①「泣き虫なのはあなたのせいよ」
この曲が発表されたのは10月。前の曲「青い珊瑚礁」で、うわさの泣き顔で物議をかもしたのが7,8月。作詞の三浦徳子さんは、この事件のあとで歌詞を書いたのかどうか、非常に微妙なタイミングではありますが、びっくりするぐらいタイムリーな言葉が、効果的に使われていました。
これまで、パワフルな歌い方でずっと押してばかりいた聖子さんの歌い方が、初めてここで、「引き技」を見せます。まあ、青い珊瑚礁でも、「あなたとあうたびに…」のところで引きはありますが、これはあくまでも「独白」です。
風は秋色においてのこの引きは、唐突に挿入されており、しかも、聴取者の耳元にいきなり「あなたが悪いのよ」と吹きかける。
全くおくてだった私は、あっという間にお姉さんの膝元で崩れ落ちてしまいました。聖子お姉さんに耳元で息を吹きかけられた私は、お恥ずかしい限りですが、完全に、いわゆる「キュンキュンの」骨抜き状態にさせられたわけです。つまり私は、理論的な「音楽」と言うよりは、より原始的な「色香」に引き寄せられたわけですね。かわいくていとおしくて仕方がないという気持ちにさせられたわけです。
でも、それだけではなかった。
②間奏の美しさ
しっかりと骨抜きにさせられた私は、間奏に入ったところで再び心揺さぶられます。ストリングスの実に美しい旋律を、ほんわかしたフルート、木琴の音色が支え、しかもバックは骨太でビートの利いたリズム感。
後で知ったことですが、この編曲は信田かずおさん。その前の年にさだまさしさんの「関白宣言」で、これまた特徴のある間奏、後奏を作り出した人です。(そういえば音色が似ています。)
③最後の転調
すごい、いいなあ、これ、と、素直に感じていたところに、最後の仕掛け、「転調」が待っていました。当時は聖子さんも、つやのあるハイトーンが売りでした。
「うわ、まだ音が上がるのか!」「すごいすごい。かっこいい、かわいい、きれい。」半分は色香に惑わされたのかも知れませんが、聴いた時の自分の状態や年齢を差し引いても、やっぱり聖子さんの作品群の中では、この曲が最高峰に間違いないと思っています。
なんにせよ、この瞬間から、私は聖子さんの曲を求めるようになりました。でも、前回述べたとおり、この時期聖子さんは体調を崩しており、風は秋色をテレビで歌っているのを見たのは、12月頃、たった1回でした。
私の最も好みのルックス、と言うわけでもなかったのですが、本人には大変失礼ながら、「ちょっときれいなお姉さん」ということで、気軽にテレビを見ることもできました。もろに好みのタイプだったら、きっと両親の目を気にして、こそこそとテレビを見ていたのではないかと思います。
歌とは、上手なだけではだめなのではないか、と、おぼろげながら感じ始めていた頃でした。その答えは、次の年にはっきりと自覚させられたのですが、同時にその年、81年は、聖子さんにとっての、重い重い試練の年でもありました。
この曲が発表されたのは10月。前の曲「青い珊瑚礁」で、うわさの泣き顔で物議をかもしたのが7,8月。作詞の三浦徳子さんは、この事件のあとで歌詞を書いたのかどうか、非常に微妙なタイミングではありますが、びっくりするぐらいタイムリーな言葉が、効果的に使われていました。
これまで、パワフルな歌い方でずっと押してばかりいた聖子さんの歌い方が、初めてここで、「引き技」を見せます。まあ、青い珊瑚礁でも、「あなたとあうたびに…」のところで引きはありますが、これはあくまでも「独白」です。
風は秋色においてのこの引きは、唐突に挿入されており、しかも、聴取者の耳元にいきなり「あなたが悪いのよ」と吹きかける。
全くおくてだった私は、あっという間にお姉さんの膝元で崩れ落ちてしまいました。聖子お姉さんに耳元で息を吹きかけられた私は、お恥ずかしい限りですが、完全に、いわゆる「キュンキュンの」骨抜き状態にさせられたわけです。つまり私は、理論的な「音楽」と言うよりは、より原始的な「色香」に引き寄せられたわけですね。かわいくていとおしくて仕方がないという気持ちにさせられたわけです。
でも、それだけではなかった。
②間奏の美しさ
しっかりと骨抜きにさせられた私は、間奏に入ったところで再び心揺さぶられます。ストリングスの実に美しい旋律を、ほんわかしたフルート、木琴の音色が支え、しかもバックは骨太でビートの利いたリズム感。
後で知ったことですが、この編曲は信田かずおさん。その前の年にさだまさしさんの「関白宣言」で、これまた特徴のある間奏、後奏を作り出した人です。(そういえば音色が似ています。)
③最後の転調
すごい、いいなあ、これ、と、素直に感じていたところに、最後の仕掛け、「転調」が待っていました。当時は聖子さんも、つやのあるハイトーンが売りでした。
「うわ、まだ音が上がるのか!」「すごいすごい。かっこいい、かわいい、きれい。」半分は色香に惑わされたのかも知れませんが、聴いた時の自分の状態や年齢を差し引いても、やっぱり聖子さんの作品群の中では、この曲が最高峰に間違いないと思っています。
なんにせよ、この瞬間から、私は聖子さんの曲を求めるようになりました。でも、前回述べたとおり、この時期聖子さんは体調を崩しており、風は秋色をテレビで歌っているのを見たのは、12月頃、たった1回でした。
私の最も好みのルックス、と言うわけでもなかったのですが、本人には大変失礼ながら、「ちょっときれいなお姉さん」ということで、気軽にテレビを見ることもできました。もろに好みのタイプだったら、きっと両親の目を気にして、こそこそとテレビを見ていたのではないかと思います。
歌とは、上手なだけではだめなのではないか、と、おぼろげながら感じ始めていた頃でした。その答えは、次の年にはっきりと自覚させられたのですが、同時にその年、81年は、聖子さんにとっての、重い重い試練の年でもありました。
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