先週は職場で何かとゴタゴタあり、当事者どうしは当面仕事上であまり交わらないことで収まった。
戦闘状態はわずかな時間で過ぎたが、お互い一年近くのモヤモヤを抱えた末での話なので、まさに現在の南北朝鮮のごとく差し当たりは「休戦」となっているだけである。
相手には相手の、こちらにはこちらの言い分があるが、建前は相互不可侵、相手のやることには口も出さないし手も貸さない状態がしばらくは続くだろう。
さて、そんな不毛な争いの疲れはひとまず夜の街に出て癒し、しかし土曜は疲れがどっと出て寝転んでいるばかりであった。
相応に気持ちの落ち込みもあったが、日曜の昼になってようやく元気も戻り、土日をすべて引きこもるのももったいない気になってきた。
と言っても時計の針はすでに14時、お手軽に行けるところとしていくつか考えていた中、岐阜県海津市にある千代保(ちよぼ)稲荷神社まで行くことにした。
日本三大稲荷は、京都の伏見、愛知の豊川、そしてココということで、近々豊川にも行ってまた新たなコレクション完成といきたいところだ。
千代保稲荷神社は、道路地図などでは「お千代保稲荷」と紹介されている。
読み方は「おちょぼいなり」となり、より親しみを込めて「おちょぼさん」と呼ばれることも多い。
そのおちょぼさん、いわゆるゼロメートル地帯の田園風景の中に突如として大きな鳥居が現れたのですぐに分かった。
南口大鳥居の写真。

とりあえずはお参りに来たわけなので、まず本殿の敷地内に入って静かにお参りをした。


その後は種々雑多な店舗が立ち並ぶ参道を気まぐれに散策。

何か一つくらいは買い物を、と思い、「千代保」を丸で囲ったデザインの昭和臭いTシャツを一枚買って帰った。
出入りの運送屋さんが同じものを着ていたのをうっすらと覚えていたのである。
本来は串カツなんぞをかじりつつノンビリ散策するのがいいのだろうが、初めてだったし来た時間も遅かったのでけっこうあっさりと出てきてしまった。
帰り道、車から撮った「東海大橋」の写真。
橋の途中に県境があって、写真では手前が岐阜県側である。

この地区独特の風景として、三本もの大河がほぼ同じところに集中してくる様子は圧巻である。
土地の高低差が少なく流れも文字どおり滔々としているのが急流河川ばかりの富山とは違うところだ。
最近のゴタゴタもあって、もしかしたら私の当地での時間もそう長くはないのではないかという思いに駆られている。
サラリーマンにとって、二年という年月はどこかに動くのに短すぎるということはない。
もう少し楽しみたかった当地とお別れすることになれば、おちょぼさんも最初で最後の訪問となってしまうだろう。
詳しくは書けないが、事業所としては徐々に人が要らなくなってくるはずなので、私のような気性の荒い、しかし動かしやすい社員はいつどうなってもおかしくないくらいに思っておいて損はないのかもしれない。
戦闘状態はわずかな時間で過ぎたが、お互い一年近くのモヤモヤを抱えた末での話なので、まさに現在の南北朝鮮のごとく差し当たりは「休戦」となっているだけである。
相手には相手の、こちらにはこちらの言い分があるが、建前は相互不可侵、相手のやることには口も出さないし手も貸さない状態がしばらくは続くだろう。
さて、そんな不毛な争いの疲れはひとまず夜の街に出て癒し、しかし土曜は疲れがどっと出て寝転んでいるばかりであった。
相応に気持ちの落ち込みもあったが、日曜の昼になってようやく元気も戻り、土日をすべて引きこもるのももったいない気になってきた。
と言っても時計の針はすでに14時、お手軽に行けるところとしていくつか考えていた中、岐阜県海津市にある千代保(ちよぼ)稲荷神社まで行くことにした。
日本三大稲荷は、京都の伏見、愛知の豊川、そしてココということで、近々豊川にも行ってまた新たなコレクション完成といきたいところだ。
千代保稲荷神社は、道路地図などでは「お千代保稲荷」と紹介されている。
読み方は「おちょぼいなり」となり、より親しみを込めて「おちょぼさん」と呼ばれることも多い。
そのおちょぼさん、いわゆるゼロメートル地帯の田園風景の中に突如として大きな鳥居が現れたのですぐに分かった。
南口大鳥居の写真。

とりあえずはお参りに来たわけなので、まず本殿の敷地内に入って静かにお参りをした。


その後は種々雑多な店舗が立ち並ぶ参道を気まぐれに散策。

何か一つくらいは買い物を、と思い、「千代保」を丸で囲ったデザインの昭和臭いTシャツを一枚買って帰った。
出入りの運送屋さんが同じものを着ていたのをうっすらと覚えていたのである。
本来は串カツなんぞをかじりつつノンビリ散策するのがいいのだろうが、初めてだったし来た時間も遅かったのでけっこうあっさりと出てきてしまった。
帰り道、車から撮った「東海大橋」の写真。
橋の途中に県境があって、写真では手前が岐阜県側である。

この地区独特の風景として、三本もの大河がほぼ同じところに集中してくる様子は圧巻である。
土地の高低差が少なく流れも文字どおり滔々としているのが急流河川ばかりの富山とは違うところだ。
最近のゴタゴタもあって、もしかしたら私の当地での時間もそう長くはないのではないかという思いに駆られている。
サラリーマンにとって、二年という年月はどこかに動くのに短すぎるということはない。
もう少し楽しみたかった当地とお別れすることになれば、おちょぼさんも最初で最後の訪問となってしまうだろう。
詳しくは書けないが、事業所としては徐々に人が要らなくなってくるはずなので、私のような気性の荒い、しかし動かしやすい社員はいつどうなってもおかしくないくらいに思っておいて損はないのかもしれない。