散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記151008木(居間の清掃 副食 ジム・筋トレ)

2015年10月09日 16時19分50秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =24.4   14.7
昨日は、朝から清掃を行った。

TVを見たり食事をする6畳間の居間は畳敷きであるが、そこは物で埋め尽くされた状態に近かった。
その居間の一部を片付けたのだ。

片づける前の状況は、居間の隣家との境の北の壁には、ギャラリー時代から使っていた2つの事務机の一つを持ってきて北壁に置いてあり、その前には食卓代わりのやぐら炬燵が年中置いてある。
南の壁にはタンスや脇机が置いてありその前には、古本を入れたコンテナを並べており、更にその前に積読の本やテキストや新聞が4-50cmほどの高さで大量に積んである。

結果的に、6畳の居間には、玄関から3畳のフロア敷きの書斎兼寝室を通り、6畳の居間をから裏庭の廊下につながる通路が一直線に出来上がった。
6畳の間の通路の幅は70cm前後で、その南北は本の類や机や家具ややぐら炬燵に占領されている状態だった。
当然、居間ではゆっくりくつろげるスペースもなく、以前からなんとか片付けなければと思っていた。
昨日朝、ゴミ出しをきっかけに自分がTVを見るための席にしている部分から片づけ始め、順次そのエリアを南側の積んでいる本を整理し始めた。
片づけ整理をしながら、たまったほこりを丁寧に、掃除用ウエットティッシュを使い拭いていった。
そして、その中の不要な大量の展覧会の案内はがきやギャラリー時代に購入した雑誌や本を選び出し、2週間後のゴミの日に捨てるよう、準備した。
その作業を昼過ぎまで行い、その結果6畳の間の通路を1mまで広げることができた。
今後ともこの作業を少しずつ、不定期で継続する予定である。

普段から、週に何度か、コロコロや、スイーパーを使い掃除しているのだが、積んであるものを取り除け丁寧に掃除をすると、大量のたまったほこりをふき取ることができ、もっと丁寧に掃除する必要性を感じた。

午後からはとりあえず1日分の副食づくりを行った。

夕方からジムに行き、筋トレを行った。
1週間ぶりなので、一部記録が少し落ちたが、1-2週間で回復するだろう

ジムから帰宅後、京橋のスーパーに行き、必要なものを購入した。

コメント

昨日記151007水(会計処理 ジム・ランニング時速9.4km30分休み3分 )

2015年10月09日 13時17分25秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日の訪問者数は、53名で最近での最低記録だった。

さて、一昨日の水曜日は、午前中遅れていた昨日記を2本書き、ニュースメモを1本書いた。
今までニュースメモを書かかず、その代り昨日記の中でニュースに触れることが多かった。
昨日記の中にニュースを滑り込ませると、文が長くなるし、主なニュースで過去に何があったか調べるときに、昨日記の中のニュースでは、非常に調べにくい。
そうしたことも勘案して、ニュースは単独で書くことにし、昨日記の記載に費やす時間を削減しようと考えている。(以前もそのつもりでニュースメモのカテゴリーを作った。)
ということで、今後主なニュースは、ニュースメモとしてのジャンルで書くことにする。

午後からたまっていたレシートの記帳を行った。
レシートは6か月分貯めていたので、記帳処理はなかなか進まない。
3時間程作業を進めたが、残りは後日定期的に処理したい。

夕方からジムに出かけランニングを行った。
時速9.4kmで30分間走りそのうち3分間歩行も含め休んだ。(1分余り靴紐結び直し)
約4.4km走った。
ランニング後の疲労はあまり感じなかった。
コメント

訪問者数・自己表現のかかわりと ブログ・ホームページとSNSの構造

2015年10月09日 12時01分03秒 | ネットSNSマスメディア・情報マスコミ
10月8日の訪問者数は、53名で最近での最低記録だった。
このことは、多少気になったので、改めてこのブログと訪問者数のかかわりを、自分なりに問い直してみた。

以前にも何回か触れているが、ブログ「散歩者goo」は公表を前提にしているが、このブログは読者数を気にせず、自分の好きなように書くことコンセプトにして来たので、少ない読者であっても問題ない。
とはいうものの、読者数が多いと書くのに張り合いがあるのも事実だろう。

ところが、読者に積極的に迎合することはないという姿勢、即ち読者が少なくても問題がないという考えは、読者が多いと張り合いが出るという本音と、全く矛盾している。
なんとなく、負け犬の遠吠えのような感じがする。
どちらにも徹することができない自分の弱さが出ている。

ほとんどの人間は、矛盾だらけの動物だと思っていて、私もその一人と思っている。
そうした弱さを認識しながら、時に人気取りに傾き、時に我儘に(言い換えれば無策に創造性のないまま現状維持に)進めるのだろう。
しかしこれを書きながら、今他の道もあることに気付いた。
読者を意識するのでもなく、無策に現状維持するのでもなく、自ら作りたい世界を創造し、それを発展させていくことだ。
多分これからは、上に掲げた3つの世界をさまよいつつ、進むのだろう。
時に読者や時代の流れに合わせ、ある時はなんとなく怠惰に無策に、ある時はそれが何かわからないが、自ら思う世界らしきものを紡ぎ出す。

私とすれば、ブログを書くのが仕事ではないので出来るだけ効率的にブログを書き、自分のしたいことに時間を使うようにしたいと思っているが、時にブログ書きが自己表現の手段であり生きた証でもあることも事実だ。(ほかにやりたいことと、同等またはそれ以上の価値を認める?)

しかし、現実には、ブログ書き以外にも、SNSにも場合によりブログ以上に時間を割いている。
SNSには、他人からの推薦記事(「いいね」やリンク記事に対してのコメント)に読み応えのある物が往々に含まれていることが多い。

だが、これは受動的かつ刹那的であり、他者の意見に対する反応であって自らの意志で動いたものではないが、そうしたものに対するコメントは、それなりに自らの受動的意思表示・表現でもある。

ならば単独でSNSに意見を投稿しても、積層する無数の投稿に埋もれ、いずれ時の流れに消えてゆき、記録として残りにくいし、自分の投稿のみ取出してみても、その内容は、たとえ残すべき自己表現が含まれていても、文章も短く十分表現されないであろう。
何より社交儀礼や挨拶やお付き合いや遊びの文言が大量に含まれ、玉石混交であり、顧みることは少ないし、その中から残したい文章を拾い出すことは非常に難しい。

ブログやホームページでは、投稿時訪問者が少なくても、後日その記事が閲覧されることがあるし、私もそうしたことを、体験している。
このように見ると、SNSはあくまで社会とのコミュニケーション手段で、日常会話でしかないようだ。
その時々を記録する自己表現を望むなら、はやはり訪問者数に関係なく、ホームページやブログとなると思う。

余談になるが、記録されたホームページやブログも、環境の変化で機械的にサーバーの都合で消されることもあるので、最後は自分の記録媒体に保管しておくことは大切だ。
SNSで意見をのべ、その中で自分の表現として残したいものは、一般的に行われているように、ブログやHPにエッセイや一文を書き、SNSにその概要を書いてリンクを貼るのがよいようだ。

コメント