タイトルにある問いかけを投げられたら、普通の人はどう答えるだろう。
多くの人は「命」だろう。
あるいは、お金のことを「命の次に大事な」という枕詞を使って表現する人も多い。
生きて行く上ではお金は確かになくてはならない。
そのお金を稼ぐために、毎日早起きをして電車に揺られて職場に向かい遅くなるまで働く人が大半である。
継続した収入の見込みがなければ、私的な計画も立てられないし、生活のベースであるところの衣食住のどれかのバランスが狂ってしまう。
毎日の生活に不安が少ないに越したことはなく、ある程度の安定がないと精神的にも落ち着かない。
我が国では、平成の御世も30年目となった今に至っても、組織の歯車となり身勝手な部下や理不尽な上司の振る舞いに耐えながら、会社が搾り取った後のおこぼれをいただいて生活の糧を得る人がほとんどである。
大企業といえばそれこそ安定の代名詞のように言われ、子供たちは親の世代からいい学校に行っていい会社に入ることを期待される。
今まさに就活中の学生さんの中にも「大企業=安定」というイメージは、昔ほどではないにしてもどこかには持っているはずだ。
御多分にもれず、しかし私の場合は特に親からもらった能力だけで何となく周囲がイメージするようなレールに順調に乗りすぎ、生きることについて真剣に考えることもなく流されるようにして学校時代を過ごした。
就職活動も周りに流されロクな自己分析もしないまま、地元の大企業というありがちな選択をして、数年後には大きな失敗に終わった。
その失敗の後も、形はともかく雇われて給料をいただくという働き方を生活する上での唯一無二のものと考えてやってきて、しかし今までの間に追い詰められるような経験は数えきれず、実際に数回倒れているのだから、一口に働くと言っても相当に大変なことに人生の多くの時間を費やしてきたのである。
ところが最近、ふと目に止まって聴きに行った講演会で、面白い言葉の解釈に出会った。
企業は「人を止める業」、安定は「安く定まる」というのである。
私も、会社は「社会」をひっくり返した言葉だから全て会社なるものは反社会的なものだなどと飲みの冗談で言ったこともあるが、さすがにこの二つの言葉をそうやって解釈した人には初めて会った。
若い頃から会社勤めに疑問を感じ、艱難辛苦の末に今は成功を収めている方の言葉だから説得力もある。
お金より大切なものは命、それは正しいし、命は「時間」という言葉にそのまま置き換えられる。
平日を会社で過ごし土日を観光や旅行で過ごすのも立派な時間の使い方だが、起きている7分の5の時間は会社にいると思うと、年齢を重ね「もう時間がない」という思いを抱けば抱くほど、7分の5をできれば小さくできないか、そこで得られた時間を社会や家族のために使えないかとも思う。
本当にそういう時間が欲しいと思ったら、お金をたくさん持っている方がいい。
お金のために時間を削るのではなく、時間のためにお金を稼ぐのである。
あくまで充実した時間を送るための手段として、お金を多く稼ぐことは決して悪いことではない。
消費増税や物価上昇で今のままでは安定どころか下降が避けられない市井の普通の会社員に今から何ができるのか、せっかくのお休みの時間だから、真剣に考え、できることは行動に移すべき時期に来ているのではないかと思う。
多くの人は「命」だろう。
あるいは、お金のことを「命の次に大事な」という枕詞を使って表現する人も多い。
生きて行く上ではお金は確かになくてはならない。
そのお金を稼ぐために、毎日早起きをして電車に揺られて職場に向かい遅くなるまで働く人が大半である。
継続した収入の見込みがなければ、私的な計画も立てられないし、生活のベースであるところの衣食住のどれかのバランスが狂ってしまう。
毎日の生活に不安が少ないに越したことはなく、ある程度の安定がないと精神的にも落ち着かない。
我が国では、平成の御世も30年目となった今に至っても、組織の歯車となり身勝手な部下や理不尽な上司の振る舞いに耐えながら、会社が搾り取った後のおこぼれをいただいて生活の糧を得る人がほとんどである。
大企業といえばそれこそ安定の代名詞のように言われ、子供たちは親の世代からいい学校に行っていい会社に入ることを期待される。
今まさに就活中の学生さんの中にも「大企業=安定」というイメージは、昔ほどではないにしてもどこかには持っているはずだ。
御多分にもれず、しかし私の場合は特に親からもらった能力だけで何となく周囲がイメージするようなレールに順調に乗りすぎ、生きることについて真剣に考えることもなく流されるようにして学校時代を過ごした。
就職活動も周りに流されロクな自己分析もしないまま、地元の大企業というありがちな選択をして、数年後には大きな失敗に終わった。
その失敗の後も、形はともかく雇われて給料をいただくという働き方を生活する上での唯一無二のものと考えてやってきて、しかし今までの間に追い詰められるような経験は数えきれず、実際に数回倒れているのだから、一口に働くと言っても相当に大変なことに人生の多くの時間を費やしてきたのである。
ところが最近、ふと目に止まって聴きに行った講演会で、面白い言葉の解釈に出会った。
企業は「人を止める業」、安定は「安く定まる」というのである。
私も、会社は「社会」をひっくり返した言葉だから全て会社なるものは反社会的なものだなどと飲みの冗談で言ったこともあるが、さすがにこの二つの言葉をそうやって解釈した人には初めて会った。
若い頃から会社勤めに疑問を感じ、艱難辛苦の末に今は成功を収めている方の言葉だから説得力もある。
お金より大切なものは命、それは正しいし、命は「時間」という言葉にそのまま置き換えられる。
平日を会社で過ごし土日を観光や旅行で過ごすのも立派な時間の使い方だが、起きている7分の5の時間は会社にいると思うと、年齢を重ね「もう時間がない」という思いを抱けば抱くほど、7分の5をできれば小さくできないか、そこで得られた時間を社会や家族のために使えないかとも思う。
本当にそういう時間が欲しいと思ったら、お金をたくさん持っている方がいい。
お金のために時間を削るのではなく、時間のためにお金を稼ぐのである。
あくまで充実した時間を送るための手段として、お金を多く稼ぐことは決して悪いことではない。
消費増税や物価上昇で今のままでは安定どころか下降が避けられない市井の普通の会社員に今から何ができるのか、せっかくのお休みの時間だから、真剣に考え、できることは行動に移すべき時期に来ているのではないかと思う。