SMILES@LA

シェルターからやってきたミックス犬のニコとデカピンのニヤ。どちらの名前もSMILEの犬姉妹の思い出を綴ります。

ビーグルのでんちゃん さて、それから

2014-11-09 14:55:40 | 犬のおはなし
縁あってシェアして頂くことになったビーグルのでんちゃんストーリー。

前回までのお話はこちらです。
ビーグルのでんちゃん 出会い1
ビーグルのでんちゃん 出会い2
ビーグルのでんちゃんが走った日1
ビーグルのでんちゃんが走った日2
ビーグルのでんちゃんの新しいお家1
ビーグルのでんちゃんの新しいお家2
ビーグルのでんちゃん 旅立ちまで
ビーグルのでんちゃん 旅立ち

保健所に連れて行かれるところだったビーグルのでんちゃんを縁あって迎えられたご夫婦。
関節炎を患ったでんちゃんのためにお家を新築すると決めた矢先に、でんちゃんの腎臓病が発覚。
それでも念願の新居にお引越し。そしてでんちゃんが旅立つまでの闘病の日々が前回までのお話。
でんちゃんを見送ったごご夫婦の「それから」は・・・。


「いろんなことがあったけど、大好きなおうちで大好きなママとパパの側で旅立ったんだ。」

でんちゃんを見送って、全ての「力」が抜けてしまって、
私達はぼんやり暮らしていました。
そのくせ、夜中の12時になると「あ、クレメジンの時間」と腰が浮く。
クレメジンを飲む犬はもう居ないのに、とっくに居ないのに、
時間になると自動的に身体が動いてしまって、参りました。
そのたびに、わんわん泣いてしまうんだもん。

若い犬飼いさんの目の前で、「絶望」状態丸出しだったりもした。
それを反省し、「いつか私達も元気になってみせなくては」
などと思ったのは、だいぶ後のことになります。
でんちゃんの写真をパネルにして飾ったものの、
それを眺めれば涙が出る、という毎日。



でんちゃんの思い出の写真たち。

ブログで知り合った方々などから、毎日、生花が届きました。
毎度配達してくれる、宅配業者の矢島君という人は、
受け取り伝票を差し出しながら言いました。
「あのさぁ、これ、全部生花じゃん?
この頃、生花ばっかじゃん?
どうしたの?なにかあったの?」
私は、でんちゃんが旅立ったことを話しました。
矢島君は「ああ・・・!」と天を仰ぎました。
「前みたいに、お宅のわんちゃん、玄関に来なくなった。
だからひょっとして、と思ったんだ」
そう言って、涙を浮かべてくれました。
ここでもまた、他人様の温かさに、こちらも泣けてしまいました。
でんちゃんが寝たきりになったので、八ヶ岳の美容室にも行けないから、
近所の美容室にお世話になっていたのですが、
でんちゃんが旅立ったと報告したら、
男性の美容師さんがハサミを握ったまま固まって目を潤ませてくれました。
会うたびに励ましてくださった薬局の先生も、
目を真っ赤にして「犬も、人も、頑張ったわよね」と言ってくださいました。


たくさんのお花が届きました。

私は、そして夫も、とことん元気を失いました。
正直申せば、私は自分の父親を看取った時より、
歴然と力を失っていたのです。
だって、父とは最後まで話もできたし、
父の欲しいものを取り寄せたり買ってきたりすることもできました。
だのにでんちゃんには、「ちゃんと希望を聞いてやれたのか」と自問するに、
「それはどうだろう?」という回答しか得られないのです。
でんちゃんが一番好きだった食べ物は。
でんちゃんが一番好きだったお散歩コースは。
ああ、なにもかも、結局のところ、わからないのです。

