我が部署も私が来た頃よりはずいぶん人数が増えました。
当然ながら少しでも現場がラクになるように人数を増やすわけですが、人数が増えても一人一人の重みは大きくなっているような気がします。
職場ですから当然立場の上下や役割の違いはあるものの、それぞれが任せられたところはしっかりやり切る気概を持って初めてスムーズに回っていくものです。
私は製造工場への搬送など他の社員に比べて単独でやる仕事の割合が大きいので、組織の中にいながらも与えられた仕事は「我が物」くらいの思いでいかないことには何かとアラの多い姿になってしまいます。
立場は低くても、任せられた部分は自分が「主役」であり、他人には負けないものを出していくことが必要です。
最初は根拠のない自信というヤツでも全然けっこう、経験を重ねて誠実に実績を積んでいけば自然と周囲の信頼は得られますし、攻撃しようとする人間もいなくなっていきます。
年度が変わってから多忙な日々が続き、まさに一人一人が主人公をやれないことには回らない状況です。
脇役を最初から決め込むような人間がいては全体の士気にも関わります。
ましてや、同じ仕事場にいながら、脇役を通り越してまるで観客のような意識の人間もいますので困ります。
ある日のことですが、自動倉庫の警報音が聞こえたので様子を見に行きました。
すると、その日の担当である某氏が立ちすくんでいて、リカバリーに入るように言ったのですが自信がないのかあれこれ言い訳を付けて行こうとしません。
仕方がないので私が入って修復しましたら、「大事に至らなくてよかったです」ということでした。
こういう場面で自ら修復して大事に至らない状況を作り上げなくてはいけないはずですが、さんざん人の手を取って自分は何もしなかったのにこの言い草、まったくあきれるばかりです。
思い切り自分が原因のミスであっても、「確認の徹底が望まれる」などと日報にコメントをするくらいの人ですから、当事者意識などカケラもなく、まさに毎日が観客気分ということなのでしょう。
推測に過ぎませんが、たとえバレバレの失敗でも自らの非を絶対に認めようとしないか、認めても妙に第三者的な物言いをしたり他人のせいにしたりしがちな人というのは、人格形成期において「周囲が厳しすぎた」のかもしれません。
例えば、家の皿でも花瓶でもいいのですが何かを壊してしまい、「正直に言え、怒らんから」と言われて正直に言ったら烈火のごとくに怒られた、などという経験を持つ人は、自分の失敗を正直に認めることに恐怖を感じるようになっても何ら不思議ではないのです。
すでに相当の年齢になっている某氏、いまだに他人の顔色ばかりが気になりまったく自分の意思で動けていない様子を見るにつけ、何とも気の毒な人生になっていると思わざるを得ません。
行動基準が他人にある人に「主役」になることを要求しても無理なのですが、仕事で関わりがある以上は最低限の役割はこなしてほしいところ、セクション全体にとっても悩ましい日々が続きそうです。
当然ながら少しでも現場がラクになるように人数を増やすわけですが、人数が増えても一人一人の重みは大きくなっているような気がします。
職場ですから当然立場の上下や役割の違いはあるものの、それぞれが任せられたところはしっかりやり切る気概を持って初めてスムーズに回っていくものです。
私は製造工場への搬送など他の社員に比べて単独でやる仕事の割合が大きいので、組織の中にいながらも与えられた仕事は「我が物」くらいの思いでいかないことには何かとアラの多い姿になってしまいます。
立場は低くても、任せられた部分は自分が「主役」であり、他人には負けないものを出していくことが必要です。
最初は根拠のない自信というヤツでも全然けっこう、経験を重ねて誠実に実績を積んでいけば自然と周囲の信頼は得られますし、攻撃しようとする人間もいなくなっていきます。
年度が変わってから多忙な日々が続き、まさに一人一人が主人公をやれないことには回らない状況です。
脇役を最初から決め込むような人間がいては全体の士気にも関わります。
ましてや、同じ仕事場にいながら、脇役を通り越してまるで観客のような意識の人間もいますので困ります。
ある日のことですが、自動倉庫の警報音が聞こえたので様子を見に行きました。
すると、その日の担当である某氏が立ちすくんでいて、リカバリーに入るように言ったのですが自信がないのかあれこれ言い訳を付けて行こうとしません。
仕方がないので私が入って修復しましたら、「大事に至らなくてよかったです」ということでした。
こういう場面で自ら修復して大事に至らない状況を作り上げなくてはいけないはずですが、さんざん人の手を取って自分は何もしなかったのにこの言い草、まったくあきれるばかりです。
思い切り自分が原因のミスであっても、「確認の徹底が望まれる」などと日報にコメントをするくらいの人ですから、当事者意識などカケラもなく、まさに毎日が観客気分ということなのでしょう。
推測に過ぎませんが、たとえバレバレの失敗でも自らの非を絶対に認めようとしないか、認めても妙に第三者的な物言いをしたり他人のせいにしたりしがちな人というのは、人格形成期において「周囲が厳しすぎた」のかもしれません。
例えば、家の皿でも花瓶でもいいのですが何かを壊してしまい、「正直に言え、怒らんから」と言われて正直に言ったら烈火のごとくに怒られた、などという経験を持つ人は、自分の失敗を正直に認めることに恐怖を感じるようになっても何ら不思議ではないのです。
すでに相当の年齢になっている某氏、いまだに他人の顔色ばかりが気になりまったく自分の意思で動けていない様子を見るにつけ、何とも気の毒な人生になっていると思わざるを得ません。
行動基準が他人にある人に「主役」になることを要求しても無理なのですが、仕事で関わりがある以上は最低限の役割はこなしてほしいところ、セクション全体にとっても悩ましい日々が続きそうです。