blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

短いもの

2015-12-22 20:19:10 | 日記
今日は一年で最も日が短いとされる冬至である。
この時間、もう入浴は終わったが、ユズを浮かべたりはしなかった。
自宅に浴槽は付いていても、使ったのはほんの数日しかない。
たまには浴槽に湯を張ってのんびりしたいとは思いつつ、寒いこの季節でも熱めのシャワーで済ませてしまっている。
せっかくの自動お湯張り機能も宝の持ち腐れだ。

冬至を迎えるまでもなく、会社から帰る頃にはもう真っ暗という日々、休みの日でも特別な用事を除いてはやはり暗くなる前に自宅に着いておきたいと思う。
人間も動物の一つ、日の当たらない場所で活動するようには本質的にはなっていない。

しかし、冬至を迎えてしまえば、1月から2月にかけて寒さは増しても昼は日に日に長くなっていく。
年を越してしばらくの時期でも気持ち昼が長くなったように感じられ、2月に入れば今頃とはだいぶ変わる。
もうこれ以上昼が短くならないと思って少しホッとするのも冬至という日である。

短いといえば、私は気が短い。
短気は損気とはよく言うが、決して間違いではないし、確かにあまり得をすることはない。
ただ、どうしてもやむを得ない場合には怒りを表に出すことも必要で、一瞬だけでもブチ切れたことでずいぶんその後が過ごしやすくなるケースもある。
ナマイキと言われようが、あまり無茶を言うとさすがに怒るよというところはタイミングを見て表現しなくてはならない。
たかが仕事の上で会っている人間、すべてに好かれようなどとは毛頭考えていない。
突き放しておく方が安全ならそれもまた良しということである。

以前にも書いたが、弱い者イジメをして精神の安定を保とうとする人間はどこの環境にも一定割合はいる。
もともとこの手の人間は、自分より力が劣ると思っている人間や、何を言っても抵抗してこないだろうと思っている人間には滅法強い。
しかし、イザという時、その、弱いとされている人間からの本気の抵抗を食らうと意外なほど弱く、時には頼みもしないのに急に卑屈になって謝ったりしてくる。
もともとの接し方が悪意に満ち満ちているという後ろめたさがあるからだろう。

単なる二十四節気の一つの話から物騒な方向に飛んでしまったが、どんなにキレイごとを言っても人間関係を左右するのは「力」としか言いようがない。
単純な暴力や実力行使はもちろんご法度だから使えないし使わない。
市井の平凡な人間が持ちうるただ一つの力というなら、抑止力しかない。
まずは日頃の実力をつけることを前提に、こいつはイザとなれば本気で向かってくる、というところを必要な相手に思わせるだけでいい。
一度イメージをつければ、後は相手が勝手に考えてくれるからそうなればしめたものだ。

職場というところは否応無しにこういう余計なことを考えさせられるので、自分の中の磁石が狂ってしまう。
もうすぐ年内の勤務も終わるから、地元でしっかり磁石を調節して年明けに向かいたい。
大人の対応で日々を穏やかに済ませることができるならいいのだろうが、気の短い私には無理かな、と考えた昼が最も短い日の夜であった。
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