赤穂浪士 討ち入り(12月14日) ・・・赤穂浪士義士を供養する為に、泉岳寺へ・・・
赤穂義士は「忠臣蔵」として、ドラマや舞台として演じられ、赤穂義士は忠義を尽くし、
潔く散った江戸時代の義士として多くの人の共感を呼んでいる。
泉源寺では毎年12月14日に義士祭を開催・・・
“赤穂義士”元禄15年(1702)赤穂四十七義士が吉良上野介の屋敷に討ち入りをし、主君の仇であった
吉良上野介を討ち取り・・・主君の墓前に報告した史実にちなんだ祭事です。
泉岳寺の山門 出店も出て賑わっています。
参道のお店 赤穂浪士のお土産も・・・
泉源寺中門 義士祭
泉岳寺本堂へお参りして
赤穂浪士のお墓参りの参道へ(史跡 赤穂浪士義士墓所)
平日で朝早い時間でしたので・・・人は少ないです。
参道には・・・
瑤池梅~義士の墓守をしていた堀部妙海法尼が瑤泉院から賜った鉢植えの梅を移植したものです。
血染の石、血染の梅 浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅と石です。
首洗い井戸 吉良上野介義央の首をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告した所から「首洗い井戸」と呼ばれています。
赤穂浪士討入りのため大量の武器を調達したと言われ、芝居や講談で「天野屋利兵衛は男でござる」
史跡 赤穂浪士義士墓所へ
入口で 100円でお線香が・・・
浅野内匠頭奥方のお墓
浅野内匠頭のお墓
赤穂義士は元禄16年(1703年)2月4日に切腹した後、直ちにこの地に埋葬された。
ただし間新六の遺体は遺族の元へ、また寺坂吉右衛門は本懐成就後、
瑤泉院など関係者に討ち入りを報告して廻り、のちに江戸に戻って自首しましたが赦され、
麻布・曹渓寺で83歳の天寿を全うした。現在も曹渓寺に眠っているそうです。
泉岳寺にある間新六の供養簿は他の義士の墓と一緒に建立、
寺坂吉右衛門の墓は慶応4年(明治元年・1868年)6月に供養のために建てられた。
また、いわゆる47士の他に、本人は討ち入りを熱望したものの周囲の反対に遭い
討ち入り前に切腹した萱野三平の供養墓があります(明和4年(1767年)9月建立)
したがって泉岳寺の墓碑は48あります。
泉岳寺の供養祭
大石内蔵助のお墓
大石主税良金のお墓
47士のお墓
赤穂浪士パレード「財界二世学院主催義士行列」3時半過ぎに泉岳寺に・・・
本堂の前に・・・
本堂前で・・・
赤穂浪士墓所へ
赤穂浪士墓所 参拝