Soopllofeiv の日常

管理人soop視点の奇妙な現状

光陰矢の如し

2019-11-03 17:25:03 | Weblog
家は二階建て何故かベランダは許可なく他人の家の屋根にある
二階建ての二階は兄とともに使っている
兄はバカで勉強をせずに遊んでばかりいる
私は兄の通っている学校ではなく
塾に通ってから
私立の女子校に入学した
親は自宅の近辺に木造二階建ての家を購入
私はその家の一階で日々過ごした
必然的に兄と会う機会は極端に減り

親はその家の2階を男子大学生に
貸しその学生に私の家庭教師をさせた
家庭教師は2回入れ替わった

初めの先生は感じのいいヒトで
ハンサムで学園祭に私を招待してくれた
二人目は京大生で気持ちの悪い奴で
いつも上の部屋からアイドルの歌が流れていた
私は英語が得意だった
英語が話せれば今みたいな息苦しい生活から
抜け出せるかもしれない

龍谷大学に通うことになり
自分で部屋を借りられるようになり
私は好きなことを好きなだけ
嫌なことを嫌なだけできるようになる
様は自立したということだった

一年間 大阪のつまらない会社で働いた
その時の夏季休暇は岡山の実家に帰京した
そこにはちょうど千葉で証券会社に勤務している
従妹の姉がいて相談すると
私の知り合いの海外の会社で働いてみないか?と
言ってきた仕事の内容は
世界各地のリゾートホテルの日本人ガイドだった

私は海外に出るのが夢だったので二つ返事で了承した
採用試験という名のコネクションで私は正式採用
その後24年間世界各地の島々をまわった・・

部屋・食事はホテルから
労働時間の拘束はあってないものだった
時は瞬く間に加速していき
私は外人と結婚していた
親も夫も子供を欲しがったが結局めぐまれず
夫の裏切りで夫婦関係は破綻した

私はすでに会社を辞め独立
沖縄で起業していたが
その権利は別れた夫に譲り

私は乳がん治療で定期的に京都に通いながら
いまは川崎のホテルの支配人をしている

兄とは30年あってない・・・
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思想体系と神秘主義

2019-11-03 16:38:44 | Weblog
グルジェフ

初めに彼の存在を知った原因はロマネフ王朝の衰退を調べている時で
偶然に知ることになる
当時どこの団体からかわからないが
webサイトの一ページすべてを使って
グルジェフの教義の簡単な解説
およびワークと呼ばれる精神的・肉体的なトレーニングを
説明していた

僕は想体系に基づかれる教義においては僕は神秘性は感じないが
彼は貴重な過去の格言やいいつたえなどの貴重なリソースを有して
他者を導き出すとこが出来る人物で
難しい教義のそれをだれもが伝わりやすい形で
人々を導いた

しかし彼はそれだけには留まらずさ様々な世界を旅し
自らの思想体系を確立した

グルジエフはその著作および記録された講義において「三つのセンター」という見方を基本にしていて、それを明らかに「三の法則」と結び付けている。 グルジエフは人間を、思考・感情・本能のそれぞれを受け持つ「三つの脳」(three brains)を備えた生き物)と見なした。これらは「三つのセンター」とも呼ばれる。グルジエフの著作においては「それぞれ独立して精神を付与された三つの部分」とも描写されている。以上が基本となる見方だが、これら三つのセンターのうち本能をつかさどるセンターは、さらに運動・本能・性の三つのセンターに分かれていると見なされる。 人間の調和的な成長の観点から見ると、グルジエフが「三の法則」と呼んだ原理に従った能動・受動・和解の三つの力のそれぞれを宿した運動・本能・性の三つ組(triad)がひとつの統合体として、思考のセンターおよび感情のセンターとやはり「三の法則」に基づく関係を結ぶことで、思考・感情・本能の三つ組が成立するということになる。さらにこの三つ組が、「高次思考センター」および「高次感情センター」とやはり「三の法則」に基づく関係を結ぶことで、さらに高度な段階の三つ組が成立するということになる。 グルジエフは「三つのセンター」の観点から各種のエクササイズを組み立て、学院のプログラムのなかで六つのセンターの協和的な働きを追求した。
「第四の道」(the Fourth Way)という言葉もセンターを三つと見なすやりかたに基づき、グルジエフにおいてそれは、その三者(知性・感情・身体)のすべてに同時に働きかける道、実生活からの離脱を求めず、現実のさなかにおいてこの三者の調和的発展を求める道を意味していた

ウスペンスキー

1915年、ウスペンスキーはゲオルギイ・グルジエフに出会う
そのごグルジェフのサークルで8年間彼と行動を共にすることになる

ウスペンスキーはグルジエフを秘教スクールの指導者として尊敬し傾倒していたが、結局はグルジエフのもとを去ることになる。グルジエフの方法論にウスペンスキーの気質が合わなかったことが原因であると言われる。記録からすれば1917年ごろからウスペンスキーはグルジエフその人とグルジエフの教えとを区別するようになる。1924年1月にロンドンの講義にて完全な決別宣言を行った。決別宣言後は、ウスペンスキーは教えのことを「システム」と呼び、自分独自で研究を進めた。秘教的な源泉からの直接的な接触をウスペンスキーは待っていたが、思うようにはいかなかったようだ。イギリスを拠点に講義などの活動を続け、1940年にはアメリカにわたっている。1947年イギリスに戻ってきてからまもなく死去する。イギリスでは多くの文化人に影響を与えた。ウスペンスキーの死後、組織は混乱し、グループのメンバーの多くはグルジエフのワークグループに参加した


