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昨日記170516火(中学校の同窓会 美術鑑賞の構造)(追)

2017年05月17日 16時42分59秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低  22.2  15.6  曇
この日は、中学校の同窓会があった。
話では、臨時の同窓会ということだったが、正式の同窓会ということで、幹事の間の連携がずれていたのかもしれない。

何はともあれ、いつものメンバーがほぼ来ていた。
その中に、多分卒業以来会っていなかった?秀才だったW氏が来ていた。
彼は、会社定年退職後、再就職し現場で今も働いていて、大学時代からコーラスやチェロを趣味でやっていて、今も市民オーケストラといった活動にも参加しているという。
会場は、梅田スカイビルイースト23Fにあるレストランだった。
スカイビルには、2Fには行ったことがあるが、上に上ったことはなかった。

会場のレストランの上は展望台になっていて、ほぼ展望台と同じ景色を見ているので、レストランからの見晴らしは非常に良かった。
料理の品数は多くあったが、味は期待したほどではなかった。
お酒も入り、話しは弾んだ。
食事と歓談の後は、地上に降りてJR貨物基地跡の再開発地区にある、うめきたガーデンに行き、皆で多様な花壇を楽しんだ後、ガーデン内のログハウスでお茶を飲みながら、ひとしきりそれぞれの話が盛り上がった。

その後グランフロント大阪で解散になり、私はそのまま皆と別れて、歩いて西天満に向かった。
途中、ギャラリー経営時代、いつも通った道を通って西天満に行き、O-天野―白―HOTと回った。
最近は、天候の都合や、食事関連の家事の都合で、毎週土曜日に西天満に行かなくなった。
同時に私の心の中に、画廊や美術館を見て回って、本当に刺激や感動を受けているのか、といった疑問が渦巻いているのも、影響しているのかもしれない。
現代美術に関しては、同じカテゴリー(文法文脈又は構造又はパラダイム)の作品でも、最近はこれはと思うような作品が、少なくなっている感じがし、その分見て回る楽しみが減少しているような気がしている。

但し、この問題については、以前にも美術の特質で指摘した通り、美術の場合作品を直接見る必要があり、私が数軒のギャラリーを見て回っても、日本中・世界中で日々発表される美術作品の極一部しか見ていなことになるので、西天満のギャラリーだけを観て、現代美術が面白くなくなったとか、迫力が無くなった断言することは、「井の中の蛙」に等しく、大間違いである。
かといって、多くの作品を観るために大阪市内や京都、神戸、奈良の各画廊をすべて見て回ることですら、経済的・物理的に不可能だ。(首都圏 名古屋は更に不可能である。)
この様なことを考えながら、馴染みの画廊を歩いて回った。

この問題に対する結論は、与えられた条件内でその作家の作品を鑑賞し、作品や作家との対話を楽しむしかないということだ。
そうした中で、稀に優れた作家を見いだせれば幸いである。(クラシックの世界でも関西で活躍していた当時無名の若手指揮者が、今や世界でも注目される指揮者になっているし、美術の世界でも同様に、具体美術協会のように始めは世間から正当な評価はされなかったグループが、現在は世界の美術史の中に位置づけられる団体や作家も出ている。そうした具体の作家達と、関西の画廊や美術館で接する機会が多くあった。)
これを、もう一つの趣味であるクラシック音楽に例えるなら、いつもCDで聴いている世界的巨匠の演奏家や指揮者の演奏を生で聴ける機会はほとんど無く、普段は地元の演奏家や指揮者の生演奏を楽しんでいる。また落語でも同様に、トップレベルの噺家の噺を毎回楽しめることは出来ないが、若手の噺をそれなりに楽しむことは、通常の楽しみ方である。
こうした構造の延長線上で考えると、美術に関しても、巨匠の展覧会は美術館で見て、普段は普通の作家や有望な作家の作品を各ギャラリーで見て楽しむということであろう。
こうした構造の前提として、芸術作品=作家(芸術以外に、スポーツや学問も同じ構造である。)には各カテゴリー内(文法文脈又は構造又はパラダイム<例えば現代美術といっても無数の表現形態・構造があり、大枠で考えても、ミニマルの見方でコンセプチャルを鑑賞できないし、ミニマルの中でも様々な方向性=カテゴリーが存在する。>)での序列が存在することは、自明のことである。(オークション コンクール 選抜展 企画展 名品展 貸し画廊での展覧会)

誤解されるといけないので、この文を追加しておく。
私は差別主義者ではないが、現実を見ると、スポーツでは記録や勝敗で序列が付くし、学問では大学、研究機関の業績でトップはノーベル賞から専門家の評価まで一定の序列が存在する。
同様に芸術の世界でも優れたものは、美術館やオークションで取り上げられる。
芸術は、平等という人もいるが、アールブリュットや反権威である現代美術でさえ、序列が存在し、美術館で取り上げた作家・作品を尊重する。
だからと言って、勘違いしないでほしい。
人間は生まれながらに平等で、ここにあげた学問やスポーツや芸術は、人間の持っている特性・特徴の一つに過ぎない。
例えば学問や芸術やスポーツの分野で尊敬される人でも、犯罪を犯す人がいるし、人間的にいい人とは限らない。
人間は、様々な特性を持っていて、何もできないけれど子供にとっては、最高の親である場合もあるだろう。
障害のある人も、人々に感動を与えたり、特異な才能を活かして、その組織ではなくてはならない人になっていること現実にある。

