愛宕神社では二年に一度 行われるお祭りでは、町内を巡行した後、有名な「出世の石段」を宮神輿を担い急勾配(86段40度)でを登るもので、見ている者まで手に汗握る勇壮な祭りで、登りきった後、観客から大きな拍手が沸き起りました。
愛宕神社の出世の石段
出世の石段とは、愛宕神社正面の石段(男坂) は別命「出世の石段」と呼ばれ、その由来は講談で有名な「寛永三馬術」の一人 曲垣平八郎の故事にちなみます。
時は寛永11年、江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣のお帰りに、ここ愛宕神社の下を通りました。折しも春、愛宕山には源平の梅が満開。家光公は、その梅を目にされ、 「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命じられました。しかしこの愛宕山の石段はとても急勾配。歩いてのぼり降りをするのすら、ちょっと勇気が必要なのに、馬でこの石段を登って梅を取ってくる事など、とてもできそうにありません。下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落としそう。家臣たちは、みな一様に下を向いております。家光公は、みるみる機嫌が悪くなり、もう少したてば、怒りバクハツ!というそのときに、この石段をパカッ、パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおりました。家光公。その者の顔に見覚えがありません。「あの者は誰だ」近習の臣に知る者はありません。「おそれながら」「おう」「あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上いたしました。平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一夜にして全国にとどろいたと伝えられております。
上から見た出世の石段
御本社神輿(宮神輿)は愛宕神社 の出世の石段ではなく今年は車道を通ってお旅所へ渡り、町内会を一周した後、宮入りは出世石段を登ります
町内会での本社神輿
お旅所・・・
お旅所で灯り付けて・・・
出世の石段に灯り
出世の石段
出世の石段を登ります
本社神輿 大変珍しい六角形の神輿です
いよいよ出世の石段を登っていきます。
出世の石段 中間地点へ
出世の石段を登りきります。
観客から大きな拍手が沸き起りました。
最後まで見て頂き有難う御座います。