blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

今から変わるには

2018-04-18 20:03:48 | 日記
何度も書いている通り、私はもう中年と呼ばれる年齢で、東京五輪の年には50歳になる。
ここ数回のエントリーと通じるところもあるかもしれないが、この年齢からひとりの人間として劇的に何かが変わることは少ない。
サラリーマンをやっていれば、残された年数や会社あるいは上司の雰囲気などで、だいたいどのくらいまで行って終了か分かってくる。
私のように、地味で単調な肉体労働をやっていればなおさら、昇格や出世につながるパフォーマンスを出すことは至難だ。
花形もあればそうでない部署もあって成り立っているのがいわゆる組織というもので、必要でない部署などない。
しかしそうは言っても、やはり花形でないところは他より飛び抜けたことを要求されることはないから、特別に評価をされることも少ない。

業種や業界として必要な知識や経験がほとんどない私のような人間は、今の部署、今の仕事だから何とか今の会社にいられるのであって、突然事務方に放り込まれてもできることは何もない。
現在、アクシデントにより会社を離れてはいるが、体調さえ戻ればいずれは会社に戻る。
戻ったところでやることは変わらず、いや、むしろ自分が持っている資格や免許のことを考えれば変わらないほうがいい。
二年半で体にしみついたものはそう簡単には忘れない。
前期よりはさらに忙しくなっているであろう日々の流れにいかに早く対応するか、それだけが問題だ。

しかし、今の職場とてプロの世界、私がこうして体の調整のために会社を空けている間に誰かがポジションを奪っているかもしれない。
そうなった時はいよいよこの年齢からでも身の振り方について考えざるを得なくなる。
というよりも、今からもしもに備えて準備をする。
会社に復帰して、しかしその後不本意な現実を見せつけられてから考えていてはたぶん遅い。
若い人には時間というアドバンテージがあるが、中年のオヤジにはそんなものはない。
長い一日を草むしりと掃除と無駄話だけで終わらせる毎日はとても耐えられないし、そんなことになれば、せっかく与えられた一度きりの人生の無駄遣いとなり、親族やご先祖様に申し訳が立たないではないか。
生活さえさせてもらえればいいと寄生虫のように会社にぶら下がるのは本意でない。

今から私がもっと実りある人生を目指すならば、今の仕事に寄りかかっていてはダメだ。
寄りかからないで尽くすのかと言えばそれは違うし、本当に変わることにはならない。
時間のない中年が変わるためにできることは、好きなことや得意なことを手掛かりに行動を起こすことしかない。
苦手を克服している時間は私にはない。
たとえ今からでも、自分が本当に世の中の役に立つために何をすればいいのか。
これだけは誰にも負けない、負けたくないと言えるものがあるのなら、それで勝負するのもたった一度の人生の中で許されないことでもないのだろうと思う。

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