森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

自然とは凹凸(ゆらぎ)のあるものである

2009年08月01日 07時09分45秒 | 過去ログ
この2日間ほど、
テスト作成、採点という教員の職務を遂行した。
採点にも「前頭前野のショートカット」システム機能が役に立つ。
採点するまでには時間がかかるが
し始めると早い。
「情動系」と「認知系」のシステムに基づくものと思う。

その間、会議を行い、先週に終了した4年生のインターンを総括した。
追実習が必要な者、再実習が必要な者について討議し
問題解決のための知恵を教員全員で検討した。

試験の合間には「リハビリテーションのための人間発達学」の依頼原稿をフィニッシュさせようとしたが、
入れ替え作業に時間がかかり、盆までの修正と目標を変更した。
遅延となりご容赦願いあげるしだいである。

村田病院にうかがい、院生らの研究を確認し、
投稿原稿の修正原稿のレビューが異様に長いと思い国際雑誌のレビューを
みらなってもらいたいものだと思った。
あまりにも細部を追求したレビューはいかがなものかと思う。
そのように統制しすぎてしまえば本来の形を失う。
多少、凹凸があるほうが「批判的吟味」を加える意味でいいのだが・・・
あまりにも凹凸を減らしてしまえば、○となり、吟味を加えられない。
それにとげがなくなれば、本来いおうとしたことでなくなる。
ルール内であれば、ある程度は「新規性」「独創性」の意味から受理すべきと思う。

いや、凹凸という明確なものでなく
ファジーな揺らぎあるものかな。
凹凸だと1が0になるので。
人間が考え、人間が書くものである。
さらにそれがマクロな人間科学であれば、
揺らぎは生じる。

普遍性をのぞめば、
それはミクロの研究のみになる。
それを掛け合わせても人間にはならない。
今の「人間科学」の方向性が間違っていると感じるときもある。

その当たりは、国際雑誌は迅速である。
いずれにしても、編集委員がガチガチであれば
何も新しいものは生まれない。
それでは若者の雑誌の読書離れになるだろう。
Peer Reviewは良いことだが編集員が科学的という視点を重要視して
臨床の現場に盲目になってしまうような気もする。


脳機能イメージング研究の展開についてとみなが先生と確認しあい、
学生の依頼をしつつ大学に帰った。

大学に帰り、採点を行い掲示した。
再試験となったみなさん、がんばってください。


さて、今日は今から富山です。
富山の日帰りは結構過酷ではないか、とも思う。
1時間半の講演に、約10時間の移動。
東京日帰りよりきついのかもしれない。

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