少し話は違うが、以前も書いたが、指導者や幹部が、専門や詳しい知識のないことについても、部下や弟子や生徒に根拠のない話を偉そうにしゃべるのを多く目撃したりすることもある。
(科学の専門家が道徳の話をしたり、芸術家が非科学的な医療行為の話をしたり、経済のことに詳しくないのに伝聞による事実誤認の話を得意げにしたり、ネットの根拠のない話をそのまま信じて事実のように話したり。・・・・)
特に芸術作品については、各分野でそれぞれの文法文脈という体系を持っているので、その分野の知識を多少とも持ってなければ、知らない分野への批判は控えるべきだ。
芸術は、各分野(例えば現代美術でも多くの分野があり、各分野でそれぞれ違う価値観を持っている。例ジャンクアート ミニマル)がそれぞれ独自の価値観で成り立っており、論理で判断することはできない。(美学・美術史といった学問はその条件を定義して論理展開している。)
先に述べたように、例えば現代美術も様々な方向性があり、それぞれの分野で独自の価値観を持っているので、鑑賞する場合は多少なりともその価値観を理解しなければ、鑑賞は成立しない。(例ハードロックの聞き方で、邦楽の長唄を聞くことはできない。)
又、現代芸術の価値観は日々新しく創造されている。(例、ビートルズがデビューし若者の支持を受けた当時、クラシック音楽界では雑音と評していたが、今では立派な芸術作品として評価し、音楽に大きな影響を与えている。)

芸術は、作家の内面の表現(=情報伝達)であり、各作家がそれぞれ独自の世界(=パラダイム)を作品という情報伝達の形(音楽であれば楽譜であり文学であれば半であり美術であれば作品となる。)に託して、鑑賞者に自分の内面を表現しているのである。
その前提として、鑑賞者もある程度の作家と同じパラダイム(文法、技法、コード・感性を含む体系・世界)を暗黙の裡に共有しなければ、作家の内面を正確に知ることは出来なかったり、誤解したりすることになる。(例:恋愛表現・描写の世界を、宗教の世界(愛欲は罪)の見方で味わえない。・・文学の世界の長編物語では、複数の場面で栄枯盛衰や愛欲のはかなさを表現することはあり、その場合は、各場面でそれぞれの世界を形成しいて、物語全体としてそれぞれの世界を含んだ、入れ子構造の大きな世界を形成していると言える。)
従って、たとえ表現方法が稚拙であっても、作品の託された表現内容を知ることで、その価値を知ることが出来、高い評価を得ることもある。
例えば、戦前に生きた長谷川利光は、フォービズムの作家で、美術館にも作品が収蔵され高い評価を得ているが、彼のデッサンは上手くない(というより下手であるが)、味がある。
それだけではない、彼は歌詠みで、文筆力を生かし、美術評論を新聞に書いていて、当時の現代美術の流れにも詳しかった。
彼は最後に行き倒れとなり、施設で死亡し、多くの遺品は焼却されたという。
彼の作品は、高い評価を得ているがその背景に、美術芸術(短歌も含む)を見る力があり、現代美術の本質を理解し、デッサン力は無くても独自の表現をすることで、自分自身も納得した表現をしたに違いないと思う。
そこに彼独自の価値観・文法文脈を生み出し、多くの美術愛好家が彼の価値観に共鳴したと言える。

この様に、表現技巧が稚拙であっても、その背後にある内容や思いや感性が充実していれば、結果として表現の中にほとばしり出てくるようだ。
多分アボリジニやアフリカやポリネシアやエスキモーをはじめとする、民族的なアートも、その民族の文化伝承の背景があるために、人々にその文法文脈がと価値観が理解され、感動を与えていると思う。
こうしたことは、アールブリュットの作品にも当てはまることである。(アールブリュットでも評価される作品と、注目されない作品があり、それ以外指導者に意図的に誘導されたり自然に模倣した作品もよく見る。)

逆に、いくら芸術の知識があり、技巧がうまくても、表現すべき心の中が薄っぺらいものであれば、それだけしか表現できない。
そうした芸術家も、たくさんいる。
自分がほとばしる何かを持たず、平凡な日常感覚(才能ある作家は、日常も新鮮な感性豊かな視線で捉えることが出来る。)しかなければ、どうして作家の内面以上のことを作品に表現出来るのか。
作家は常に、自分自身を様々な意味で研ぎ澄ましておかなければいい作品はできないと考えている。

だが、逆に「サザエさん」や「ちびまる子」のように、何気ない日常を独自の視点で掘り起こすのも、人気を得ていて、表現として評価されている事になる。
そうした意味で落語は、庶民生活の日常のちょっとした出来事を、独自の視点で切り取り強調して付け加え、笑いの芸術にしている。
川柳もそうした意味では、共通する構造があるのかもしれない。
こうした表現は、普段見過ごしている日常の中に新しい切り口視点を提供することで、無味乾燥した日常でありながら、それまでと違った新しい世界を形成していると言えるかも知れない。
この様に考えると、我々凡人は、小学校の夏休みの日記に、書くことが無くて苦労した思い出のある人が多いだろうが、視点を変える努力をすると、同じ日常が、別の世界になるのかもしれないと思ったりもするが、視点を変えるのは難しい。

余談になるが、落語に関しては、上方落語の四天王や枝雀その他実力者の、油ののっている時代の高座(主にダイエー島之内寄席)を何度も聞くことが出来た事は、心の財産である。
大御所の師匠達も、当番で下足番をしていて、私の靴も下駄箱に入れてもらって、恐縮したことを覚えている。

ところで、芸術作品に対する評価は基本的には、価値観が根底にあり、その価値観(時代、風土、文法、文脈、技法、といった諸構造を含むパラダイム)を含むの中で、ヒエラルキー(序列=7優劣)が形成されている。
具体的に言うなら、現代美術なら、ポップアート、コンセプチャル、ミニマル、・・・・・の中ですら分類されるだろうがそうしたカテゴリーの中で、作品の優劣がある。
日本画でも浮世絵、大和絵、応挙派、南画、現代日本画、・・・・各分野でヒエラルキーがあり、印象派、ルネサンス絵画、・・・それぞれの分野カテゴリーで序列がある。
それらは、各カテゴリーの中で更に細かな価値観(年代、文法、文脈、技法、構成・・・・・・)の総合として評価され価値が決まる。
そうした作品の価値は、それぞれの作品のカテゴリー・分類・属性内の価値観によって、個別に決定されるものである。

一般的に作品の価値は、価格で評価される。
価格は、最終的にはオークションで表示される。
画廊で高額で購入しても、オークションで値が付かなければオークションの評価が世間での評価として正しいといえる。
更に、しばしば画廊の評価は恣意的なことがある場合も多い。
オークションの場合は、希少価値故の市場原理によるバブルが発生するが、その場合、作品の評価を正しく反映していない。
ただ、芸術作品では、その分野の人気が無ければ、オークションでの価格が低くかったり、値が付かない場合もある。
市場で値が付かなくても、専門家の間ではその分野での作品の評価が高い場合もよくある。
そういう場合は、そうした分野の作品を研究している専門家、美術館といった研究機関や目利きの画廊、コレクターの意見が、基準になると言えるが、価格の問題については、単に需給関係で値が付かないだけであり、商品としての芸術作品と、芸術的価値からみた芸術作品とは異なると言える。
商品として見た場合、多くの人がその芸術作品の価値が分からなければ、猫に小判の状態と言える。

又、作品の評価は、時代=文化の変化(例:西欧化)とともに大きく変化し、地域でも風土や宗教が影響し、美に対する価値観は大きく異なる。
例えば、ゴッホが生存時、彼の作品はほとんど評価されなかったり、美人の基準も変化している。


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昨日記170515月(外付けHD・スキャンマウス購入)

2017年05月16日 23時35分00秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低  24.8  17.3   曇
日中は、ブログ書きと副食作りに時間を費やす。
夕方から、以前から計画していた外付けハードディスクとタブレットPC用のマウススキャナを買いに梅田の家電量販店に行った。
ネット回線変更に伴い、5月末までの家電量販店のクーポンをもらっていて、それの用途を以前から決めていた。
外付けハードディスクは容量が2Tで、PCにUSB接続で電源も同時使用で、1万円余り。
それに、マウススキャナを購入した。
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昨日記170514日 (自然史博物館・ヒスイ ジム・ラン) 

2017年05月16日 21時52分26秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低  26.3  16.1  薄曇後晴
この日は、予定通りプチ断食を実行した。
午前中は、何もすることなくTVと新聞を見て過ごした。
午後から長居公園にある大阪市立自然史博物館に行った。
自然史博物館では特別展「石は地球のワンダー」を行っていた。
この日はヒスイに関する、講演会が開かれたので、それを聞きに行った。
糸魚川のヒスイは、縄文や弥生時代から各地の遺跡で出土している。
しかし、私はヒスイに関する知識がほとんどないので、ヒスイのことが多少でも分かればと思って講演会に参加した。
ヒスイが日本の国石に指定された経緯も詳しく説明された。
ヒスイは、プレートの境界部分で生まれ、地上に押し上げられるという。
従って、どこでも産出する訳ではなく限られた場所でしか産出しないといい。日本での代表的な産地は糸魚川だという。
今も、糸魚川の海岸線で運が良ければヒスイを拾うことが出来るという。
その他様々な興味ある話を聞いた。
講演会終了後、特別展を見た。
多数の石のコレクションや化石が並んでいたが、素人の私には全く分からなかった。
展示は写真撮影自由(フラッシュ禁止)で解説も撮影可という。
興味ある展覧会だった。

帰りは、ファストフードに寄り読書してから帰宅した。
帰宅後はジムに行き、20分程ランニングを行った。
この週は、6日間ジムに行ったことになる。

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昨日記170513土(雨漏り 60歳と現在の筋力比較 食事関係家事)

2017年05月15日 13時35分08秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 20.3  15.3 雨後曇 
この日午前5時前ものすごい大雨が降ったようだ。
ポト・ポト・と数秒に1回程度定期的な雨だれの音で目ざめた。
音は大きいので、この部屋の天井に雨漏りがしていると思った。
外では、めったに聞かない豪雨の音らしきものが聞こえる。
どこかで雨漏りがしていると思い、起きて明りを付けた。
見回したところ寝ている3畳の間の天井は雨漏りの気配はないので、玄関や台所や炊事場を調べたが、異状はない。
多分天井裏に雨漏りしているが、まだ部屋にまで落ちてこないのだろうと思い、様子を見ることにして、寝ようと思い、布団に入りかけたとたん、羽毛布団の左端に水に濡れた跡あり、その時ポトと音がして、水しぶきが上がった。
羽毛布団の表は化繊なので、木綿と違い、水をある程度はじいていて、低い方に流れを作っていて、布団の上にわずかに水たまりが出来ていた。
大急ぎで布団の上の水を拭き、とりあえずティッシュを置いた。
さて、バケツは、と考えたが、園芸用の土入れに使ったり、数十年来便所前の縁側に置いてあるポリバケツは、劣化で割れていて使い物にならない。
仕方なく銭湯に持っていく洗面器を雨漏りの場所に置いて寝ることにした。
幸い雨漏りは、寝具のマットの外側なので、掛け布団を右に寄せ、風呂用洗面器をマット横のフローリングに直接置いて対処した。
その後、雨は普通になり雨漏りは無くなったが、しばらくして2度目の雨漏りがあったが、それもすぐに収まった。

