◇存在の根底にあるもの(1)◇
今回の記事は、ここに書くべきかどうか少し迷いました。
でも、このブログの趣旨が「全部書いてしまえ」ですから、書くことにしました。
どうやら、私という存在の根底には、不足感のような漠然とした否定的な感覚(考え)があるようなのです。
根底にあるのは、喜びなどの肯定的な考えではなく、否定的な考えなのでした。
このことがハッキリと分かったのは今朝なのですが、分かったときは「やっぱりなあ」という感覚とともに、少し切ないような微妙な気持ちになりました。
私という存在、すなわち私の考えの連鎖は、その根底にある否定的な考えが起点となって繰り広げられているのでした。
思考とは、否定の連鎖そのものなのでした。
よって、私という存在は、その根底にある否定的な考えがすべて解消されたとき終わるのです。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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今回の記事は、ここに書くべきかどうか少し迷いました。
でも、このブログの趣旨が「全部書いてしまえ」ですから、書くことにしました。
どうやら、私という存在の根底には、不足感のような漠然とした否定的な感覚(考え)があるようなのです。
根底にあるのは、喜びなどの肯定的な考えではなく、否定的な考えなのでした。
このことがハッキリと分かったのは今朝なのですが、分かったときは「やっぱりなあ」という感覚とともに、少し切ないような微妙な気持ちになりました。
私という存在、すなわち私の考えの連鎖は、その根底にある否定的な考えが起点となって繰り広げられているのでした。
思考とは、否定の連鎖そのものなのでした。
よって、私という存在は、その根底にある否定的な考えがすべて解消されたとき終わるのです。
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