blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

雑多に

2021-01-26 20:55:01 | 日記
今日は仕事は休みである。
コンビニ夜勤という立場だと、仕事がある日(夜に出て行く日)は体を休めることを優先してしまい本欄にまで気が回らない。
できれば毎日でも更新したいところだが、不定期になってしまうことはご容赦願いたい。

経営の都合で複数店舗を渡り鳥していた状況から、某店で人員が一人抜けたこともあり、同じ店舗に専属となって一週間あまりが経った。
一部品目ではあるが商品の注文に携わる身、同じ店に出続けることで注文が多すぎたのか少なすぎたのか自分自身で把握できるようになったので仕事としての楽しさは増したと思う。
多すぎたところでゴミが増えるだけ、少なすぎたところで若干お客さんに不便をかけるだけで、自分が生きるか死ぬかという話にはならないから深く考えることはないのだが、現場の状況を見て売れ行きが絶妙な感じに収まったと感じた時はなかなか気持ちがいいものだ。
もともと、感覚をつかめるまでには半年か一年はかかるという話を聞いていたことからすると、正解ではないにしても大筋は外していない仕事ができていることには我ながら満足している。

さて、某日の勤務中にかつての職場で大変お世話になった先輩と再会することができた。
職業人という立場で私自身が恩師と呼べる方は二人いるが、そのうちの一人と偶然にも会うことができた。
今とは全く違う、物流倉庫という場所で、全くのゼロからフォークリフトと4トントラックの運転をマスターすることができたのは間違いなく氏のおかげであって、その職場で4年半という長きに渡って生き延びられたのも氏の存在なしでは考えられない。
やはり縁のある人とは会うようになっているものとの思いを強くしたし、当時のことを思い出してあらためて感謝の気持ちが沸いてきたのも偽りのないところである。

今の職場の話に戻ると、いわゆる「上を見て仕事をしている人」が残念ながらいることが分かった。
同じ立場の人間の言うことは全く聞かないが、経営の覚えだけは失わないように振る舞っているのが見えて正直ドン引きというのが本当のところである。
シフト勤務だから時間が来たら帰ればいいところ、仕事を勝手に一人で抱え込んで長い時には一時間半も勝手に残業する姿を見ていると、よほど他人の評価がほしいのだとしか思えない。
他人の評価がなければ精神的に危ういということであるなら、それは自分に自信がないということだろう。
同じ現場にいる人間としては、あえてうるさいことは言わないで、動いてくれる分にはラッキーと思って好きなようにさせておけばいいと思う。
受け入れられたくて無理をすることが単に利用されるという結果を招くだけだということを知らない人間は、勝手に動かさせておけばよいのである。

なぜかアカウント凍結を食らって使うことができなくなったTwitterの中にも、いわゆる承認欲求を満たすことが主たる目的に思える発信を多く目にして幻滅することが多かった。
表向きには世直しを標榜していても、発信内容やソースとされる画像に明らかなフェイクが混ざっていたり、発言そのものがウソだったりと、同じように真剣に世直しを願って発信している人々のイメージまで落としかねないような振る舞いがあるアカウントは触れていくうちに分かってきて、ミュートなりブロックなりをせざるを得ない状況にはなった。
貴重な発信手段であり、多くのつながりも生んでくれたプラットフォームが使えない状況は寂しい面もあるが、フェイク合戦や工作員の跋扈に疲れていたことも事実で、自分のペースで本欄を中心とした発信に回帰することができたのはむしろよかったのかもしれない。
光を他に求めるのではなく自分自身の中に光を見いだせれば、どんな世の中になろうとも大丈夫だということを逆に教えてもらったと思って、引き続き自分のペースで発信していければいいのだと思う。

私は次男坊なので、仕事が軌道に乗ればできるだけ早く実家を離れたいと思ってきたが、このたび審査も通り、あと10日もすれば引っ越しをして新しい環境での生活を始められる。
実家は決して悪い環境ではないが、たまに酒を飲んでグチっても逆に正論でやり込められてしまうので、引っ越し後は、これまで一人で暮らしていた時と同じように付かず離れずでやっていこうと思う。
たとえ子供が全員外国にいても寂しくない親御さんがいるかと思えば、ウチのように、長男とは同居、私を含むあとの二人も同じ市内にこれからもいるというのに、いつも寂しさを感じているように見える親もいる。
自分の親なのであまり言いたくはないが、夫婦仲が決して良くないこともあって、子が精神的にとっくに親離れしているのに、親の方が子離れできていない。
今回は、合鍵を作れと言ってきてもキッパリ断ろうと思う。
家族といえども、世帯が違えばそれなりの礼儀は必要である。
春先に帰ってきて以来、長い時間世話になってきたことには重々感謝はしているが、だからといって支配される筋合いもない。

字数が多くなりすぎたので、まだまだ書きたいことはあるが、次回以降に回すことにする。

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