そんなわけで、雨漏りや外の豪雨が気になり5時以降も床に就いたが、うつらうつら夢を見たりしていたが、ぐっすりと寝られなかった。

午前中いつものように朝食後の短い昼寝の後、ジムから持ち帰った運動記録をフォルダーに収納しながら、過去の記録を調べた。
ジムには、60歳になったことをきっかけに翌年の2005年1月10日から通い出した。
2005年7月の記録では、
トレッドミル 時速6km 5分間(準備運動 歩行)  時速10km 10分間 が限界だった。
現在では、トレーニングを変化させているので比較は難しいが、多分時速9.2km30分間程度は、何とか走れる。
限界スピードになると長時間走れない。
時速10km10分間限界状態で走れても、時速8.5kmで30分間走ることはできないと思っている。
その他筋トレの記録は次の通り。

筋トレについては、2006年7月1日からマシンが変更されているので、2005年7月の記録は参考値(単位 Kg)
         2005年7月各15回   2006年7月各10回以上 2017年4月各10回以上
ラットプルダウン       36         39           45 
(腕の上からの引き下げ) 
チェストプレス        31.5        27           45
(腕の押し出し)
フライ                      10           27
(胸・腕を胸の前で閉じる)
ロウリアデルト                  33           68
(腕を引く・漕ぎの動作)
ショルダープレス      31.5
データーで見る限り、ジムに通い始めて、60歳から72歳までの筋力の変化がよくわかる。
ジムに通う目的は、ボディビルと無関係で(全く関心もない)、私的医療費の削減と、健康維持、体の老化防止のためであったが、これほど効果が出るとは思わなかった。
ランニングのおかげで、同じ距離歩いても疲れなくなった。
この結果を出すために、最新の健康情報を基に、プロテインやサプリの補給やバランスのとれた食事を工夫したことが、目標の筋力増強・健康維持を達成する大きな要因の一つになったことは、疑いない。
細胞は日々新陳代謝で置き換えられているので、体の再生産に見合う栄養補給は絶対必要。

午後からは、炊飯をし、冷凍ご飯を10食余り作ったり食材の買い出しに3カ所のスーパーを回った。
夜には、ジムに行き、筋トレを行った。


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昨日記170512金 (暑さ対策試案 ジムランニング)

2017年05月13日 13時24分37秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 27.4  18.2  曇時々晴
ここ数日夏日になった。
そこで、朝から地獄の夏対策に思いを巡らせた。
クーラーを導入せずに、暑さを緩和することを考えた。
我が家は、長屋で表と裏庭に植木があるため、クーラーの凝縮器を置きにくいし、熱がこもりやすい。
それに、家の構造が、昭和10年以前の木造長屋で、その上古いので隙間が多く風通しがよく、クーラーがあまり効かない可能性がある。
今まで、夏場は朦朧としながらも暮らしてきたので、もう一工夫すれば、朦朧とならずに暮らせるようになるのではないかと考えた。
とにかく朦朧とした状態で暮らすことは、多分生命の危機にもつながりかねない事態だと考えている。

とにかく家に熱がこもって室温が31℃をくだらないことを解消すべきだと考えた。
特に、夜中に、表から裏方向、即ち東風が吹くときは、炊事場にある冷蔵庫の廃熱が、もろに私の寝ている3畳の間を通過して、裏庭に抜けていくため、暑さで目覚めることが多く、昼間は眠気も加わって、終日朦朧としている。
逆に、裏庭からの西風の場合は、木々の葉を通った風は冷涼で心地よく、西風の場合はよく眠れる。
こうした条件から、炊事場に、大きめの換気扇をつけ、冷蔵庫の廃熱を強制的に表に排出するようにしようと考えた。
この場合、東風の風圧に負けないだけの、換気扇の能力が必要である事は、いうまでもない。
同時に、協力換気扇を取り付け、家に強制的に、裏庭から吸気し表に換気扇で排出することで、室内に強制的に西風が発生することになる。
今まで夏には、裏庭の縁側に扇風機を置いて、強制的に裏庭から空気を送り込んでいたが、自然の風が、東風の場合、効果が相殺された。
また扇風機で風を送り込むことで、扇風機による風の運動エネルギー=扇風機モーターの出力が室内で熱エネルギーに変換され、1-2度程度だが温度上昇を招く
少なくとも、換気戦で換気して即屋外に排出すれば、その運動エネルギーは排気とともに屋外に排出されるので、室内温度が上昇することはなく、裏庭の新鮮で多少冷涼な空気が室内に充満することになり、多少とも室温を下げる効果が期待できる。
それ以外、日の当たる壁や屋根に、反射塗料を塗ったり、遮光用の植物(ブドウ・ゴーヤ・アサガオ)を配置することも考えられる。
その他、毎年行っているが、枕は保冷剤の枕を使用し最低限熱中症を予防する予定。
保冷材の保冷シートも購入して使用したが、始め冷えすぎたりして温度調整が難しく、使用後数時間すると効果が無くなり、かえって暑くなり、夜中に目覚め暑くて寝付けなくなる。
今考えたのだが、断熱を工夫することで問題を解消できるかもしれない。
実は、冷凍枕にも同じ問題があったが、断熱を工夫したことで10時間以上保冷効果を貯めて、冷えすぎず快適な温度で眠れるようになった
それ以外に、散水用給水ホースを大量に使用して、ホースそのものを水冷装置にすることも検討している。
水道の水温は、地中配管を通るため、少なくとも外気温より数度以上低いので、その水の配管を熱交換器として十分使えると考えている。
熱交換器とすれば、単に通水してわずかに水を流し排水しているホースを、壁に大量に下げておくだけでも、ホースの温度は水道水の温度で室温より低いので冷却器となる。(オイルヒータと同じ原理)
こんなことを、いろいろ考え、具体化するための方策を考えたが、具体化にはもう少し具体的検討が必要だろう。

