散歩者goo 

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昨日記181130  金(西天満 立憲パートナーズミーティング)

2018年12月28日 15時22分13秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午後、立憲カフェのパートナーズミーティングへの提言を考え文書にしてメールで送った。
夕方から、天満へ行き画廊を見て回る。
その後歩いて立憲カフェに行き、パートナーズミーティングに参加した。
様々な議論があったが、何も決まらず。
私が、考えた提案も発表しなかった。
統一地方選挙が迫っているのにパートナーズは組織的に動く気配がない。
そもそも、形はあっても組織はないので当然といえる。(末尾の参考参照 誰でも500円払えば入会できる。)
その割には大阪府連の総会では、立憲カフェへの期待が述べられたが、現状と実態をどう把握しているのか、同時に各議員応援会とパートナーズとの関係も明確にすべきなのだが。
とにかく、組織のない集団はいくら集まっても力にはなりえない。(所属意識は鮮明になる。)



参考(立憲民主党のHPより)
「立憲パートナーズ」は、
「党員」や「サポーター」といった政党の応援団ではありません。
政治家と国民は、民主主義を前に進める対等なパートナーであるべき。

「民主主義は市民の主体的な参加によって成り立つ」
という理念を実現していくためのチャレンジこそ、
立憲民主党の使命です。

「立憲パートナーズ」とは、
このチャレンジを担う国民と政治家によるプロジェクトです。

国民と政治家がパートナーシップを結び、
共に実現するべき社会に向かって議論し、
行動するネットワークでもあります。
まずは、あなたの地域の活動から参加してみませんか。
ボトムアップの政治はあなたから始まります。
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ギャラリーCRUCEの上六時代(1990―1995年)

2018年12月28日 14時28分44秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
私が経営していた画廊は、1990年のころ、上本町にある日赤病院の近くの石ヶ辻町の雑居ビルの2階で5年間営業していた。
その時は、現代美術に対する知識はなく、具象美術を中心に貸し画廊をしていた。
素人が始めた画廊で、美術家のつては皆無であった。

そもそも画廊を始めるきっかけは、中南米の民芸雑貨の店を十三で1年間やっていた時に、隣に画廊が来て、その画廊の主人にアメリカから版画を輸入して持ち帰ったら儲かる、安ければ買うといわれ、その言葉を信じてロスアンジェルス、シカゴ、ニューヨークの画廊を見て回ったことがきっかけだ。
アメリカに行って、NYにある画廊のオーナーが私の話に興味を示し、これから売れそうな版画を見せてくれた。
その中のトーマスマックナイトやミシェルドラクロアもあったが、当時日本には入っていなかった。
その画廊の取引先は、大手百貨店だったので(取引書類も見せてくれた。)驚いた。
お金を送れば作品を送るという約束で別れた。
帰国後、そのギャラリーに送金し、作品は届いた。

その後額縁屋を調べ額装してもらい、ギャラリーへ売り込みに回った。
まず、隣のギャラリーは「売れるかどうかわからんのに買い取られへん」という返事にショックを受けた。
版画類は、シャガールやミロを含め1千万円近い買い物だった。
その後、仕方なく必死で画廊回りしたが売れなかった。

そこで、心斎橋の貸し画廊を借り展示即売会を開いたが、ほとんど客は来ず、私に同情した貸し画廊のオーナーが、オーナーの友人を紹介してくれた。
その人は新しく奈良に画廊を作るというので、何度も往復し原価(各種経費を入れると大きく原価割れ)に近い価格で、手持ちの版画を購入してもらった。
展示即売会では、たまに美術家が何度か来て話をするようになった。
その後、彼の友人の版画家も来た。
展示即売会終了後、美術家と、版画家のアトリエにも行った。
展示即売会は何度も行ったが、1週間で20万円余りの会場費の出費が重なり、展示即売会を継続できなくなった。
トーマス・マックナイトやミシェル・ドラクロアの版画が、百万円単位で残っていて買い手はつかなかった。
仕方なく、それなら自分でギャラリーを開いて貸しギャラリー兼民芸雑貨の店をしようと思った。
というのは十三での民芸雑貨の売れ残りの在庫がかなりあったのだ。
だが、画廊経営や、美術家とのコネクションは皆無だった。

それでも場所を探し、天王寺区の石ヶ辻町の雑居ビルに安い物件を見つけた。(近鉄上六駅南)
日赤のそばなので、集客できると思ったが、大きな失敗だった。
ビルの一室を契約後、自分で改装計画を立て民芸雑貨もギャラリー内に置きながら、作品展示もするという、いまから思えば馬鹿げたギャラリーを作ってしまった。
その後5年間経営し、ほかのギャラリーも回り、作家の話も聞いて徐々にギャラリー経営の様子が分かった。
極端に言うと、ギャラリー経営に定石はないということだ。
ただ、ギャラリー内に余分な商品を持ち込むと貸し画廊としては失格ということは、5年後西天満に移転するまで認識できていなかった。(ホワイトキューブにすることは貸しギャラリーとしては常識以前の話で、論外の話だと今は思っている。)

近鉄上六近くの石が辻町で5年間営業した間に、具象作家や、現代作家の展覧会ができたが、販売の主力は具象美術と塔本さんの作品だった。
作家未満の素人具象作家の歯科医に騙されて、下手な絵を安くするからと何枚か買わされたこともあった。
具象美術に関しては、開廊時に展覧会をさせてもらった作家関係からの展開はほとんどなく、開廊当時は将来の展望が描けず絶望感で打ちのめされていたが、その後の塔本さんご一家の展覧会で、具象作家とも多くの関係を持つことができたし、作品を塔本さんのファンに売ることもできた。
同時に、塔本賢一さんの個展を機に、自由美術の作家達とも懇意になり、グループ展や個展を開いてもらった。

多くの現代美術作家も来場した。
というのは当時近鉄上本町駅の南に、ABCギャラリーという美術館レベルの巨大な企画ギャラリー(朝日放送 近鉄 大林組主催)があり現代作家とは、容易に話ができ、その流れで寄ってもらうことができた。
特に、塔本賢一さんは、ABCコンクールで、毎年入選受賞を繰り返していたが、塔本さんの展覧会をさせていただいたことで、ABCコンクール出品作家や塔本さんの友人の現代作家も多く来場していただいた。
また、2018年11月3日に亡くなられ世界的に活躍された、現代美術家堀尾貞治さんの個展を開かせていただいたことにより、多くの現代作家や堀尾さんのグループの人たちも来場していただいた。
そうした中で、G,S,カビール氏と知り合い、何度か個展を開いたことも大きな収穫だった。
バングラデシュでは、国を代表する美術家だったが、日本では一留学生だったが、ABCギャラリーのパーティーにカビール氏を連れてゆき、有力な作家たちに紹介し、それ以降、現代作家たちに彼の作品を知ってもらったのは、大きな収穫だった。

こうして開廊時は美術家ともほとんど接点がなかった私が、数年後には、美術家と多くの接点を持つようになった。
しかし現代美術に関しては、当時私の認識・知識が全くついて行っておらず、今から思えばよく展覧会をさせてもらえたなと思っていて、当時の関係者の方に感謝している。


関連ブログ「昨日記160319土(有償ボランティア 西天満 貧困時期の経過 ジム)」



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