朝8時に起きた。
日曜日ということもあり、いつものようにTVを見ながらだらだらと片付けやら食事の準備をしていると、食事をとったのが、結局11時半ごろになった。
10時頃から、片付けや食事準備の進み具合から、アメリのドミトリーでは普通だった日曜日は朝食抜きの朝昼兼用のブランチにするのも悪くないなという意識があり、ある程度意識的にブランチの方向にもっていったようだ。
午後からは阪急石橋(池田市)の画廊ぶらんしゅで行われている吉田哲夫展に行くことに決めていた。
吉田氏とは画廊時代からの交流があり展覧会は、できる限り行くようにしている。
石橋駅に着くと、やたら多くの若者が駅に出入りしていて、商店街も多くの若者がいた。
ここには、大阪大学のキャンパスがあるので、そのあたりの催し物があるのかと思った。
画廊ぶらんしゅには何度も行っているが、駅を降りる時にいつも道に迷う。
まず、駅構内で地図を確認しないまま、うろ覚えで西出口に出ずに東出口に出たことが原因で迷うのがほとんどで、東出口周辺の商店街をうろうろ歩きまわり道に迷うことが多い。
この日も迷いかけたが、何度も間違いを繰り返しているので、案内はがきを見て反対側の西出口と気づき、迷わず行くことができた。
商店街の途中にあるスーパーは、野菜が安く(多分周辺農家の新鮮な作物)、自宅周辺のスーパーの特価品よりさらに安いので、いつも購入したい衝動に駆られるが、荷物になるのでやめている。
大きな画廊の会場には、吉田さんの作品が展示されていた。
彼の作品には、明確なメッセージが込められていて、それがタイトルにもなっている。
作品の背景には、社会や政治経済と庶民の生活についての芸術家としての観察眼があり、いかに社会の矛盾や不条理を象徴的に批判的に描き出すかということに情熱を注いでいることがよくうかがえる。
彼の作品は見ごたえがあり、評論家やキューレーターの目に留まってもよい作品と思っているが、作品の質とは裏腹に知名度はそれほど高くないのが残念だ。
会場横の、談話室にも小品の作品が展示されている。
そこで、他の来客の方も含め1時間ばかり話し込んでいた。
しばらく話していると運送業者が来た。
運送業者は会場で吉田氏と少し話した後、会場の作品を丁寧に見て歩いていた。
その横顔にどこか見覚えがある。
業者が、談話室にも来たので「もしかして、Tさんではないか」と声をかけると、やはりそうだった。
T氏は、作家活動もしていて、最近は亡くなられた堀尾貞治さんのグループに参加して活動していて、その作品も目にしていたが、1―2年に一度はどこかのギャラリーやパーティーで彼と会うことがある。
ギャラリーを経営していた時代は、T氏もよくギャラリーに来ていて、天王寺の美術研究所の仲間たちの話をしていた。
ギャラリーを後にして、ついでに石橋駅の近くにある宴会場(同窓会会場候補として)の下見をしようと思い寄ったが、よくわからず駅に戻った。
阪急梅田駅から天満橋まで歩き、いつも行くファストフードでお茶しながら読書をした。
帰宅後は、副食ができていなかったので、大急ぎで作り遅い夕食となった。
日曜日ということもあり、いつものようにTVを見ながらだらだらと片付けやら食事の準備をしていると、食事をとったのが、結局11時半ごろになった。
10時頃から、片付けや食事準備の進み具合から、アメリのドミトリーでは普通だった日曜日は朝食抜きの朝昼兼用のブランチにするのも悪くないなという意識があり、ある程度意識的にブランチの方向にもっていったようだ。
午後からは阪急石橋(池田市)の画廊ぶらんしゅで行われている吉田哲夫展に行くことに決めていた。
吉田氏とは画廊時代からの交流があり展覧会は、できる限り行くようにしている。
石橋駅に着くと、やたら多くの若者が駅に出入りしていて、商店街も多くの若者がいた。
ここには、大阪大学のキャンパスがあるので、そのあたりの催し物があるのかと思った。
画廊ぶらんしゅには何度も行っているが、駅を降りる時にいつも道に迷う。
まず、駅構内で地図を確認しないまま、うろ覚えで西出口に出ずに東出口に出たことが原因で迷うのがほとんどで、東出口周辺の商店街をうろうろ歩きまわり道に迷うことが多い。
この日も迷いかけたが、何度も間違いを繰り返しているので、案内はがきを見て反対側の西出口と気づき、迷わず行くことができた。
商店街の途中にあるスーパーは、野菜が安く(多分周辺農家の新鮮な作物)、自宅周辺のスーパーの特価品よりさらに安いので、いつも購入したい衝動に駆られるが、荷物になるのでやめている。
大きな画廊の会場には、吉田さんの作品が展示されていた。
彼の作品には、明確なメッセージが込められていて、それがタイトルにもなっている。
作品の背景には、社会や政治経済と庶民の生活についての芸術家としての観察眼があり、いかに社会の矛盾や不条理を象徴的に批判的に描き出すかということに情熱を注いでいることがよくうかがえる。
彼の作品は見ごたえがあり、評論家やキューレーターの目に留まってもよい作品と思っているが、作品の質とは裏腹に知名度はそれほど高くないのが残念だ。
会場横の、談話室にも小品の作品が展示されている。
そこで、他の来客の方も含め1時間ばかり話し込んでいた。
しばらく話していると運送業者が来た。
運送業者は会場で吉田氏と少し話した後、会場の作品を丁寧に見て歩いていた。
その横顔にどこか見覚えがある。
業者が、談話室にも来たので「もしかして、Tさんではないか」と声をかけると、やはりそうだった。
T氏は、作家活動もしていて、最近は亡くなられた堀尾貞治さんのグループに参加して活動していて、その作品も目にしていたが、1―2年に一度はどこかのギャラリーやパーティーで彼と会うことがある。
ギャラリーを経営していた時代は、T氏もよくギャラリーに来ていて、天王寺の美術研究所の仲間たちの話をしていた。
ギャラリーを後にして、ついでに石橋駅の近くにある宴会場(同窓会会場候補として)の下見をしようと思い寄ったが、よくわからず駅に戻った。
阪急梅田駅から天満橋まで歩き、いつも行くファストフードでお茶しながら読書をした。
帰宅後は、副食ができていなかったので、大急ぎで作り遅い夕食となった。