夕方から、食材の買い出しに出かけ、当面必要な夕食分の副食を作った。
その後、大急ぎで準備し門限ぎりぎりでジムに行き20分余りランニングを行った。
時速11km1分間と9km3分間のメニューで走ったが、やはり途中休憩を入れないと苦しくて走れない状態だった。
この厳しいトレーニングに慣れるのに何か月かかるか分からないが、苦しいと思わなくても走れるように慣れるまでやってみようと思っている。

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昨日記170511木 (バラの手入れ ジム)

2017年05月12日 12時48分21秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 24.9   17.0 晴後時々薄曇
朝、ゴミ出しついでに、表にあるバラの選定を行った。
大量の花が美しく咲いている。
このバラは、ギャラリーで個展が行われていた時に、来場者が作家に贈った高級花束だった。
とても上品で美しい花だった。
個展が終わると、作家は持ち帰らないので、捨ててくださいというので、家に持ち帰り飾った。
その後、ダメモトで挿し木をしてみようと思い立ち、実行した。
多くの枝を挿し木したが、1本だけ根が生え、育った。
そのバラが、今は、家の前に植えて、大きな株になっている。
ある朝、台所で洗物をしていると身なりの良い中年の見知らぬ人が、植木ばさみを持って枝を切りに来たので、表に出て「何をするんや」と詰問した。
「バラがキレイので、枝をもらいに来た」という。
とりあえず、彼に注意し一枝切ってあげた。
それ以外にも、近所の人から、枝が欲しいと言われたことがある。
そういえば、昨日ずいぶん多くの枝を切ったが、ゴミに出さず挿し木すればよかった。
またしばらくすれば枝が伸びて切ることになるので、その時に挿し木してみよう。
バラを手入れせずにおくと、葉が密集しすぐに病気になる。
毎年めんどくさいので、伸び放題にしていて、病気が広がってから病気の枝を切っていた。
事前に手入れしたのは、今年が初めてだ。
実は、ブドウも手入れしなければならないが、毎年放置している。
多分屋根の上に、大量の巨峰とデラウエアが実るはずだ。
同時に、葉が密集していると害虫も多くつく。
葉が少ないと害虫の天敵である蜂が飛び回りやすくなり、害虫を抑制できる。
夏になると茂った葉の周りに、アシナガバチがやってきてパットロールしている。
ブドウの葉には、例年テントウムシもどきが大量に発生し、葉を丸坊主にする可能性がある。

ある時、椿の害虫チャドクガがブドウにも発生したことがあった。
始め、珍しく椿や山茶花の葉をかじる虫がいることに気付いた。
そのまま放置していた。
その後、夏なので、いつものように裏庭で水シャワーを浴びていて、何か刺されるような痛みを感じた。
痛みのある所に筋状に腫れ上がっていた。
始め、毒蛾にでもやられたのかと思って、念のため毒蛾についてネットで調べた。
するとチャドクガに行きついた。
チャドクガは猛毒を持っていて、非常に扱いが厄介なことを知った。
だが翌日も、同様のことが起きたので、どうやら椿の葉をかじっていたのは、チャドクガに違いないと思い、翌日恐るおそる調べた。
何と、幼虫が何匹もいた。
殺しても、毒針の効力は変わらないので非常に厄介で、洗っても少しでも毒針が残っていれば毒にやられる。
1匹ずつ捕獲してビニール袋に入れ処分した。
ところが、別の日に裏の路地にはみ出したブドウの枝のせんていをしていると、激痛を感じた。
やはり線状に即はれ上がっていた。
まさかブドウの葉にいるとは思わなかったが、慎重に枝を切り落としてから、葉を一枚ずつ調べると、10匹以上の小さい幼虫が頭を振っていた。
殺虫剤を大量に撒き、足で踏みつぶした。

昼過ぎに、ウインドウズプログラムの大きな更新があったようで、その前後フリーズしたり、ネット上の不具合化といろいろ調べたりしたが、マイクロソフトからの通知が届き、以前から自動更新が失敗していた大きなプログラムが、自動更新に成功したという連絡が入り、一連のフリーズやネットの遅延やハードディスクの頻繁な動作の原因がプログラム更新であることが分かった。
プログラム更新の対応で多少時間がとられた。

夜になって、ジムに行き筋トレを行った。
前回のトレーニング後、少し落ちた筋肉が回復している感じであった。

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昨日記170510水 (ついに来た還付金詐欺) 