                               wikipediaより抜粋
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理由

2019-11-03 13:57:38 | Weblog
私の家族はオトオトと二人兄弟
父親は酒屋を経営しており
オトオトは夫婦でその手伝いをしている
母は早くにガンで亡くなった

私は上京して東京で働いて
もうかれこれ30年にはなる・・
仕事は昔でいうところのシステムエンジニア
或る意味職業病からか
凄い金銭に細かいというか、細かい金銭管理が趣味
自分ではケチではないと思う

自分はワーカホリックだ
金のかかる趣味は嫌だし
タバコも酒も飲まない
仲間や職場の付き合いもしないから
男性とは今まで交際したことはないし
これからも交際する気はない
男性は私の生活にとって足手まといになると思う
独りが気楽だ
家族の事はオトオト夫婦がやってくれるダロウ

本当は何が理由なのか自分で理解できなかったが
多分当時の銀行が不景気で
金利が0.幾らのゼロ金利で住宅ローンが組めることを知り
それなら今の賃貸の家賃と
平均的な建売の
月々のローンの額が変わらないことを知り

私は自分の家を持つことにシタ
初め不動産屋は私に更地をみせ
そこに注文建築を建てないか訊いてきたが
そうすると私の手持ちの計画金額と建物の規模が釣り合わないので却下し
私は不動産屋と不動産屋が管理する物件を数件まわることになった

管理物件はどこも気味が悪かった
理由はわからないが誰かが暮らしていた家
生活感が残り、前の住人が良かれと思って建てた間取り

そんな中で築40以上たつだろう
庭つき木造二階だての物件に目が留まった
不動産屋が言うには前住んでいた人は普通の家族で
子どもが成人し子供の家で暮らすことになり
家を手放したそうだ

なんともいかにも昭和というその家のもつ安心感ある姿に
私は惹かれその家を2600万で購入シタ

手荷物は少なくてスカスカの家の中で
この先どう暮らそうかという
楽しい想像でわたしは癒されていた
何より庭があるのがうれしかった

ホームセンターでDIYの道具や花を購入してみたり
ただ ぼんやり二階から見える風景を
コーヒーを飲みながらベランダから眺めてみたり
大好きな京極夏彦の絡新婦の理や宮部みゆきの火車を読んだり

4-5カ月そんな生活が続いたある日
普段見ない銀行引き落としの電気代の請求書をみたとき
私は違和感を感じた
平日は家にいない居ても寝るだけ 休みの日は家にこもることが多いが
家にはTVもPCもないし、居場所は移ったけれど基本同じ生活を続けているのに
請求額が増えている・エアコンの影響を算盤に入れてもこの額は異常だ

私は土日挟んで月曜日の休みを取り
家のブレーカは落とさずに家にある考えられる
すべてのコンセントを外した
そして家の玄関にある電気のメーターボックスを見てみると
私「回っている・・ どこかにコードがあって見落としてるんだ」

それから朝から夕方までかかり、やっとひとつのコードケーブルが見つかった
それはさりげなく柱にそって床下に伸びていて、一応その日は疲れていたので
夕食を食べオトオトに電話しそのことを連絡
日曜日に来てもらうことにした
弟にコードを軒下からみてもらうと床下の地面にコードが埋まっているとのこと
急遽 弟はホームセンターに行きバールとシャベルを購入しこう言った
弟「神経質にならないのならほっといてもいいと思うけど調べるなら床はがすよ」
私「もう準備してるじゃないの 気持ち悪いからやって」

弟は床板を剝がしてコードの続く地面を掘っていった
私はその長く続くコードの終点をみととげる・・
すると何か緑色の四角いものが現れてきた

弟「これは・・冷蔵庫だ」

 けたたましいサイレンの音がかぶさる様に
 鳴り響いた・
 私と弟は一応警察署に行くことになり
 事情説明をすることになった

刑事「まだ調べることはしていませんが、あの中には男性のものと思われる頭部」
  「腕・腹部が入っていました 一応解剖にまわすことになります」
  「またこの先なにかわかることがありましたらご協力願うことになりますが」

わたしはそのあとあの家を引っ越した
   
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史上最強の食肉植物

2019-11-03 13:37:45 | Weblog


この植物は
粘着性の植物なかでは最大種で
独特の匂いがする
根に刺激を与えることを極端に嫌い
元々は乾燥地帯に自生するものなので
葉に水分をかけるのはNG
日光を欲しがるので基本屋外か温室での栽培になり
寿命は約二年 基本種子をとって
栽培を続けることになります

この植物の魅力はなんといってもその巨大さと
葉全体にまとわりつく強力な水飴状の粘液の輝きです・・
市場に出回ることはめったになく、植物通販サイトや
稀にオークションサイトで種子や株が出品されます
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