多くの方が、「あの犬は幸せだった」とおっしゃってくださいました。
私だって、でんちゃんが幸せだった、と思いたい。
そうだったらいいな、と強く思っていました。
だけど、本当に幸せだったかどうかはわからない。
それが切なくて。
院長は、「先に見送ってやれたことを喜びましょう」とおっしゃった。
ほんとにその通り。
確実に喜べるのは、その一点だけでした。
そんなことを考えているうちに、あの長く続いた闘病の日々は、
結局のところ、「自分のため」というエゴイズムの結果ではないか、
という、恐ろしい後悔の念が沸き起こってきたのです。
ここで初めて、馬場夫婦の言っていた「延命措置」についての意見が、
実態をもって自分に迫ってくるように思いました。
辛い日々を長引かせ、だけど犬がいなくなったら自分が困るからと、
そういうエゴイスティックな理由ででんちゃんを苦しめたのではないか。
そう思ったら、本当に辛かった。余計悲しかった。



「でもさ、幸せだったんだよ。ホント。」

どうしていいかわからなくなって、八ヶ岳に電話をした。
そしたらアケミさんが言うんですよ。
一所懸命に人間に寄り添って生きてくれた動物を思うなら、
そうやって泣いて悲しむだけなんてのは、失礼だよ、って。
楽しい思い出をどっさり作ってくれてありがとう。
一緒にいっとき暮らしてくれて本当にありがとう。
そうやって、感謝の気持ちを一杯込めて送り出してやろうよ。
・・・・・ルーシーをなくして、あれほど泣いて泣いて泣いたアケミさんが、
時間をかけてたどり着いた結論は、そういうことなのでした。
悲しみを超えるぐらい、楽しいことを思い出そうよ、と言ってくれたのです。
その電話で、ルーシーがキャンプ場のバーベキュー荒らしをして、
樽みたいにぶっとくなって帰宅した話とか、
でんちゃんが鍋一杯の豚汁を食っちまって、
私が帰宅したらテーブルの下に「向こう向き」という、
誠に不自然な姿勢でじっとちぢこまっていた話などをし、
さんざん笑って、ちょっぴり泣いて、
少しだけ、「動物との別れ方」にもいろいろあるのだな、と感じたのでした。
私が、「自分はでんちゃんのことを、忘れてしまうのではないか」
と心配したら、アケミさんは「そりゃ絶対にないからダイジョブ!」と、
力強く請け合ってくれたのも、嬉しいことでした。
そうか。絶対に忘れないのか。

そんならよかった・・・。

そう思ったのを、今でも鮮明に覚えています。


「馬場さん、僕からもありがとう。

かくして馬場夫婦から「早く次の犬を飼え!」と命令(笑)され、
私達夫婦は考えました。
まだ、到底飼う気にはなれないが、預かりボランティアならできるのでは。
行き場の無い犬の里親捜し期間中、自宅で犬の世話をする。
そういうボランティアがある、ということをブログで読んだことがあるのです。
でも、ボランティアとは全く縁のない生活をしていたので、
ちーとも様子がわかりません。
考えあぐねて、執事さんに相談してみました。
腎臓病ビーグル・ちょびさんのオーナーである執事さんは、
どのボランティア団体にも所属していないかわりに、
独自の思想で「犬と社会のかかわり方」みたいなことは考えていらして、
全くの個人としては、多少の「保護活動」にも片足を突っ込んでいたのです。

私達はちょびさんのお見舞いをかね、
執事さんのご自宅を訪問しました。
顔も知らない、ブログ経由のお付き合いだけでしたので、
お会いするのは初めてです。
でもそこに、でんちゃんみたいなミルクティ色のビーグルがいたものだから、
あっと言う間に親近感(大笑)!
もう、酸素部屋に入っていないと呼吸も苦しい、というちょびさんでした。
その酸素部屋を囲んで、私達は執事さんに相談したわけです。
およそボランティア活動団体、あるいは活動家というものを
「なんとなく胡散臭い」と思っていた私達でした。
ご縁がなくて、何の知識もなかったのです。
そんな私達に執事さんは、あるレスキュー団体を紹介してくれたのです。



「ふふふ、さてどうなるかな~。楽しみでしょ~。」

次回はいよいよ最終回です。

続き→ビーグルのでんちゃん そしてビートがやって来た


人気ブログランキングへ
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする