やってみなはれ、やらなわかりまへんで。(鳥井信治郎・サントリーの創業者1879~1962・20歳で「鳥井商店」を起こし、国産初のウイスキーを生み出した。また世界初の「青いバラ」の開発にも成功した。
「解説」日本初の国産ウイスキーが売り出されたのは1929年、サントリー「白札」が第一号です。発売から遡ること6年、創業者の鳥井信治次郎は人生最大の大勝負に出て、京都郊外に山崎蒸留所を作ります。しかし「白札」は人々の口に合わず、売れませんでした。この時信治次郎は50歳、それでも挑戦をやめませんでした。その後も失敗を繰り返しながら、蒸留開始から13年、ついに傑作「角瓶」が誕生したのです。サントリーでは鳥井の「やってみなはれ精神」を企掲げています掲げています。結果を恐れてやらないことは悪、やらないことを罪と問う社風で、創業から100年以上経った今も、様々な分野で果敢に挑戦を続けているのです。
写真のサントリーは兄から贈られた1950年(昭和25年)物で密閉のままである。私にとっては兄との記念の品だからである。
「解説」日本初の国産ウイスキーが売り出されたのは1929年、サントリー「白札」が第一号です。発売から遡ること6年、創業者の鳥井信治次郎は人生最大の大勝負に出て、京都郊外に山崎蒸留所を作ります。しかし「白札」は人々の口に合わず、売れませんでした。この時信治次郎は50歳、それでも挑戦をやめませんでした。その後も失敗を繰り返しながら、蒸留開始から13年、ついに傑作「角瓶」が誕生したのです。サントリーでは鳥井の「やってみなはれ精神」を企掲げています掲げています。結果を恐れてやらないことは悪、やらないことを罪と問う社風で、創業から100年以上経った今も、様々な分野で果敢に挑戦を続けているのです。
写真のサントリーは兄から贈られた1950年(昭和25年)物で密閉のままである。私にとっては兄との記念の品だからである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます