土曜日、明石まで小旅行的気分に。
兵庫県理学療法士会保健福祉部から予約していただいたホテルを勘違いしていた。
あぶなく、違うホテルに行くところだった。
先入観は怖い怖い。
たまたま、メールをチェックしたのがよかった。
土曜日はホテル、あるいはその周辺にノスタルジーを感じながら、
きれいでないということは、時に自らが昭和の人間であることを痛感させる。
どこに行っても同じ風景、同じホテルの部屋というものに、
「安心」を感じる自らの心は、
弱い心を助長する。
ヨーロッパ留学中のたくましさからはどんどん遠ざかっている弱い精神だ。
星なしホテルをはしごし、シャワー共同に慣れていた自分の精神からは徐々に遠ざかる。
安心とは、safetyのことではない。
安心とはpeace of mindあるいはfreedom from careのことである。
リハビリテーション対象者には、そのことを感じていただきたい。
Riskとsafeの白黒しかない、その世界はQOLではない。
土曜日は保健福祉部の皆さんと懇親。
病院勤務でない人たちが多いせいか、個性的だ。
ひさしぶりに、顔が記憶に残る。
私の前頭葉をいくつか揺さぶった。
アナゴのすき焼きが美味だった。
保健福祉部長の但馬長寿の郷の小森さんに感謝。
学生時代の先輩後輩な関係は、
ある意味、「ロマンティック」だ。
WSOの国際学会出張の前に強制的にお願いされる。
その関係性が、実はロマンティックなんだと思う。
三人称ではおそらく引き受けない。
結構かなり飲み、ホテルへ。
朝、ホテルでブレーカーが飛ぶという人生初めての事態に遭遇し、
エピソード記憶化された。
翌日、これまた昭和な喫茶店で小森さんとこれからのPT,リハについて語る。
その後ろには、インベーダーゲームを思わせるようなテーブルゲームが。
いや~これまた、心を揺さぶる。
講演会場へ。
今回はいつもと違う、「介護予防研修会」であり、
高齢者の脳と身体、そして運動などを話し、
「違いがわかる脳」について特に焦点化して話した。
同じ椅子でも違う。
そこに身体の秘密がある。
感覚を情報化するために脳がある。
身体はまさに受容器官であり、
身体がなければ脳は生きていけない。
脳だけ鍛えてもだめなルートがある。
それが頭頂葉―前頭葉ネットワークである。
ウルトラマンから階段昇降まで。
中村俊輔から運動会まで
今回は枝から攻めた。
300名ほどの聴衆者がいたが、若いせいか、
思いっきり僕の方が脱線できなかった。
ピンポイントで受けていた人たちは
Around 40の面々だったと思う。
最後には、「ロマンティックリハビリテーション」とは何かについて語った。
機械的リハビリテーションから心のリハビリテーションへ。
Re-habiritationにはその意味が含まれている。
ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトス、ホモ・サピエンス・・・人間らしさとは何かを考える教育がないことには、このまま医学的リハビリテーションはカオスから抜けることができない。
今の私がいるこの世界は、鎖国な世界を感じる。
今の私がいる世界は、薩摩や長州の利権を感じる。
もっと、広く、拡大解釈をしていくべきだと思う。
リハビリテーションとは、深いし広い。
いつまでも昔の杵柄な、狭いPTとしてやOTのアイデンティティのみで生きていってもそれは可塑性がない。
介護と連携しながら、変なプライドは捨てたほうがよいのかもしれない。
しかし、そのためには膨大な、知識、技術、社会性が必要だ。
終了後、いくつかの質問をいただいた。
高知の教え子もいたようだ。
もちろん、畿央の教え子の河石、斎藤翠、山岸も。
みんなの成長した笑顔を見れることが、
この職業についてよかったと思う瞬間だ。
兵庫県理学療法士会保健福祉部から予約していただいたホテルを勘違いしていた。
あぶなく、違うホテルに行くところだった。
先入観は怖い怖い。
たまたま、メールをチェックしたのがよかった。
土曜日はホテル、あるいはその周辺にノスタルジーを感じながら、
きれいでないということは、時に自らが昭和の人間であることを痛感させる。
どこに行っても同じ風景、同じホテルの部屋というものに、
「安心」を感じる自らの心は、
弱い心を助長する。
ヨーロッパ留学中のたくましさからはどんどん遠ざかっている弱い精神だ。
星なしホテルをはしごし、シャワー共同に慣れていた自分の精神からは徐々に遠ざかる。
安心とは、safetyのことではない。
安心とはpeace of mindあるいはfreedom from careのことである。
リハビリテーション対象者には、そのことを感じていただきたい。
Riskとsafeの白黒しかない、その世界はQOLではない。
土曜日は保健福祉部の皆さんと懇親。
病院勤務でない人たちが多いせいか、個性的だ。
ひさしぶりに、顔が記憶に残る。
私の前頭葉をいくつか揺さぶった。
アナゴのすき焼きが美味だった。
保健福祉部長の但馬長寿の郷の小森さんに感謝。
学生時代の先輩後輩な関係は、
ある意味、「ロマンティック」だ。
WSOの国際学会出張の前に強制的にお願いされる。
その関係性が、実はロマンティックなんだと思う。
三人称ではおそらく引き受けない。
結構かなり飲み、ホテルへ。
朝、ホテルでブレーカーが飛ぶという人生初めての事態に遭遇し、
エピソード記憶化された。
翌日、これまた昭和な喫茶店で小森さんとこれからのPT,リハについて語る。
その後ろには、インベーダーゲームを思わせるようなテーブルゲームが。
いや~これまた、心を揺さぶる。
講演会場へ。
今回はいつもと違う、「介護予防研修会」であり、
高齢者の脳と身体、そして運動などを話し、
「違いがわかる脳」について特に焦点化して話した。
同じ椅子でも違う。
そこに身体の秘密がある。
感覚を情報化するために脳がある。
身体はまさに受容器官であり、
身体がなければ脳は生きていけない。
脳だけ鍛えてもだめなルートがある。
それが頭頂葉―前頭葉ネットワークである。
ウルトラマンから階段昇降まで。
中村俊輔から運動会まで
今回は枝から攻めた。
300名ほどの聴衆者がいたが、若いせいか、
思いっきり僕の方が脱線できなかった。
ピンポイントで受けていた人たちは
Around 40の面々だったと思う。
最後には、「ロマンティックリハビリテーション」とは何かについて語った。
機械的リハビリテーションから心のリハビリテーションへ。
Re-habiritationにはその意味が含まれている。
ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトス、ホモ・サピエンス・・・人間らしさとは何かを考える教育がないことには、このまま医学的リハビリテーションはカオスから抜けることができない。
今の私がいるこの世界は、鎖国な世界を感じる。
今の私がいる世界は、薩摩や長州の利権を感じる。
もっと、広く、拡大解釈をしていくべきだと思う。
リハビリテーションとは、深いし広い。
いつまでも昔の杵柄な、狭いPTとしてやOTのアイデンティティのみで生きていってもそれは可塑性がない。
介護と連携しながら、変なプライドは捨てたほうがよいのかもしれない。
しかし、そのためには膨大な、知識、技術、社会性が必要だ。
終了後、いくつかの質問をいただいた。
高知の教え子もいたようだ。
もちろん、畿央の教え子の河石、斎藤翠、山岸も。
みんなの成長した笑顔を見れることが、
この職業についてよかったと思う瞬間だ。