私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

悟りの道と仕事

2014年02月24日 16時09分39秒 | エッセイ
◇悟りの道と仕事◇

仕事や日常生活と悟りの関係について、明確になってきたことがありますので、書かせていただきます。

紆余曲折はあるでしょうが、悟りを深めていくに連れて執着が薄まっていきます。
これは間違いありません。

仕事や日常生活を維持する、あるいは維持したいという衝動も執着ですから、悟りが深まるに連れ、仕事や日常生活に対する執着が薄れ、それらがどうでもよくなってしまい、維持できなくなるということはよく起こることなのだと思います。
私自身のこれまでの経過からしても、まさにそうなのだと納得しています。

ですから、悟りの道を歩んでおられる方が仕事ができなくなってきた、又は仕事に興味を感じなくなってきたというのは、とても自然な成り行きなのです。
どうかあまり自分を責めることなく、また悲観されることなく、この自然な成り行きを受け入れていただきたいと思います。

私自身の場合も、二人の子供はまだ小さいし、お金もかかるし、本当に大丈夫なんだろうかなどと、薄くなっている残り自我が時折心配することもあるのですが、どうにもならない以上、覚悟を決めて受け入れることにしています。

しかし、例外的なケースもあるようです。
それは残りカルマ(執着)との関係です。
多くの方の場合、肉体が滅ぶまでの間に経験すべき最低限の残りカルマ(執着)については、変更が効かないようなのです。
ですから、その残りカルマに仕事や日常生活が含まれている場合は、所定の区切りまで否応無しに仕事や日常生活を続けることになります。
例えば、ブンジャンさんの例がその典型です。
ブンジャンさんは真我に完全覚醒された後、残りカルマに導かれるようにして、鉱山会社の社長職に就かれ、退職まで家族を養われました。
おそらく、プンジャンさんご自身には選択の余地はなかったのだろうと思います。

つまり、真我に完全覚醒するような悟りを得た場合、その人の残りの人生は残りカルマ次第なんだという話でした。

ちなみに私の場合は、いまのところ、残りカルマに仕事は入っていないようです。
いまは家族を続けること以外は、すべてどうでもよくなってしまっています。


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読んで頂いてありがとうございました。

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コメント (3)
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