散歩者goo 

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昨日記190101 火(春日大社へ初詣し森の中で迷う 電子レンジの寿命)

2019年01月04日 20時29分10秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
朝は、いつもの鶏肉の温野菜に丸餅を4個トッピングして、お正月らしく雑煮仕立てにし他雑煮を食べた。
普段は餅ではなく、食パンに純粋蜂蜜(名前が純粋とついていても蜂蜜もどきの安い製品が出回っているがそういうのは使わない。)を塗って食べているが、おいしい蜂蜜パンが食べられないのが残念。
雑煮を食べる前に、お屠蘇代わりの酒を飲みながら、雑煮も味わった。
食後に梅酒も買っておいたので、封を開けて飲んだ。
梅はクエン酸の疲労回復効果のみならず、筋肉増強作用があることが実験で確認されていると、TVで医学関係者が言っていたので、ここ数か月梅干しを買って食べている。
その延長線上で、梅酒でもその効果あるかどうか全くわからないが、そういう関係から正月は楽しみの一つとしと同時にそうしたことを期待しつつ梅酒を飲むことにした。
因みに、5ー6年前に2ー3年間本格的梅酒づくりをしたことがあったが、その後、再び梅酒のシーズンが来た時に自家製梅酒と市販梅酒と価格差が無いか市販の梅酒のほうが安いことがわかり、梅酒づくりをやめシーズンには市販の梅酒を購入して飲んでいたが、その後シーズンが来ても梅酒も飲まなくなった。

午後から初詣でに出かけた。
私は、子供のころは神仏に祈っていて、信仰心はあった。(般若心経や祝詞も暗唱していた。)
今は各種宗教について美術・哲学・考古学・文化人類学・宗教学的見方での知識(仏教・キリスト教・神道関係の本も多少かじった。)は持っていても、特別な信仰心は持っていないが、正月は気晴らしに初詣に行くことが多い。(現在、神の存在を否定する無宗教と、神を認める立場の間を行き来している。)
50歳ごろまでは、奈良の春日大社から新薬師寺に行くことが多かった。
30歳過ぎから、考古学古代史に興味をもって勉強もしていて、そうした関係から50歳ぐらいから大阪一の宮の住吉大社に興味が出ていくようになった。
しかし、住吉大社はものすごい人出で、参拝するまで長い行列で通行規制があり長時間待たされた。
今年は、久しぶりに昔行った春日大社へお参りすることにした。

まだ経済的に余裕のあった20代30代のころには、奈良によく行った。
20代のころは、休日に仏像の美に興味を持ち、仏像心と形(望月 信成、 佐和 隆研、 梅原 猛)や亀井勝一郎の本や和辻哲郎の「古寺巡礼」やその他ガイドブックを読みながら、大和の古寺を回った。
当時寺とその周囲は、整備されておらず荒れていて、素朴で今のように美しくなかった。
また、奈良公園のささやきの小道から柳生街道への滝坂の道は、散歩道感覚で暇つぶしによく歩いたし、足を延ばして柳生までもよく行った。
山野辺の道もたびたび歩いた。
そんな関係で、40歳ぐらいまでは初もうでは春日大社から新薬師寺を回るコースが私の定番で、途中滝坂の道によって石仏を見て回ったりもした。
あしびの咲くころや、秋は飛び火野を横切り、森を突っ切り「ささやきの小径」を通り、新薬師寺まで行った。
今はやっているかどうか知らないが、新薬師寺では火打飯があって、庭を見ながらの昼食がお気に入りだった。
新薬師寺に行く目的は、新薬師寺の十二神将像がお気に入りで、いつも長時間見ていた。
帰りには、興福寺の宝物館で阿修羅像や多くの国宝を心行くまで見ることも多かった。
こうしたことは3―40年前の話で、今の仏像ブームや阿修羅ブームとは縁がなく、当時は拝観者もかなり少なかった。
当時の、私のお寺まわりのきっかけは、NHKTVの仏像講座(佐和 隆研の教養講座?)と土門拳の写真から影響を受けたことは間違いない。

