神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.105 甲斐大和駅から

2024-03-10 23:46:18 | 勝記日記
 今日は、No.71で次の写真を紹介しましたが、この付近を下りましょう。
 
 

 中央本線の下りに乗って笹子トンネルを抜けると甲斐大和(旧初鹿野:はじかの)駅に到着します。この次の駅が勝沼です。
 上の写真は、甲斐大和と勝沼の間にある大日影トンネルの切れ目から撮ったものです。下の道が甲州街道、左上の方に中央自動車道(高速道)が見えます。
 前にも書きましたが、神足勝記は、笹子雁ヶ腹摺山に上がった後、笹子峠を越えてきてこのあたりの甲州街道を下って行きました。

 われわれは、中央本線下りの各駅停車で来て甲斐大和駅で下車します。
 東京の方から来た人でリュックを背負っている人ならば、かなりは大菩薩峠方面へ行く人でしょう。その人は、駅を出てすぐの次の時刻表のところでバスに乗ります。
 私も一度利用しました。バスは日川に沿って上がって行きます。そして、終点の一つ手前の上日川峠で下車して上がりました。
 なお、4~5人なら、タクシーでもバス料金と変わらないくらいで上がれますから、利用する人もいます。歩く人は?、いるかもしれませんが、一日の行程(5~6時間以上)を覚悟する方がよいと思います。
 ちなみに、私は小菅から2回上がり、下りに一回このバスを利用し、もう1回は裂石〔さけいし〕から塩山に下りました。

 

 このほか、途中の天目迄なら、上の便のほかに下のものがあります。天目には栖雲寺があります。ここに、大菩薩の方から下ってきた神足が宿泊して、翌日大月の方へ山越えして巡業していきました。
 それから、塩山駅南口行があります。これに乗ると、今日のこの後のコースをバスでたどることができそうです。

 

 さて、甲斐大和駅からすぐのところに諏訪神社がありました。ちょうど昼時になりましたから、境内で弁当を食べてから物色していると碑がありました。

 

 碑が出てきたので、「えっ!また碑文を読まされるのか」と思った方もあるかもしれませんが、今日は省略です。というのは、私が読んでみたところ、そばにある次の説明板と同じ内容でした。
 要するに、神社の境内に大きな杉があったが、鉄道の煙の影響で枯れてしまった、ということのようです。
 


 諏訪神社を出て下り始めます。かなり急坂で、日川が道路の右にあります。ここは鶴瀬です。 

 

 鶴瀬にはかつて関所がありました。といって知ったふりをしていますが、ここを通って初めて知りました。前に取り上げた小仏で一度チェックされ、またまたここでチェックされたわけですね。 

  

 次の写真の正確な記憶がありません。
 右側に小さな川が見えます。これは、右側の山から流れてきて日川に合流する川です。おそらく鶴瀬から少し下った共和の辺りでしょう。 

  

 ミニサイクルを持っていきますから、ずっと座って景色を堪能するだけです。ラクでいいです。
 でもね、このとき、前方に注意するあまり、うっかりかの有名な大善寺の入り口の標識を見落としてしまったようで、通過してしまいました。こういう時、戻るにはかなりの「勇気」が要ります。ザンネン!
 
 この時は甲斐大和スタートでしたが、勝沼スタートの時は、日川に架かる「旧祝橋」の上が整備されていて、そこのベンチでよく弁当を食べました。日川やブドウ畑を眺めながらのんびりと食べる弁当もいいものです。機会がありましたら、ぜひどうぞ。

 では、この辺で。 








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