学会プログラム
1日目 12:30~ 受付 13:00~ 開会式 13:30~
学会長基調講演「のんびりとしてはいられない」 学会長:磯 毅彦
14:00~ 特別講演「理学療法(士)の今後の戦略」 中屋久長先生(日本理学療法士協会 会長)
15:10~ 症例検討会 16演題(予定)
17:00~ イブニングセミナー「対人援助職」と「カウンセリング」 ~人間関係を深める~ 西尾 明先生(常葉学園大学 心理教育学科教授) ・
2日目 8:00~ 受付
9:00~ 一般演題 36演題(予定)(口述・ポスター・学生演題も含む)(予定)
10:10~ 教育セミナー「最新の脳科学とリハビリテーション」 森岡 周先生(畿央大学 健康科学部助教授)
13:00~ 専門部会セミナー 5セッション(予定)
14:40~ 閉会式 / ※この他、機器展示、書籍販売も実施予定 ・ 学会参加費 会 員:3,000円 会員外:4,000円 学 生:無料
昨日は2コマの講演。
皆さん、熱心に聴いてくれる。
まず大前提として、自らの脳の履歴(記憶の結晶)にも人間は支配されている視点をのべた。
患者さんに、という前に自らの視点は何にに由来されているかを進化論も含めて話をする。
そこに気づかないと、「脳科学」だの「神経科学」だの、言うが、結局は「機械論」なのだ。
それに到達するには人生経験、しばらくかかるし、ず~と発展するのだろう。
心を持った人間として、という自らへのアクセスがまず大前提である。
勉強や議論という前に、他者に対する心、あるいは他者との関係性を重要視すべきと僕は思う。誰かと誰かの関係性となれば、それは井戸端会議の噂話へと発展する。「解釈脳」だ。そこには<私が>の視点しかない。
批評の前のもっと広大な人間らしさに気づくのはいろんな社会に触れることが必要なのかもしれない。
言葉は幻影にすぎないかもしれない。
その人と人との今までの関係性について知らない場合は、あくまでも自らの「解釈脳」にバイアスを受ける。
このブログを見ている人、そして科学論文を見ている人、もそうなのである。
人によって捉え方が違うのは、人に履歴があるからであるし、もっと深い何かがあるのだと思う。
これについては「脳科学」では感情の研究者たちによって、いろんなことが言われているが、まだ確かなことはわかっていない。
私がある、私の心がある、けれども他者がある、他者の心がある。
そしてそれは私の方を見てくれている。と思えば争いなどない。
レベル2の探りあい、だましあい脳があるから、争いが起こる。
脳が発育するということは、そういうことなどだが、もっと上の脳がある。
レベル3である。
最近は知恵がついてきて、言葉が発達してきて、レベル2ばかりである。
それまではレベル2に到達できてないものもいた。
しかし、その知恵が社会を乱している。
学生のアクセスの仕方にもそれを感じる。
子どもを教育するときも、そこが重要だと思う。
論理でない、「何か」だ。
さて、沖田先生が復活してくれた。
心からうれしい。
自分を省みず、いつもこっちを心配してくれる。
教え子として、襟を正すとともに、ヒエラルキーでなくシステムとして支え続ける。
その関係性は他人は推し量ることはできない。
それは「解釈脳」だから。
間違った形で認知される場合もあるだろう。
まだまだこの業界も成熟してない。
もうしばらく時間がかかるが、社会の波は待ってはくれない。
宮本先生と20世紀少年のことについて話をした。
クリームのホワイトルームをcharと鮎川がコピーしていたテレビについて面白おかしく語った。
作品について顔を見せながら話をすることが楽しい。
去年と同じ場所、同じ時間、同じシチュエーションで。
富士のケルンで、キースのケルコンの聞きながら。
今度の3月にはマーク・ボランをやるので、
docomo T-REX
soft bank Aero smith
au The rolling stones
ミーハーだが、その取り上げ方のバトルがいいね~~
ここ10年ぐらいコマーシャルを作っている人たちの年齢、嗜好がよくわかる。
皆さん、熱心に聴いてくれる。
まず大前提として、自らの脳の履歴(記憶の結晶)にも人間は支配されている視点をのべた。
患者さんに、という前に自らの視点は何にに由来されているかを進化論も含めて話をする。
そこに気づかないと、「脳科学」だの「神経科学」だの、言うが、結局は「機械論」なのだ。
それに到達するには人生経験、しばらくかかるし、ず~と発展するのだろう。
心を持った人間として、という自らへのアクセスがまず大前提である。
勉強や議論という前に、他者に対する心、あるいは他者との関係性を重要視すべきと僕は思う。誰かと誰かの関係性となれば、それは井戸端会議の噂話へと発展する。「解釈脳」だ。そこには<私が>の視点しかない。
批評の前のもっと広大な人間らしさに気づくのはいろんな社会に触れることが必要なのかもしれない。
言葉は幻影にすぎないかもしれない。
その人と人との今までの関係性について知らない場合は、あくまでも自らの「解釈脳」にバイアスを受ける。
このブログを見ている人、そして科学論文を見ている人、もそうなのである。
人によって捉え方が違うのは、人に履歴があるからであるし、もっと深い何かがあるのだと思う。
これについては「脳科学」では感情の研究者たちによって、いろんなことが言われているが、まだ確かなことはわかっていない。
私がある、私の心がある、けれども他者がある、他者の心がある。
そしてそれは私の方を見てくれている。と思えば争いなどない。
レベル2の探りあい、だましあい脳があるから、争いが起こる。
脳が発育するということは、そういうことなどだが、もっと上の脳がある。
レベル3である。
最近は知恵がついてきて、言葉が発達してきて、レベル2ばかりである。
それまではレベル2に到達できてないものもいた。
しかし、その知恵が社会を乱している。
学生のアクセスの仕方にもそれを感じる。
子どもを教育するときも、そこが重要だと思う。
論理でない、「何か」だ。
さて、沖田先生が復活してくれた。
心からうれしい。
自分を省みず、いつもこっちを心配してくれる。
教え子として、襟を正すとともに、ヒエラルキーでなくシステムとして支え続ける。
その関係性は他人は推し量ることはできない。
それは「解釈脳」だから。
間違った形で認知される場合もあるだろう。
まだまだこの業界も成熟してない。
もうしばらく時間がかかるが、社会の波は待ってはくれない。
宮本先生と20世紀少年のことについて話をした。
クリームのホワイトルームをcharと鮎川がコピーしていたテレビについて面白おかしく語った。
作品について顔を見せながら話をすることが楽しい。
去年と同じ場所、同じ時間、同じシチュエーションで。
富士のケルンで、キースのケルコンの聞きながら。
今度の3月にはマーク・ボランをやるので、
docomo T-REX
soft bank Aero smith
au The rolling stones
ミーハーだが、その取り上げ方のバトルがいいね~~
ここ10年ぐらいコマーシャルを作っている人たちの年齢、嗜好がよくわかる。