春日大社では、拝殿前では入場制限があり、かなり時間がかかった。
参拝後、昔よく行ったささやきの小径を探しに歩いた。
その道はすぐに見つかり、志賀直哉の旧居近くまで行った。
それから、飛び火野に行く道があったはずと思い、それらしい道に入り森の中に入った。
はじめは道もあり、小川には橋もかかっていたが、それから先は道がわからなくなった。
道に迷いつつ歩いていると、昔よく通った飛び火野の森に囲まれた大きな草原に出た。
その、森を潜り抜けると、飛び火野に出て、その向こうは奈良公園だ。
しかし目の前に、昔なかった金網の柵が森の周囲をかこっていて、飛び火野に行くことができない。
どうやら、鹿野苑が拡張されたらしい。
道を探したが、柵は川まで封鎖されていて、奈良公園へ抜けることはできなかった。
日も暮れかかり、仕方なく元来た道を探し迷いながら、ささやきの小径に戻り、志賀直哉旧居まで出た。
その後、興福寺横から餅飯殿センター街・東向き商店街に入りファストフードに寄り、1ー2時間コーヒーを飲みながら縄文時代の貝塚遺跡の本を読み読了した。
その遺跡は、まだ1割程度も発掘されていないという。
縄文時代、多くの人が移動していたようで、興味深い話がいろいろ書いてあった。
今後の研究成果を期待したい。

帰宅後、いつものように副食に特製出汁を入れいつもの温野菜を作った。
その後餅を入れ1分半過熱した。
その後大根おろしを温野菜の上にトッピングしたので、温野菜を再度加熱しようと電子レンジの電源を入れたとたん、ピーという音が鳴りそれ以降うんともすんとも言わなくなった。
幸い、その時温野菜とご飯は仕上がっていたので、そのまま夕食にした。
夕食後電子レンジで考える範囲いろいろ操作したが何も動かなくなった。
電子レンジは、さび付きボロボロの状態、でいつ故障してもおかしくないと思っていた。
海外の会社傘下に入ったS社の製品で、その時は技術力があると信用して購入した。
しかし、購入後1年目で電源が入らなくなくなり、それ以来故障するまで扉をガムテープで止めて運転していた。(扉がしっかり閉まっていないと電源が入らないが、1年たつと扉に隙間が出るようになった。)
週に1度ぐらいガムテープを交換して、扉についた接着面の接着のりをきれいに取り除かないと、扉がしっかり閉まらず電源が入らなくなるのだ。
それ以来、その会社の品質を信頼しなくなった。(コスト優先でやった結果だと考えている。)
さらに、レンジ内はさび付いてボロボロの状態で、扉のペアグラスも曇りが出て、扉のスポット溶接も一部外れ始めたのでガムテープで締め付けていた。(信じられない)

この日夜遅くまで、試行錯誤したが諦めて寝た。
寝ながら翌日からの行動を考えた。
私の食事は、主食は朝がパン、昼と夜はご飯で、副食は3食同じものを食べていて、原則すべて自炊である。
このパターンは、盆正月も変わらず、ほとんど365日同じものを食べている。
副食の調理は、電子レンジのみだ。
電子レンジが使えなくなると、外食に頼るしかない。
都市ガスは、止め栓しているし、たとえカセットコンロを購入したとしても、最近はガスコンロで調理したことはなく、メニューも用意していない。
当分朝昼夜外に出て外食するか弁当を購入するしかないが、食費が一挙に跳ね上がるのは避けられない。
電子レンジの買い替え費用も用意せねばならず、電子レンジを買わず外食すれば、1日千円から2千円かかり、このままではすぐに赤字になる。
また外食では、今作っている副食の栄養価はとても確保できない。(副食は栄養価を計算して食材を決定しているので、健康状態は良好である。)
翌日は、全力を挙げて、電子レンジを購入しなければならないと思った。


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