あの痛恨の夜勤を終えた後の数日で、患者さんが5人ほど、亡くなりました。
あの夜勤はあの夜勤だったんだ…、と思えるものがありました。
そう、前回の記事に登場した患者さんはほとんど亡くなられました。
そんな夜だったのですね…。
お別れは重なるときはとてもびっくりするくらい重なります。
そんな時、私たちはよく、「何かに引っ張られるような」という感覚を持ちます。
誰かが引っ張るとも感じると時すらあります。
正直、心の中では、「神様、そんなに慌てて連れて行かなくても…」と思うこともしばしばです。
でも、本当のところなんて誰にもわからないし、理解しようとしなくてもいいことかもしれませんが、そうやって患者さんが立て続けに旅立っていかれることには何か意味があるのかもしれません。
前回の記事に登場した、異常なほどの悪寒戦慄を呈していた患者さん。
青木さん(仮称)、女性。
青木さんはあの夜勤の数日後、本当に、びっくりするくらい急に旅立たれました。
私には青木さんとの思い出があまりにもたくさんありすぎて、まだまだ明日も明後日も一緒に過ごせるとしか考えられなくて、今でも信じられない思いがあります。ご家族も同じようなお気持ちでした。
青木さんは何度も何度もピンチを脱してきたお方でしたので、今回も大丈夫じゃないかという思いが私にも、スタッフみんなにもありました。
青木さんは病気によって、食べたいものを思うように食べることができない状態でした。
でも、食べたいものがたくさんある。
あれはおいしいなぁ、これもおいしいなぁ、って食べ物のお話を一緒にたくさんしました。
お酒も大好きだったので、担当医の許可をもらって、食べたいものを食べることができない状態なら、せめて…、たまにはいい思いもしてもらわなくちゃ、普通の生活で感じるような喜びを感じてもらいたいわーと思って、焼酎を買ってきて、病室で一緒に飲んだこともありました。
(病室での飲酒は~~。緩和ケア病棟ではお酒を飲めるのをいいことに、ポンのケアの常套手段であります)
焼酎を一口のんだ青木さんたら。
まるで、ほんまもんのおやじのように、「あ゛~~~~~~っ」とい声をだして、とっても喜んでくださっていた姿が今も忘れられません。
青木さんと一緒に口にしたかったものがいくつかあります。
一つ目は、もちろん、焼酎っ。
そして、お好み焼き。
そして、そして、小倉マーガリン。
小倉マーガリンは、あんこが大好きな青木さんが食べたことがないというので、一緒に食べたいねーってずっと話していたもの。
ああ、本当に一緒に食べたかった。
青木さんを思って、青木さんを偲んで、焼酎を飲んで、お好み焼きも食べました。
ただ、小倉マーガリンはコンビニとかでよく目にするコッペパンなのだけど、それになかなか出会えないんだなぁ。
今度、必ず、食べてみようっ。
たまたまですが、青木さんのお部屋は数日間、空いていました。
たまたまですが、忘れ物を取りに来られたご家族が空いている部屋を訪れ、涙ながらの語りを聴かせていただきました。
まだ、あの部屋に青木さんがいてくれているような気がしてなりません。
何とか、小倉マーガリンを、天国にいる青木さんに届けることはできないかしら…。
真剣に考え込んでいます。
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