(昨日の続きです)
やっとの思いで帰宅し、恐る恐るドアを開けました。
リビングに入ると、細めの本棚が倒れかけていました。
棚の中の半分は床に散らばり、小さな花瓶も落ちていました。
食器棚の食器は、大きく動いていましたが、
全ての扉が閉まっていましたので、辛うじて割れずにすみました。
レッスン室のピアノは。。。
レッスン室のピアノは、ストッパーをしていたにもかかわらず、
東の方へ15センチ程動いていました。
そして、その横にあったガラス戸付きの本棚は、西の方へ10センチ程動いていました。
あともう少し揺れが大きかったら、ピアノと本棚がぶつかり、大変なことになったことでしょう。
私は改めて事の大きさに気が付き、しばらく呆然としていました。
我に返り、電気を付けると、電気は通じているようでした。
中学からの帰り道、全ての信号機が停電していましたので心配していたのですが、
私の家は、停電にはならなかったようです。
ただ、水は一滴も出ませんでした。 断水になったのです。
幸いなことに、水は大量に備蓄してありましたので、飲料には困りませんでした。
不便だったのは、トイレとお風呂だけでした。
それでも、次の日に水が出た時は、嬉しくて手を叩いたのを覚えています。
そんな中、友人から電話がありました。
放射能を含んだ風がこちらに流れているようだから、今から関西の実家に戻ります~とのことでした。
事態は、それ程までに深刻なのでしょう。
聞くところによると、知り合いだけでも数家族が、関西や九州へ避難したようです。
レッスン生の中にも、遠くへ避難した家族がありました。
私は一週間、レッスンをお休みしました。
息子達も、1週間は学校がお休みになりました。
そして、2週目には登校が可能になりましたので、私も、レッスンを再開しました。
しかし「ガソリンが無いので、レッスンに伺えません。」と云う連絡が入ったこともありました。
一旦空になったスーパーの棚は、なかなか元通りにはならず、
節電の為なのでしょう、結構長い期間、スーパーの中は薄暗いままでした。
以上、思い出すままに書いてみました。
忘れかけていた事もありましたが、決して忘れてはいけない事だと思います。