散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記161222木()

2016年12月24日 21時22分29秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 11.3  75  曇時々雨
22日は、午前中いつも通りの日程をこなしたが、図書館での調べ物に熱が入り、図書館を出たのは1時過ぎだった。
その上、帰りに社会福祉協議会にボランティア活動の報告に行ったので、家に着いたのが2時ごろで、昼食を終えたのが4時前だった。
図書館では、哲学に関して非常に複雑なので、簡単でわかりやすい本はないかと探していたのだ。

帰宅後は、図書館で長時間本を読んだせいもあり、昼食後は、数時間TVを見て過ごした。
夕食用の副食のないことに気付き、副食を4食分製造した。
その後、遅れている昨日記を書いた。
そのため夕食時間は更に遅くなり、夕食を終え、片付をしてすぐに床に就いた。

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昨日記161221水(年賀状制作)

2016年12月24日 21時05分59秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 15.9  6.6  晴時々薄曇
21日も、午後三時ごろの昼食終了までいつも通りの日程をこなす。
夕方から年賀状の制作に取り組んだ。
今更、年賀状の新しいデザインを思いつくはずもない。
とりあえず、昨年のフォーマットを利用して制作することにした。
その後、ある程度めどがついたので、ジムに行った。
ジムでは軽く筋トレとランニングを行った。
筋トレは普段より5kg程負荷を減らして行った。
ランニングは、15分ほど走った。
帰宅後遅れている昨日記を書いた。
遅い夕食後は、タブレットとメインPCのホームグループが動作しているかの確認に手間取り、寝るのが遅くなった。

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今・観考録161224(土)(クリスマスの記憶と日本の宗教)

2016年12月24日 20時35分37秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
今日はクリスマスイブということで、家庭を持っている人達は温かい夜を過ごすのだろう。
そういえば72年間いろいろなクリスマスがあった。

今、私にとって何もないクリスマスだが、過去にもいろいろなクリスマスがあったが、ほとんどの場合寂しいクリスマスがほとんどだった。
クリスマスのことを記憶でたどってみたい。

先ず、幼いころの記憶はない。
両親から聞いているのは、一時期両親の田舎に疎開していたこと。
終戦後1年ほどして自宅に戻ったらしい。
父は仕事があるので疎開しなかった。
我が家では、小学生のころまで海水浴といえば堺市の出島だった。
堺の出島漁港の風景が、父が子供の頃遊び場にしていた故郷の漁港によく似ていたのだろう。

余談だが、今から思えば出島には、父の夢と重なったところがあったのだろうと思っている。
そもそも父は家が網元だったので、漁師という意識が強かったが、まじめな漁師ではなかったのかもしれず、漁師は続かなかった。
当時、父の兄は東京の早稲田実業に勉強しに行っていたようだ。
若いころは、父は漁師をせず、自営業でいろんな仕事をしたようで、その後父の兄の口利きで御堂筋にある大企業に勤め、定年まで勤めた。
確か私が中学生の頃には、父が定年退職し一時期田舎に帰って、趣味の漁師をしていたようだ。
時々大阪に戻っては、家を建て船を作るといった話をしていて、母親ともめていた。
当時父は、高校進学を控えた私に、度々進学せずに漁師になれと言ったこともあり、私の中学生時代は不安定な感じであったが、父からすれば私の兄は既に金融機関に勤めていて心配はいらないので、問題なく田舎に帰れると思っていたのだろう。
私からすれば、何で中学卒業して、高校も行かず見知らぬ土地で、慣れない漁師をしなければならないのかと思って反対した。
今から考えれば、父は船を作り私と一緒に親子で漁師をするつもりだったのだろう。

