私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

最後は私に戻る

2022年04月17日 20時31分55秒 | 悟り
◇最後は私に戻る◇

どんなに深く悟ろうと、最後は日常の私に戻っていきます。
私についてどんな観点から悟ろうと、日常の私は大した変化のないままあり続けます。
私というものに付き合っていくしかないのです。

大人しくなることはあっても、思考や感情はやっぱりあるし、何かを考えようとしたり、しようとする発意も相変わらず残っています。
心の動きにまとわりつくように生じるわずらわしさというか、苦の感覚もやっぱり残ります。
私とは何なのか、なぜ私があるのかも、やっぱり分からないままです。
日常の素直な観点から私を観たとき、これが私に関する素直な感覚というか、実感です。

この私に関する日常的な実感は、悟る過程、あるいは悟りの行程を歩む過程では邪魔になることがありますが(注:悟りの行程の歩み方によっては邪魔にはならず、むしろ中心的な道しるべになります)、最後は否応なく、またここに戻ってくるという意味でも、より本質的な私観と言えるかも知れません。

各方面の覚者の皆さんは、いつまでも自分の悟りにしがみ付いていないで、改めてこの現実に向き合うべきではないかと思います。

何が言いたかったのか、自分でもいまひとつまとまらず不満なのですが、このままアップしてしまいますw


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。
※現在は講話会や対面セッションはやっておりません。
スカイプを使った無料の30分程度(最大1時間)のセッションのみ行っています。
ご希望の方は、suiku2013☆yahoo.co.jp(☆を@に替えて下さい)へご連絡ください。

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (まな)
2022-04-18 20:49:27
彗空さんこんにちは
悟りが深いわけではない自分ですが
おっしゃるとおりだと思います

執着は格段に減っても日常は残りますね
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まなさんへ (慧空)
2022-04-19 07:34:37
コメントありがとうございます。
そうですね、執着は減っても日常は残りますね。
でも不思議なことに、その日常と腹をくくってまた付き合っていくと、そこに自分のやりたいことが見つかるというか、出てくるんですよ。
この辺りは、誰でも同じなんだろうと思っています。
それなりの日常の変化も伴うかもしれませんけどね。
返信する
Unknown (まな)
2022-04-21 14:41:27
ありがとうございます
執着が減った分だけ、日常も変わって見えて行きますよね
そこから開かれるあなたの道と言うのも違ってくると言う事ですね
返信する
Unknown ()
2022-04-24 20:02:02
変な話から始めさせてください。慧空さんに初めてお会いした頃から慧空さんは「私は世界の王である」と言うくらいの何か強い意志(***)をお持ちなのではないかと感じてきました。精神世界を最後と思える段階まで突き詰められた方ですからそう思われていても当然だろうと考えたりしていました。今回の質問は慧空さんは本当はそう思われている(思われていた)のでしょうか?ということです。なぜなら、今この上の文章を読んでもこの文章を書いた慧空さんは(***)とは思われているように思えません。

同じようなことですが、以前、、慧空さんからいただいたメールの文章を読んだ時に、きっとスカイプではなしたあのことを言われているだろう、と強く感じた文章がありました。最近読み直してみたらそうは読めませんでした。不思議です。

全部、自分の思考が跳ね返っているだけのような気がします。だとすると「私は世界の王である」と思っているのは私、ということなのか?そうだとするとちょっと気をつけないといけないです。
返信する
あさんへ (慧空)
2022-04-24 20:50:59
この私のブログは、いろんな話題がいろんな観点からバラバラに書いてしまっていて、混乱されるのも仕方ないと思います。
スカイプ等で私の話す内容も、自覚についてお伝えする場合と、それ以外の場合では、観点が全く違ったりします。

(***)は、自覚についてお伝えするときの観点からのものです。
自覚をお伝えするときは、考えに翻弄されないように、私が考えの主であるという観点から自覚をしていただいた方が上手くいきやすいので、そのようなお伝えの仕方をしています。
全てケースバイケースですが。

種明かしをしてしまいますと、
自覚をお伝えするときは、「私とは考えの主であり、王である」というぐらいのスタンスでお伝えしたりしてますが、
私が考えの王になることはありません。
部分的に考えの王になっているかのようなときもあるかもしれませんが、トータルで見ると、殆どどうにもならならず、やられっぱなしというのが本当のところです。
ですから、今の私(慧空)も、考えの主なんて思っていません。
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Unknown ()
2022-05-07 20:46:21
よく分かりました。いつもありがとうございます。
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