素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

二十四条知ってるかい / 守屋 浩

2024年04月03日 | 日記
「夕刊って読むところないよな」というのが我が家でよく使われるフレーズである。しかし、時々キラリと光るものがある。今日の夕刊にある【連載 ・今日も惑いて日が暮れる】の吉井理記さんの「二十四条知ってるかい」である。

『 ♪なんてったってお父さん 僕はあの娘(こ)が好きなんだ……結婚ってのは両性の 合意によって決まるのさ お父さんたら知らないの 憲法二十四条を……

 歌手・守屋浩さんの「二十四条知ってるかい」(1959年)を教えてくれたのは民族派の作家、故鈴木邦男さんである。』
という書き出しに惹きつけられた。守屋博・憲法二十四条・鈴木邦男という取り合わせにインパクトがあった。

 戦後、22歳で連合国軍総司令部(GHQ)の一員として米国から再来日し、「婚姻の自由」を定めた憲法24条の草案を書いた日本育ちのユダヤ系米国人、ベアテ・シロタ・ゴードンさん(2012年死去)が後に日本に招かれた時に24条が歌になったことを知り、鈴木邦男さんに取材を受けた時に伝えたという。鈴木さんの思いを吉井さんは次のように記している。

 民族派の鈴木さんは現憲法を「米国から押しつけられた」と憎んでいた。でもベアテさんと会い、考えが変わった。生前の取材でこんなことを言っていた。

 「ただの押しつけではないと気づいたんです。24条のような条文は米国にもない。母国以上の憲法を作ろうというベアテさんたちの燃えるような理想が形になった。でも今の日本の改憲論に、そのような理想はあるでしょうか」


 ベテアさんが24条を書いた時は、同性婚という概念はなかったが、娘のニコルさんによれば後年、ベテアさんは同性婚も保護するよう解釈すべきだ」と話していた、という。ベテアさんが一番大切にしていたのは「できるだけ多くの人が希望通りに生きられるようにしたい」ということだったとニコルさんは言う。

 吉井さんの締め言葉が鋭い。
『さて先月、24条を巡って大きな動きがあった。札幌高裁が「24条は同性間の婚姻の自由も保障している」と判断し、同性婚を認めない今の制度は「違憲」と断じた。地裁レベルではすでに複数の違憲判決が出ているが、ここまで踏み込んだのは初めてだ。

 ならば次は国会議員の出番である。より多くの人を幸せにするのは政治の役目だ。与党・自民党のセンセイ方は「裏金」づくりなどに励んでいる場合ではない。
 
さあ、みんなで永田町に向かって歌う時が来た。 せーの!』

 私も守屋浩がこんな歌を歌っているとは知らなかった。
二十四条知ってるかい / 守屋 浩
コメント
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