その出島で、幼いころに一家で海水浴を楽しんでいる時に(2歳の頃という)急に私が震えだし高熱を出したので帰宅した。
その後私の体はぐったりしたまま、全身全く動かなくなり、近くにあった市立小児病院で小児麻痺と診断され、それ以降治療と並行して、手足を動かすために針治療にも通ったという。
当時叔父さんがすぐ近くに住んでいて、当時定年まで武田薬品の課長をしていたこともあり、大量のビタミン剤?やポリタミン?といった滋養強壮液を持ってきてくれたらしい。(叔父さんの家には、よく行き来していた。)
因みに、叔父さんは通貨変更で多額の退職金を失い、農地解放でも田舎にあった多くの資産を失ったという戦争被害者でもある。

私が物心ついたのは4―5歳ぐらいからだ。
そのころには歩けるようになっていた。
近所の子供と遊ぶ時、家の前の15cmの下水を渡れと言われて、隣の子女の子が下水を歩いて渡るのに、這って渡ったのを覚えている。
とにかく、周囲の子供たちと遊ぶうちに少しずつ、筋力をつけていったようだが、小学校に入ってから卒業するまで、体操の評価は最低の1か良くて2だった。
幼いころは、クリスマスといった話は全くなかったのでクリスマスプレゼントという話もなかった。
クリスマスを意識し始めたのは、多分小学校の3-4年ぐらいだった。

当時我家は、出雲大社の信者(田舎の実家からの引継ぎ)であり毎年、夏ごろ田舎から大社教の神主が御祓いに来ていたし、仏教では天台宗寺院の檀家であり、田舎には長男や、江戸時代文化文政時代以降の頃からお祖父さんまでの数代の先祖達の墓も残っているので、なぜクリスマスを祝うのかという意識や疑問すら一家にはなかった。
ただ、小学校3-4年生の頃から、世間でクリスマスが、盛り場の遊びだけでなく子供たちへのサンタのプレゼントという事が広がってきたので、クリスマスプレゼントやケーキを意識するようになった。
TVの影響もあったのかもしれない。
当時すでに私はサンタの存在なんて信じていなかったし、我が家ではクリスマス飾りは一度もやったことはなく、クリスマスムードといったものは全くなかった。
ただクリスマスに便乗して、贈り物をもらえるというのはありがたいので、ねだったのだろう、クリスマスプレゼントで本を買てもらったことがあり、それ以降毎年本を買てもらった。
しかし、当時の私は、読書の習慣なんてなかったので、それほど嬉しくはなかった。
そうしたこともあって、成人するまでは、クリスマスといえば単になんとなくクリスマスケーキを食べるだけの日だった。

社会人になってからは、両親からのクリスマスプレゼントも無くなり、逆に私がなんとなくクリスマスケーキを買って帰るようになったが、両親と一緒にクリスマスケーキを食べて、それでクリスマスが特に楽しいということもなかった。
仕事が忙しくなるにつれて、クリスマスという意識も少なくなったが、それでも義理的にクリスマスイブには家にクリスマスケーキを購入して帰った。

いつのころからか、いろいろ本を読んだり、ラジオを聴いたりするようになり、西洋文明を支えているキリスト教というものに、徐々に興味を持ち出した。
多分それは、趣味のクラシック音楽から刺激を受けて、少しずつ興味を持ち出したと思っている。
特にバロック音楽を聴き始めてから、バッハのマタイ受難曲に触れたりして、そうした曲を本当理解するためには、キリスト教のことを知らなければと思ったが、それは脱サラ後の4-50代になってからの話しだ。

