神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.51  塚本明毅の碑 

2024-01-17 02:14:53 | 余録
 あれは、ネット検索をして、四谷の荒木町に神足が行ったという店と同名の店があることがわかったので探して訪ねた時でした。
 国道319号を東に入って、昔風の雰囲気のある住宅街をきょろきょろとしながら歩いていると、確かに日記にある名前の店がありました。ところが、その日は土曜日で、入り口に垂れ下がっている札を見ると、案の定「本日定休日」とありました。
 まあ、こういうことが普通です。この店には、その後も行っていませんが、どうもサラリーマン相手の定食店のようです。

 そこで、もう1件別にうまいもの案内で出ていたとんかつ屋に寄って、腹を満たしたので新宿まで歩くことにしました。
 靖国通りを歩いて、新宿2丁目に差し掛かったところに成覚寺があり、看板がありました。

  
 塚本明毅がここに眠ると知って、早速に入って手を合わせましたが、
私が注目したのは、中ほどにある改暦のところです。というのは、神足勝記も塚本を知っていたはずですが、それよりも何よりも、神足はこの改暦した明治6年から日記を書き始めたからです。

 神足がなぜ日記を書き始めたのか、いくらか注意して調べてみましたが、確定的なことはわかりませんでした。しかし、当時、新潟県長岡から貢進生として上京してきた渡辺廉吉から日記を借りて読んでいることが出て来るので、それに影響されたのではないかと見ています。
 
 


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