散歩者goo 

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昨日記140822金(蚊に悩まされる 尼崎アートフェスティバル 現代美術のあり方。)

2014年08月23日 12時45分58秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ 平均/最低% = 33.3  27.1  67  51 
昨夜は、ミニファンを付けずに寝ることができた。
毎年、地蔵盆前後から、朝夕しのぎやすくなり、夏の終わりを感じるようになるが、今年もこれからは、日増しにミニファン不要で寝る日が増え、日中も不要になり、夏物を片付けるようになるのだろう。
最後に残ったオスメス、2匹の鈴虫は健在で、鳴き声が一番弱かったオスが、2匹になってからはだんだんと美しく長く鳴くようになり、今では午前中もよく鳴いている。
何時まで寿命が持つのか、またメスに食べられてしまうのか気にしつつ、毎日世話を続けている。

それにしても、今年は天候不順で、雨が多く二勝時間が少ない。
農産物への影響はすでに出ている。
それと同時に、身の回りでは、夏になるといなくなる蚊が多くいる。
昨日も鈴虫への影響を考え、念のため飼育ケースをビニル袋に入れ、安全な風向きを確認して、裏庭にたむろしていた藪蚊どもを殺虫剤で退治した。
毎日、裏庭や表の植物周辺から入ってくると思われる、藪蚊に悩まされていて、昼寝をすると必ずやられている。
夏は、うたたねを良くするので、そのたびにやられることが多い。
その上、ファストフードに行ってもやられることが多い。
人の出入りが多いので、店に一緒に入ってくるらしい。
ネットでは、小さい藪蚊は昼に活動し人を刺すとあったが、夜でも人を刺している。

さて、昨日は午後から「尼崎アートフェスティバル2014」に行った。
ほぼ毎年見ている。
具象から現代まで、平面や造形、様々なものが並んでいる。
顔見知りの作家達の作品も多く並んでいた。

はっきり言って、このような形で、ほぼ1品ずつ並べられると非常に見にくい。
団体展の場合は、まだ、団体展の傾向があって、同じ文脈で作品を見ることができる。
しかし、今回は団体展ではなく、はっきりした視点がないので、見にくい。
ある意味、現代美術コンクールと思えば、それなりに見ることが出来るのかもしれない。
(過去にコンクールで入選入賞したり、美術館企画招待作家も多い。)

それに、チラシには、多くの作品の写真が並べられているが、どうも昨年の作品も入っているようだ。
どのような形で、作品選考したか知らないが、名前と推薦人の人脈を中心に選ばれたような気がする。
アートフェスティバルなので、様々な分野から、無難な人を選んだのかもしれない。
当然、この催しのコンセプトが見えてこない。

そもそも、現代美術関係は、有名作家や評論家(有名美術雑誌や新聞に掲載された評論家)や学芸員や有名ギャラリーが、リードしている場合が多い。
いわゆる、権威が存在するのであり、現代美術の求める革新性、やダダの精神と矛盾し、現代美術の多いなる矛盾でもあるのだ。
それは、現代作家にも責任があり、多くの現代作家が師匠にあたる先生や学芸員や、有名評論家やギャラリーオーナーにおもねるところがあるように見える。

その意味で、現代美術に参画する作家は、革新的であるべきだし、ダダ的精神を持たねばならない。
多くの若い作家が、いかに早く世に認めてもらうか、その方法としてコンクールに入選するための方法論(作品の作り方や傾向)とか、人脈の作り方といったことが、真剣に議論されていたりすると聞くこともあるが、本末転倒の話だ。
芸術にかかわらず、あらゆる分野でトップレベルに立てる人は限られている。
いかに世間に認めてもらうかではなく、いかに自分の思うところを表現するか、新しいことを創造するかに力を注ぐべきであると思う。
音楽も含め、ゴッホのように生前に世間に認められなかった芸術家は多い。
例えば、ビゼーは自信作として発表した歌劇カルメンが散々に評価され、その後しばらくして亡くなったというが、今では歌劇の名曲中の名曲である。

すべてのことに言えるのだが、手段と目的(自分の内面を新しい手法で表現すること)を入れ替えてはならない。
例えば、世間に認めてもらうことは、芸術活動を継続するため経済面をサポーソする手段である。
技法も手段の一つであるが、工芸家の場合は技法の感性が目的化するのは問題ないが、現代作家は技法の完成が目的となってはならないと思う。
芸術でも、才能のない人ほど、手段を目的化することは、一般に見受けられる。
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