ一万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ。」発明の裏には多くの試行錯誤がある。しかし、それは「失敗」ではなくうまくいかない方法を見つけたという「前進」ととらえるポジティブさが大切ということか。

「私は、決して失望などしない。どんな失敗も、新たな一歩となるからだ。」失敗即失望ではない。新しい一歩と考えれば良い。というのは数々の入試、就職試験に落ちてきた私も同じ考えでやって来たなとあらためて思う。

「ほとんど全ての人間は、もうこれ以上アイデアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。勝負はそこからだというのに。」 この言葉は有名な「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である。」とリンクする。膨大な試行錯誤の先にひらめきが訪れる。

 このようにして人類は多くの発明をし、技術革新を遂げてきた。そういう今、エジソンの次の言葉にもう一度耳を傾け考えなければいけないようにも思う。
「機械は生活を便利にした。将来はもっと便利になるだろう。
   しかし、用心しなくては人間が機械に使われるようになってしまう。」
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今日は「発明の日」

2024年04月18日 | 日記
今日の「余録」で、4月18日が「発明の日」であることを知った。ただ、「余録」には、この日になった由来については書かれていなかった。
▲ロボットを使った手術支援や人工知能(AI)利用の画像診断。内視鏡技術もさらなる進化を続ける。資源のない国の財産はやはり人材と技術だ。「わが国民はよろしく自家の発明力を確信し、大いに奮励して発明国民とならざるべからず」。アドレナリンの発見で特許庁の「十大発明家」に名を連ねる高峰譲吉博士の言葉である。」という締めくくりの節から特許庁のホームページを覗いたらきちっと書かれていた。

 4月18日は「発明の日」です
「発明の日」とは
明治18年(1885年)4月18日に、初代特許庁長官を務めた高橋是清らが現在の特許法の前身である「専売特許条例」を公布し、日本の特許制度が始まりました。

これを記念し、昭和29年(1954年)1月28日に、通商産業省(現在の経済産業省)は、特許制度をはじめとする産業財産権制度の普及・啓発を図ることを目的として、毎年4月18日を「発明の日」とすることを決定しました。

特許制度が多くの発明家の創作意欲をかき立てたことによって生み出された数々の発明は、わたしたちの生活を便利にしてきました。特許庁は、昭和60年(1985年)4月18日に、専売特許条例の公布100周年を記念して、日本の歴史的な発明家10名を選定し、その功績を紹介しています(十大発明家のページ)。

産業財産権制度は、時代の変化にあわせて進化してきました。これからも、より多くの発明が生み出されるよう進化し続けなければなりません。発明の日を機に、未来を拓く産業財産権制度について、みなさんも考えてみませんか。


 そして、面白い動画を見つけた。
【特許庁】ここがすごいぞ!日本の十大発明家【再投稿】


 発明とは無縁の私にとって特許庁よりも早口言葉のために作られた実在しない「東京特許許可局」の方が馴染みがあったが、このサイトを見て少し親しみがもてた。

 滑舌の悪さを感じる昨今、「東京特許許可局」さらにバージョンアップした「東京特許許可局許可局長、今日急遽休暇許可拒否」で鍛えてみるか。
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クンシランとシンピジュウムが同時に

2024年04月17日 | 日記
シンピジュウムは正真正銘のラン科の花だが、クンシランは「ラン」とつくが「ラン科」ではなくヒガンバナ科。今この2つが仲良く並んで目を楽しませてくれている。


 今年はクンシランの花がよく咲いた。冬から初春にかけて気温差の大きい日が多くあったが、こまめに移動して管理したおかげかなと思っている。久しぶりに数人の知人宅にレンタルされている。

 クンシランは明治時代に初めて日本にやってきた。そのときに輸入されたクンシランが、clivia nobilis(クリビア・ノビリス)という品種だった。

 このとき日本語で「高貴」を意味する「nobilis」にちなんで、良い人格を持ち、博識である高貴な人のことを指す「君子」が和名に付けられた。

 現在、流通している品種はnobilis種ではなく、miniata種で、「クンシラン」と呼ばれるのはnobilis種が日本にやってきたときの名残り。
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クンシランとシンピジュウムが同時に

2024年04月17日 | 日記
シンピジュウムは正真正銘のラン科の花だが、クンシランは「ラン」とつくが「ラン科」ではなくヒガンバナ科。今この2つが仲良く並んで目を楽しませてくれている。
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「ハナミズキ」ロード

2024年04月16日 | 日記
 寝屋川公園をぐるっと回って来た。いつものルートではなく、JR寝屋川公園駅の方から入った。駅併設の駐輪場が撤去されてから何やら工事が進んでいたが、駅前公園になっていた。
あと2,3年すれば木も大きくなり憩いの場になるだろう。このルートにしたお目当てはハナミズキである。3年前に、この一帯が大きく開発され、マンション、病院、ドラッグストア、スーパーマーケットなどが相次いで建った。第二京阪道路につながる新しい道路の沿道にハナミズキの木が植えられた。薄紅色と白色の花が目を楽しませてくれる。当初より木も成長したのでどんな具合かと少し遠回りをした。
    いい感じで咲いていた。寝屋川公園の中は、桜も葉桜となり新緑の季節にまっしぐらという感じだった。

 ハナミズキは北アメリカが原産のミズキ科の落葉樹。「ヤマボウシ」に似ているため、「アメリカヤマボウシ」とも呼ばれている。ハナミズキはバージニア州とノースカロライナ州の州花にもなっているほどアメリカでは親しまれてきた。

 20世紀初頭、東京からワシントンへ友好のしるしとして贈った桜の返礼として、1915年に「ハナミズキ」の苗木が贈られたことはよく知られている。その後、街路樹や庭木、公園木として日本でも広く親しまれるようになり、華やかで可愛らしい花をつけるので、庭のシンボルツリーとしても人気となっている。

 四季折々の植物、動物、時候、天文、地理、生活と行事などを知るよすがにしている「日本の歳時記」(小学館)を見ると「ハナミズキ」がないことに気付いた。意外な思いがしたのでそのあたりを調べてみた。生成AIに質問してみたら次のような回答があった。

 「和名ハナミズキは、ミズキ属に属することと花が日本のミズキよりも美しく目立つことから名付けられている。また、アメリカヤマボウシの名は、アメリカ原産であることと日本の近縁種のヤマボウシに似ていることから。」

 「日本の歳時記」でも【水木の花】は季語としてあった。説明にはこうある。【五月頃、平らに広がり伸びた枝に、白い小さな花がまとまってr皿状に咲く。高野公彦の若い頃の代表歌に「青春はみづきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき」があるが、水木の花は遙かなるものへの憧れを象徴している。春に薄紅色の花をつけるハナミズキは別種
 

 

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