散歩者goo 

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昨日記171231日(大晦日・年中行事 長距離歩行と猫背の修正)

2018年01月02日 14時14分11秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低  10.3  3.5  曇後時々雨
この日は、大晦日
未だ父母が居た頃は、それなりに家の中を片付け、きれいに掃除をし、神棚や仏壇にお鏡を備え新年を迎える準備をした。
風呂に行くと、そこで新しい肌着に着替えた。
元旦には、父の音頭でお酒を飲み、お雑煮をいただいた。
しかし父母が他界し、一人住まいになって20年前後になり、強いて年中行事を守らなくてもというめんどくさいという意識が強くなり、年末の大掃除という考えは、非常に薄くなった。
今でも年末に色々片付け1年の締めくくりをきれいにしてという意識はあるが、さてそれをしてどうなるの、という考えが強くなり、年末年始もいつも通り過ごすようになった。
それでも多少きれいにしようという意識はある。
多分、家族や同居人がいれば、今までの習慣を守っていたかもしれない。
そんなことを考えていると、ふと気づいた。
当たり前のことであるが、伝統や習慣は社会があって初めて成立する。
社会というのは2人以上からで、最少単位は夫婦や兄弟といった家族で、一人では成立しないのだ。
ということは、一人所帯では伝統や習慣というのはないことになる。
ただ、一人暮らしでも大きな社会全体の風土習慣風習は刷り込まれていて、その地の生活習慣に従うことになることは疑いの余地はない。
同時に幼い時に刷り込まれた生活習慣は、大きくなって違う場所に生活拠点を移動しても、幼い時の生活習慣を守ることは、よく見かけることである。
女性が嫁ぎ先に、元の家族のしきたりや習慣を持ち込むことは、よく聞く話で、ヨーロッパでも王族の婚姻により、進んだ食習慣が嫁ぎ先にもたらされ、フランス料理が洗練されたことは、知られている。
余談が長くなったが、この様に見てくると、自由気ままに一人暮らしを長く続けると、適当な生活になり、徐々にゴミ屋敷に近づく可能性があることが、理解できる。
私もこうならぬよう、時折反省しつつ自分を律する必要がありそうだ。

この日は、29日のランニングモドキで、体力が低下したことを認識し、日常的に運動する必要を感じた。
そこでとりあえず長距離歩こうと考えた実行した。

お金が無くなったので、先ず駅前の銀行にお金をおろした後、その近くのドラッグストアで、風邪のひき始めに非常に効果がある葛根湯(29日のくしゃみ連発で服用しなくなった)を購入してから、銀行と逆方向にあるファストフードに行って、その後自宅に帰宅する計画を立て実行した。

それを実行するとき、最後まで速足で歩くこと、そして歩く姿勢を正しくすることを条件として実行することにした。
実は、29日のランニングモドキを行った時に、腰の疲労を強く感じた。
どうやら、それまで長い期間ジムのトレッドミルでランニングするときに、速く走ろうと思うあまり、前かがみになり猫背になりながら走る癖がついてしまったようなのだ。
胸を張って前かがみになる姿勢と、猫背で重心を前にするのでは大違いなのだ。
重心を前にするときは、猫背でなく体全体を前屈みにし、胸はまっすぐでないといけないと考えた。
即ち、前かがみの場合でも常に胸を張った姿勢で走る必要があると思った。
今までランニングをしていると、腰に強い疲労感があったが、これは猫背にしたために腰から上の背筋に無理がかかり、背筋が疲労したためだと考え、歩きながら猫背にならぬよう常に胸を張ることを考え歩いた。
そして、早歩きの為重心を前に移す時も、猫背でなく胸を張り、体をまっすぐに倒してして歩くように心がけた。
そうすると、腰の疲労も感じなくなった。

ファストフードで読書したが、疲れたのか強い眠気に襲われたので、早めに切り上げて帰宅した。
この日歩いたのは、トータル5.8kmだった。
足は、かなり疲労しているのを感じた。
脚力自体が衰え始めたのだろう。
その夜、銭湯に行き体を休めた。
男湯では、私がその日の最終の客だった。


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