blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

争いたい人

2016-01-18 20:37:40 | 日記
年末が押し迫り新年を迎えようという時、誰もが来たる年こそ良い年にと願う。
新しい年がまだ始まっていない段階で悪いことを願う人はいない。
ところが、年が明けてみたところで、世の中からは争いやらウソやらダマシやら盗みやら虐待やら偽装やらはなくならず、それらが痛ましい事態を招くことにもなっている。
何も年明け早々からこんなことが起きなくても、と思う出来事が多くて暗い気持ちにもなる。

私の故郷である魚津市の某スナックで、一人のご老人が「一番になりたいという欲望が人間にある限り争いは無くならない」とつぶやいた、とはずいぶん前に本欄に書いた。
唯一の超大国の地位は守りたい米国と、その座を虎視眈々と狙う中国とのことを例えに書いた覚えがある。
近年の世界情勢は東西冷戦時のような一対一の単純な状況ではなく、種々の勢力が「我々が最も正しい」と主張しあってゴチャまぜになっている状況だ。
テロや虐殺をも厭わない過激派も入り混じり、毎日何百何千の普通の市民が犠牲になっていると思うとこれまた暗い気持ちになる。
自分たちの思想信条が絶対で他は正しくないと思うから、他は排斥すべきものとなり争いが起きる。
どの宗教の教祖様も決して自らの教えだけが正しいとは言っていないはずなのだが。

話を自分の身の回りに戻すと、なぜそこまで争いたいか、と思う人はいる。
どう高く見積もってもそう図抜けた能力は持っていないのだが、できないヤツと思われることを極端に恐れるのか、自分が正しいことをアピールしたいのか、せっかくの仲間を攻撃するほうに走ってしまう。
相手は相手で明らかに攻撃する意図を感じるから、当たり前のようにケンカになる。
大切な仲間でありながらこれでもかと攻撃しなければならないのは自分のみを正しいと信じるからだが、これこそ原理主義、己に自信が持てていない何よりの証拠であり、どこぞの過激派と何ら変わりはない。
また、逆に他から指摘や注意を受けた時も過剰に反応して延々と人前でケンカをすることがあるのも、実際の力以上に自分はできる、あるいは正しいと思い込んでいたいがゆえである。
これでは本当にその人が何か困っても助けようという気になれるか分からない。
少なくとも、自分からすすんでからんで行きたくはない人である。

週の初めから不毛なバトルを見せつけられると、自分には何も関係がなくてもイヤな気持ちになる。
事業所の中でお世辞にも位置付けが高いとは言えないセクションで、無駄な言い争いばかりしているのは良くない。
底辺は底辺なりに日々プライドを持ち、果たすべき義務や役割を誠実に片付けていけば、やがて周囲の見方も変わってくるのだろう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする