「赤信号みんなでわたればこわくない」は、言わずと知れたツービート(知らない世代が増えたが)のギャグである。
実際に赤信号をみんなでわたっているところに遭遇したことはないが、信号無視も大集団で来られればさすがにその中を突っ切って大量殺人者になる勇気は持てない。
人間はある程度まとまれば大きな力を発揮するもので、日本では珍しいデモやストライキは欧米では日常茶飯事である。
さて、日本人は権威に従順と言われるがそれだけ多数派に入りたがる傾向が強いとも言える。
世の中や特定の集団における最大公約数から外れていると見なされれば容赦なく攻撃や差別の対象になりやすいのは、近年のマスク警察や自粛警察のような物言いを見ればわかるだろう。
○○警察を好んでやる人物は、自らが世の多数に属していることに安心しきっており、理由が何であれ少数に属するものは攻撃してもいいと本気で思っている。
「多数=正義」という短絡的な思考を変えることは他人には難しく、こういう手合いは個人的には大変苦手である。
さて、当地富山県でも新コロの感染者数が増えてきた。
年末あたりでは累計4,860人くらいからなかなか増えず、マスコミ報道も「県内の累計感染者数は○○人の『ままです』」というある種罪深い物言いが続いていた。
私自身は毎日つぶさに計算する気はサラサラないが、そろそろ累計5,000人は超えてくるかなと思ってはいた。
そうしたら、今日の通勤帰りのラジオでご親切なことに5,000人を超えたことをシッカリ伝えてくれた。
やはりと言っては何だが、富山のマスコミさんにとって5,000人到達が一つの「目標」(願望?)であったようにも思え、運転しながら思わず冷笑してしまった。
不思議なことに、感染力が強いとされるオミクロン株によって感染者の増加ペースは「過去最悪」であるわけだが、どの局を見ても過去最悪という表現には決してならず「過去最多」と言うばかりである。
マラソンやスピードスケートで新記録が出たらそれは素晴らしいことだが、感染者数の増加は社会にとってマイナスでしかないし、ましてや他国と数を競うようなものでもないので過去最多の連発には強烈な違和感がある。
我が国は欧米に比べれば一日あたりの新規感染者数は2ケタ少ないのだから成績としては「惨敗」であり、しかしそれは逆にいいことなのだから他国との比較上では胸を張ってもいいくらいのものだ。
まあ、そこまで最多最多と言いたいなら、国民全員が感染してしまうまで言い続ければいい。
マスクをするのも「みんながするから」が通るのならば、新コロ感染も「みんなが感染しているから」が通らないとおかしい。
いつか国民の大多数が感染してしまうという事態が仮に起きたら、世の多数派信奉者は感染しないと安心できないのではなかろうか。
あなたもわたしもみんな感染者ということになれば、やがては「予防接種未済者」を差別するがごとく、「未感染者」が差別されるという文字通り本末転倒なことが起きるのだろうか。
ちなみに、新コロが騒がれ出した当初は「新型肺炎」とも言われたが、オミクロン株はノドや食道に異常が出るようだ。
つまり肺炎ではない、ということは病気として全くの別物ではないかという疑問もわく。
新コロでひとくくりにされているから見落としがちになるが、もとより別の病気ということなら今までと同じ対策を続けることはもちろんのこと、同じ予防接種の3回目という話はどう考えてもおかしくないか。
感染者数増加が落ち着いていた時期には話題になっていた飲み薬の話も今は吹っ飛び、予防接種促進一辺倒の報道に変わった。
これから矢継ぎ早に子どもへの接種も承認され、ほとんどの国民に予防接種が行き渡ることになる。
私自身は1回目は何ともなかったが2回目の翌日に高熱が出たから3回目と言われると正直不安だ。
幸い2回目を受けたのは世間一般より遅かったと思うので、よほどの前倒しにでもならない限りはもう半年くらいは打たなくていい。
国のトップである総理大臣自ら「過度に恐れることなく」という言葉を発してもいるので、あおり運転ならぬ「あおり報道」(こちらがよほど捕まってほしい)に惑わされることなく、規則正しい基本的な生活だけを心がけていきたい。
実際に赤信号をみんなでわたっているところに遭遇したことはないが、信号無視も大集団で来られればさすがにその中を突っ切って大量殺人者になる勇気は持てない。
人間はある程度まとまれば大きな力を発揮するもので、日本では珍しいデモやストライキは欧米では日常茶飯事である。
さて、日本人は権威に従順と言われるがそれだけ多数派に入りたがる傾向が強いとも言える。
世の中や特定の集団における最大公約数から外れていると見なされれば容赦なく攻撃や差別の対象になりやすいのは、近年のマスク警察や自粛警察のような物言いを見ればわかるだろう。
○○警察を好んでやる人物は、自らが世の多数に属していることに安心しきっており、理由が何であれ少数に属するものは攻撃してもいいと本気で思っている。
「多数=正義」という短絡的な思考を変えることは他人には難しく、こういう手合いは個人的には大変苦手である。
さて、当地富山県でも新コロの感染者数が増えてきた。
年末あたりでは累計4,860人くらいからなかなか増えず、マスコミ報道も「県内の累計感染者数は○○人の『ままです』」というある種罪深い物言いが続いていた。
私自身は毎日つぶさに計算する気はサラサラないが、そろそろ累計5,000人は超えてくるかなと思ってはいた。
そうしたら、今日の通勤帰りのラジオでご親切なことに5,000人を超えたことをシッカリ伝えてくれた。
やはりと言っては何だが、富山のマスコミさんにとって5,000人到達が一つの「目標」(願望?)であったようにも思え、運転しながら思わず冷笑してしまった。
不思議なことに、感染力が強いとされるオミクロン株によって感染者の増加ペースは「過去最悪」であるわけだが、どの局を見ても過去最悪という表現には決してならず「過去最多」と言うばかりである。
マラソンやスピードスケートで新記録が出たらそれは素晴らしいことだが、感染者数の増加は社会にとってマイナスでしかないし、ましてや他国と数を競うようなものでもないので過去最多の連発には強烈な違和感がある。
我が国は欧米に比べれば一日あたりの新規感染者数は2ケタ少ないのだから成績としては「惨敗」であり、しかしそれは逆にいいことなのだから他国との比較上では胸を張ってもいいくらいのものだ。
まあ、そこまで最多最多と言いたいなら、国民全員が感染してしまうまで言い続ければいい。
マスクをするのも「みんながするから」が通るのならば、新コロ感染も「みんなが感染しているから」が通らないとおかしい。
いつか国民の大多数が感染してしまうという事態が仮に起きたら、世の多数派信奉者は感染しないと安心できないのではなかろうか。
あなたもわたしもみんな感染者ということになれば、やがては「予防接種未済者」を差別するがごとく、「未感染者」が差別されるという文字通り本末転倒なことが起きるのだろうか。
ちなみに、新コロが騒がれ出した当初は「新型肺炎」とも言われたが、オミクロン株はノドや食道に異常が出るようだ。
つまり肺炎ではない、ということは病気として全くの別物ではないかという疑問もわく。
新コロでひとくくりにされているから見落としがちになるが、もとより別の病気ということなら今までと同じ対策を続けることはもちろんのこと、同じ予防接種の3回目という話はどう考えてもおかしくないか。
感染者数増加が落ち着いていた時期には話題になっていた飲み薬の話も今は吹っ飛び、予防接種促進一辺倒の報道に変わった。
これから矢継ぎ早に子どもへの接種も承認され、ほとんどの国民に予防接種が行き渡ることになる。
私自身は1回目は何ともなかったが2回目の翌日に高熱が出たから3回目と言われると正直不安だ。
幸い2回目を受けたのは世間一般より遅かったと思うので、よほどの前倒しにでもならない限りはもう半年くらいは打たなくていい。
国のトップである総理大臣自ら「過度に恐れることなく」という言葉を発してもいるので、あおり運転ならぬ「あおり報道」(こちらがよほど捕まってほしい)に惑わされることなく、規則正しい基本的な生活だけを心がけていきたい。