40歳になり脱サラして、1年半ほどアメリカに英語留学した。
最初に行った英語学校のアメリカ人のルームメイトは、キリスト教の伝道師Eだった。
彼は、ルーテル派だが、カトリックの修道僧とも親しく(メキシコ人の修道僧が英語習得のため修道院から、私のいた語学学校に派遣されていた。)その関係で、数カ所のカトリック修道院に遊びに行ったこともある。
Eはそれ以前にメキシコの修道院に居たこともあり、スペイン語で説教していたようだ。
その後彼は名門のシカゴ大学の大学院に行き博士号をとった。
当時シカゴ大学に行ってからも、彼のいるインターナショナルハウスによく遊びに行っていた
アメリカのクリスマスは、留学生には何もない、殺伐としたクリスマスだった。
というのも大学やその周辺から人が消え、多くの留学生も帰国していて、食事にも困る状態になるのだ。
アメリカ留学後、スペイン語習得のためメキシコに行き、1か月半ほどホームステイしたことがあり、その時メキシコ人家族からミサや親せきの結婚式に付き合わされたことがあった。
ミサではパイプオルガンが演奏され、聖歌隊が歌うものと思っていたら、ギター伴奏で聖歌を歌っているのには驚いた。
(Eは、卒業旅行で、中国に行き、帰国途中日本に寄り我が家にも来た。)

語学留学を終えて帰国後、キリスト教に興味を持ち、新約聖書を読んでイエスの生涯やキリスト教の原点でもある奇跡や復活を信じることを知り、バッハのマタイ受難曲もより深く理解できるようになった。
(旧約聖書は一部しか読んでいないので、理解しているのはごく一部だと思うが。)
そんなこともあり、私はクリスチャンではないが、一時期クリスマスを味わうために、カトリック教会のクリスマスイブのミサに何度か参加したことがある。
とにかく一年の内でキリスト教会に行くのはこの日だけで、信仰目的ではないので、信者にとって迷惑だろうと思い、最近はやめている。
ただ、3-40代のころと比べて、キリスト教精神もある程度理解するようになった。
更に、近年、近現代哲学関連の本も読んだりしていて、哲学のある分野においては、キリスト教は切り離せない問題でもあるようだし、仏教的思想に近い哲学者もいるようだ。
そういう意味でキリスト教や仏教や神道の見方も年とともに少しずつ変化している。
無論クリスマスそのものに対する見方も変化し続けている。

見方を変えればクリスマスは日本の祭りと同様、民衆の行事として理屈をこねなくても単に楽しめばよいと言えるかもしれない。
例えば、私もよく祇園祭りや葵祭や天神祭りに行くが、その時神道のことや祭神のことを、その時真剣に考えたことはない。
(江戸時代を含む昔の人は、真剣に神の祟りを恐れていて、想像以上に神・仏を信仰していた。また神と仏は密接につながっていて、一体視されていた。神仏分離は廃仏毀釈の影響が大きい。)

今そうしたことも勉強しつつあるので、多少は理解できるのだが、日本の祭りはそういう意味では、共同体の祭り、氏神様の祭りなので、決してヒエラルキーがあって天照大神の下位の神様という構造でなく、各地域集団の氏神様(氏の守り神)なのである。
日本の祭りは、依り代に降りてきた神を、楽します接待する共食するという要素があるのかもしれない。

しかしキリスト教のクリスマスは、絶対神エホバの子キリストの生誕祭なのであり、その意味では4月八日のお釈迦様の誕生日「花祭り」と同じなのだ。
仏教と違うのは、個人と神の子キリストとが契約関係にあるということだ。(例、安息日=日曜日)
神と個人の関係は、キリスト教と全く同じ絶対神を信仰しているモスリムやユダヤ教も同じだ。
神との契約を守るためにイスラムでは、生活も決められている。(酒を飲まない・礼拝・安息日=金曜・・)

日本の祭りでそうしたことを考えていないのと同様、クリスマスもクリスチャンでない私は、日本の祭りの一種として楽しめばよいのかもしれない。
クリスチャンになれば、態度は変わるだろうが。



このブログの下書き段階で、ワードが今までに見たことのない状態でフリーズした。E(情報機関関連だがここでは、そのことに全く触れていなかった。)の件に触れたことが関連するのかと疑いたくなる。
結局電源切断をした後再開して、正常化。ワードにはフリーズ前に保存したものと、年代不詳の修復記事の2本が回復された記事として表示されていたので、自分で保存したもので再開した。

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