2017年05月11日 19時05分10秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 24.6  14.8 曇時々晴一時雨
昼食を済ませて、短い昼寝をしていると、突然電話がなった。
めったにかかってくることのない電話のほとんどが、営業電話である。
かかってくるたびに一応電話に出るが、会社名を名乗ると「結構です」と言った後すぐに電話を切り迷惑電話に登録してやる。
以前は多少話を聞いたが、時間のむだと思うようになった。

しかし、昨日の電話は区役所からの電話であった。
中年男性の落ち着いた声で「〇✖区役所の保険課の△と申しますが、〇〇さんいらっしゃいますか」と事務的な語り口。
「昨年6月に、保険金払い戻しの書類をお送りしたのですが、返信が無いので確認のお電話をいたしました。」という。
「還付金なら去年歯科の高額医療費の還付金の手続きをして受給済みですがと言うと、「それとは別の保険料金の払い戻しの書類をお送りしていますが、お手元にございませんか。」というので、私は「そんなのお貰っていない」と答えた。
相手が「返信の手続きをお願いしたいのですが」と言うので、「じゃあ、再度送ってください、書いて送りますから」と言って電話を切ろうとした。
すると、「もう、期限が切れていますので、銀行での受け取りになります。こちらから銀行に連絡しておきますので、いいですか。」という。
私が「ああ結構ですよ。じゃあ、よろしく。」と答え再び電話を切ろうとすると、相手は「待ってください、連絡するので、受け取り先の銀行名と支店を教えてください」というので、が「保険担当の方なら、私の保険の取引銀行や支店はそちらで分かっているのではないですか。」と相手に言いつつ、金融機関の具体的な話になってきているので、直感的に怪しいと感じた。
相手は「窓口が違うので、分からないんです。」という。
私が「あんた、詐欺師やろ!」というと、「失礼な、なぜそんなことを言うんですか」と相手はあくまで冷静な語り口で話してくる。
その後しばらくやり取りが続いた。
私は、警察に連絡するという意味のことを言っても、相手はなおも丁寧な語り口でいろいろ言ってくるので、電話を切った。

その後、すぐに管轄の警察署に電話を入れ、事の次第を話した。
警察の担当の方は、還付金詐欺に間違いなく、区内で同様の事件が多発しているとのことだった。

今回の件では、私も途中まで詐欺師の話に乗っていた。
銀行名の話が出て、すぐに相手の正体に疑いを持った。
しかし、あの語り口では、騙される人が居るだろう。
例えば、以前も書いたように、スーパーのレジで財布の中の札と小銭を適当に出して、その中からレジの人に必要なお金を勘定してもらっていたり、大量の小銭で財布が膨らんでいるのに、支払いに出した小銭が勘定できず支払いに手間取、お札で払って更に小銭のつり銭をもらっているような老人達を頻繁に見かけている。
こうした認知症予備軍か、認知症の人なら、痰単に騙されるだろう。
詐欺師は、集中的に電話をしている可能性があるかもしれない。
判断力が衰えていると思われる人たちには、周囲の人の見守りが必要なのだろう。

夜は、ジムに行きランニングをした。
1週間ぶりなので、体力の低下は覚悟していた。
やはり、いつものメニューで走るとしんどくて、ついていけなかった。
そこで途中で休んで水を飲んだり、トイレに行ったりした。
それでも、断続的ながら、ほとんどの時間計測バーにつかまりながらも、30分間走った。
一応、時速11km1分間、時速9km3分間の繰り返しのペースで走った。
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昨日記170509火 (夢物語)

2017年05月11日 17時16分38秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 23.3  14.1  曇後雨
この日は午前中スマートビジョンの過去のフォルダーの内、まだ処理していなかった再設定を行い、録画を復旧し白熱教室といった、私にとって貴重な録画を復旧することが出来た。
完全に消去し、無くなっていたと思っていたので、うれしかった。

午後から、食材の買い出しに出かけた。
毎度のことであるが、家事に長い時間をとられる。
繰返しになるが、お金があれば家事の時間は省ける。
今や掃除なんかは、掃除ロボットが自動的にしてくれるが。掃除ロボットは高くて買えない。
食器の片付も洗浄機があれば、時間は必要ない。
もっと極端に言えば、3食外食すれば食事関連の家事労働の時間は無くなる。
究極的には、お手伝いさんを雇えば、すべての家事労働から解放でき、仕事に、趣味に、100%時間を使える。
こうしたお金で時間を買うことは、すべてお金が前提の話で、私にとって夢物語である。

夜になって、ジムに行き筋トレを行った。
筋トレは5月2日以来約1週間ぶりだ。
少し筋肉が落ちたようだ。
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昨日記170508月 ()

2017年05月10日 18時04分39秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 26.4  18.4  晴時々薄曇
この日は、先日成功した過去の録画ビデオの残りのフォルダーの復旧作業を行った。
その結果Eテレの貴重な講座番組や、音楽番組が復旧された。

最近夜明けが早くなり、毎年のことだが睡眠不足に悩まされる。
その対策として百均に行き、焦げ茶色のカーテンを500円で購入した。
カーテンや、布が思ったより高額なので驚いた。
布を購入したのは、民芸雑貨の店をしていた時に現地で民芸雑貨としての織物として仕入れた以外なく、国内で布を購入したのは、初めてだ。
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昨日記170507日 (海北友松展)

2017年05月08日 23時50分43秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 24.2   16.8  薄曇後晴
昨日は、昼食を早く済ませ、京都国立博物館の海北友松展に行った。
会場は祭日というのに、ガラガラの状態だった。
その分、ゆっくりと観ることが出来た。
60代まで、目立つ作品も少なく狩野派に所属して、狩野派の一絵師という感じだったようだ。
活躍は、狩野派から抜けて独自に人脈を作り、お寺や公家や武将関係との関係が深まるにつれ、独自の画風を作り、豪快な作品を作り出す。
龍の図を多く書いているが、他の巨匠の龍の図も今までいろいろ見てきたが、その中でとびぬけてすごいとは思えなかった。
無論、作品そのものは大胆ですごいと思うし、並みの絵ではないが、他の天才画家たちと比べてという意味である。
どこかの解説にもあった、巨大な龍の作品で、絵の端に近い部分では、上から縦に墨を流しているように見えるのは、現代絵画の手法とも似たところがあって、この時代、彼がどういう意図でそうしたことをしたのか、知りたいと思った。
勝手な想像だが、龍は水の神でもあり、黒雲と同時に雨を表現したのか、とも考えたりした。
とにかく大きい龍の絵は、激しい気迫にあふれていて、手法は大胆で、豪放磊落なところもあるように感じた。
晩年の馬の絵は、間延びしすぎて、のびのびした表現を差し引いても、どうかなと感じた。
会場では立派な図録が出ていたので欲しかったが、毎度の愚痴になるが、そんな余裕は全くない。
観に行けただけでも良しとすべきだ。
この連休中行きたいところは、いろいろあったし、コンサートはぜひ行きたいと思っていたが、まず分相応の活動が第一だ。
これからも臨時の同窓会や、展覧会や講演会等、行く予定がいくつもあるし、購入したいものもいくつかあるが、どこを抑えるか決める必要がある。
昨年回線を切り替えた時に5月末までのクーポン券をもらっているので、それも含めて購入品を決めよう。

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昨日記170506土 ()

2017年05月08日 17時34分55秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 24.2   17.0 曇時々雨
この日は、ほぼ終日TVを見たり、今でゴロゴロしたりし、徹底的に怠惰な生活を送っていた。
別に体調を崩していたわけでもない。
前日に副食、炊飯その他家事関連の作業を集中して行ったので、時間に余裕が出来たのだ。
前日のブログで、お金で時間を買うことで、時間に余裕が出来自由人になれ、貧乏人にはそれが出来ないようなことを偉そうに書いたが、本人の心がけ次第で、いくら時間があっても自由人になれないことが、この日の私自然の成り行きの行動により証明されたようなものだ。
この日は、わざと意識的にぐうたら生活を送ったわけではない。
夕方になって、図書を返却しなければならないので、図書館に図書を返却しに行った。
その際、ぐうたら生活の反省から、歩いて図書館に行き、遠回りして帰ることにし、それを実行した。
トータル、4km余り歩いた。
ぐずついた天気だったので傘を持って出かけたが、傘をさすことはなかった。
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昨日記170505金 () 

2017年05月08日 17時17分35秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 26.7   16.7 晴一時曇
この日は、こまごました家事関連のことに追われた。
百均に夏用のスリッパや、レシート区分用の事務用品を買いに出かけたり、副食の食材の買い出しに出かけたり、冷凍ご飯を10食余り製造したりした。
ジムに行く予定であったが、日常関連の家事が多く行くことが出来なかった。
家賃を除き月8万円で一人暮らししようとすると、家事関連の時間に追われ、自分の時間が少ないことに気付かされる。
時間の余裕は、時間をお金で買うことから発生するという当たり前のことが、よくわかる。
そういう意味で、貧乏人は行動の自由がすくなく、自由人ではないともいえる。
多分フリーターをして自由気ままに生きるという人もいるが、健康な生活を前提に考えると、フリーターの限られた収入では、好きなことをして生きることは、容易ではなく、多くの人が経済的理由で挫折しているのではないだろうか。
貧困生活には、それなりの覚悟が必要である。
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昨日記170504木 (壬生狂言)

2017年05月06日 14時31分36秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 26.1  14.6 晴後時々曇曇
この日は行楽日和だった。
毎年この時期は、お金が無くても世間の空気に流され、浮かれて出かける事が多い。
昨年は、奈良国立博物館に信貴山縁起絵巻を見に行ったし、少し前になるが下賀茂神社の流鏑馬を観に行ったこともあった。
今年は、以前から壬生狂言を観に行こうと決めていた。
壬生寺には、一度も行ったことがなく、行くルートも知らなかった。
数日前にネットで検索し、やっとルートを把握した。
その後、壬生狂言について調べたが、詳しいことは余り分からなかった。
壬生狂言の開演は1時なので、昼食は阪急四条大宮駅周辺でとることにした。

阪急四条大宮駅で下車すると、駅前にMacがあったので、そこで簡単に昼食を済ませた。
時間的には、開演ぎりぎりに入れそうだが、満員で入れないことを心配した。

駅から壬生寺まで、スマホ片手に最短コースをたどりながら速足で歩いた。
スマホが無ければ、多少道に迷ったかもしれない。
何とか入場でき、椅子席は満席で立見席となった。
想像以上の多くの人が入場していた。
場内は撮影禁止で、案内放送でも注意が行われていた。
1300年ごろから始まったというので、古い形態の芸能の形が残っていて、それが、能や狂言や歌舞伎にも影響したのではないかと、勝手に想像していたが、上演終了後に購入した簡単な解説書によると、近世に入り大衆娯楽の要素を取り入れ演目も増加したとあり、芸能のルーツの一つを見れると期待していた予想と違い多少がっかりした。
壬生狂言はパントマイムなので演技を見て誤解していたところや、意味不明の箇所がいくつかあったが、公演終了後に購入した解説を読んで、すべて氷解した。
それでも見ていて、様々なことに気付かされたことが多くあった。
演劇としては、歌舞伎とか能・狂言といった商業演劇まではいかないが、伝統芸能だけあって、予想以上に完成度が高いように思えた。
演目は、下記の通り。
炮烙 割り
紅 葉 狩
愛宕詣り 
賽の河原 
大 江 山

炮烙割りは、この時期TVのニュースでいつも目にする演目で、壬生狂言の序曲として毎回最初に上演されるが、炮烙割りの場面までの間に長いストーリーがある。
全ての演目で、衣装や面も立派で演技や驚かせるような演出も素晴らしかった。
立ち見席では端の方で非常に見にくかったが、演目が終わるたびに、椅子席の人が出ていくので、終わりの頃には舞台中央に近い席に座っていて、大満足だった。
ただ椅子席は冷えて尻が痛くなるので、簡単な座布団のようなものを持参するとよい。
雨天では、観客席の前の方は雨に濡れる。
TVのニュースでは、観客はカッパを被って見物していた。

すぐそばに、新選組関係の史跡や資料館があるが、時間が無くて見ることはできなかった。
この日は、終日壬生狂言を楽しむことが出来て、大満足の日であった。


壬生狂言 人舞う舞台に 蝶も舞い
観客と 戯れし蝶は 屋根に行き
デンガンに 蝶ヒラヒラと 甍舞台
壬生寺の 舞台の軒の 青もみじ


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昨日記170503水 (録画番組の回復 ジム・ランニング) 

2017年05月05日 19時44分58秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 25.2   14.6  曇
3日は朝から、以前完全に消去したはずの録画ファイルが復元できるのではないかということに気付き、その回復作業を実験した。
それを発見できたのは、スマートビジョンの録画機能が回復したので、ここ数週間録画したファイルを点検していた。
録画ファイルをクリックすると間違いなく録画番組を視聴できた。
そこで、気になっていた録画フォルダーを念のため調べてみようと思った。
表示されているフォルダーを右クリックし、プロパティーを開いてみた。
すると録画フォルダー名(スマートビジョン上の表示名)
ハードディスク上フォルダー名
ハードディスク上の場所
が表示された。
念のためPCのエクスプローラーを開きながらプロパティーの内容を対照すると、見事に一致していた。
それとは別に、同じHD上のSVビデオのフォルダー内に、エクスプローラー上に私が勝手につけた名前のフォルダーと、その中にファイルが多数存在していることが分かった。
ということは、ハードディスク上フォルダー名の中で、私が勝手に作ったフォルダーの中のファイルを、現在録画が機能しているフォルダーに移動させてやると、その録画番組を見ることが出来るのではないかと考え、実行すると、見事に録画フォルダー欄に過去に録画した科学番組の一覧が現れた。
念のために、その中の一部をクリックするとその録画番組を見ることが出来た。
以前にすべて消したと思っていた貴重な録画ファイルが復元できることが分かった。
本当に特別に祝いたいほどうれしかった。!!!
諦めていた、私にとって貴重な情報が回復できたのだ。
この事実を確認したので、さらに進化した手法を今後テストしてみる予定だ。
今後多分外付けHDを購入してすべてそこに録画ファイルや、画像ファイルおよび録音ファイルを移動させたいと思っている。

午後からは副食製造を行った。
夜になって、ジムに行きランニングを行った
30分間走り、4.・6km走った。
非常に苦しく、途中2回各20秒ずつ給水休みをとった。
今回特に苦しかった理由は、トレーニングの方法にある。
走り始めて一気に時速12kmまでスピードを上げ、時速12mに達すると、すぐに、時速11kに下げ、トータル1分間走り、その後時速9kmで3分間走るサイクルを繰り返した。
時速11kmから12kmにあげて戻すまで5秒から10秒程度かかる。
時速12kmになると足の筋力の不足や疲れを感じる。
こうしたことが肉体に大きい負担となって、苦しくなり、その後も疲労感が続いたようだ。
こうしたことは、運動を重ねて筋力持久力を強化するしかないだろう。
体を慣らすしかない。
当面、しんどいトレーニングを重ねることになりそうだ。
これに、耐えられるか試される。
年齢も70歳を過ぎているので、無理と解ればすぐに負荷を引き下げ、現状維持で進む予定だ。


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昨日記170502火 (twへの投稿 ジム・筋トレ) 

2017年05月04日 10時30分52秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低 24.5   11.4 晴後薄曇
この日は終日家でごろごろしていた。
FBで東洋経済の「トランプ支持者はオバマを169934なぜ「憎悪する」か」の記事を読み、TWに「これが事実なら、ヒルビリーがトランプや嘘ニュースを信じ、マスコミ不信なのか分かる。今のアメリカは、論理が通じずフェイクニュースを信じる病的ヒルビリー勢力抜きに考えられない。同時にこれは教育の問題でもあるが。」と投稿した。
夕方以降、副食製造祖をしたり、ジムに行き筋トレを行った。
筋トレでは、筋力が4月4日以前の筋力に近づいた。
筋力や屋威力は日々変化するので、筋力の増減や体調に一喜一憂するのはやめて、数週間単位の大きいスパンで見ていきたい。

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