◇悔いの無い人生◇
私が二十歳ころから考えていたことのひとつに、一番いい人生とはどんな人生なのかというのがありました。
そのとき、ひとつの結論として得た答えが、悔いの無い人生というものでした。
もうひとつ考えたものとして、納得できる人生というのも考えたのですが、納得するのは少し難しく感じたので、自分は悔いが無ければそれでいいんだと思ったのでした。
また、ちょっとこじつけではありますが、悔いが無ければ納得したも同然ではないかとも思ったりもしました(笑)。
それ以来、私は紆余曲折はありましたが、悔いが残らないようにということを一番に心がけて生きてきました。
この悔いの無い人生、納得できる人生というのは、悟り云々を抜きにして、人生の本質を突いていると思っています。
だって、他の人が何と言おうと、本人が悔いが無い、これでといいと納得しているのですから、これ以上のものは無い訳なのです。
腹の底からこれでよかったと思いながら死んでいくのですから、これを最高と言わずにどうするのかという訳です(笑)。
しかし現実には、それが難しいようです。
果たしてどれくらいの方が、悔いなく死を迎えているのでしょうか。
やりたいこと、あるいはやるべきと感じることがある人は、素直にそれに取り組んで頂きたいと思います。
多くの場合、結果は問題になりません。
やりたいというその対象にしっかりと取り組むその姿勢と過程が大切なんだと思います。
しっかりと取り組めば、結果の如何にかかわらず、納得が生じ、悔いも残らないのです。
逃げずに、しっかりと取り組んで頂きたいと思います。
そうすると、悟りは自ずと向こうからやってきます。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
スピリチュアル ブログランキングへ
私が二十歳ころから考えていたことのひとつに、一番いい人生とはどんな人生なのかというのがありました。
そのとき、ひとつの結論として得た答えが、悔いの無い人生というものでした。
もうひとつ考えたものとして、納得できる人生というのも考えたのですが、納得するのは少し難しく感じたので、自分は悔いが無ければそれでいいんだと思ったのでした。
また、ちょっとこじつけではありますが、悔いが無ければ納得したも同然ではないかとも思ったりもしました(笑)。
それ以来、私は紆余曲折はありましたが、悔いが残らないようにということを一番に心がけて生きてきました。
この悔いの無い人生、納得できる人生というのは、悟り云々を抜きにして、人生の本質を突いていると思っています。
だって、他の人が何と言おうと、本人が悔いが無い、これでといいと納得しているのですから、これ以上のものは無い訳なのです。
腹の底からこれでよかったと思いながら死んでいくのですから、これを最高と言わずにどうするのかという訳です(笑)。
しかし現実には、それが難しいようです。
果たしてどれくらいの方が、悔いなく死を迎えているのでしょうか。
やりたいこと、あるいはやるべきと感じることがある人は、素直にそれに取り組んで頂きたいと思います。
多くの場合、結果は問題になりません。
やりたいというその対象にしっかりと取り組むその姿勢と過程が大切なんだと思います。
しっかりと取り組めば、結果の如何にかかわらず、納得が生じ、悔いも残らないのです。
逃げずに、しっかりと取り組んで頂きたいと思います。
そうすると、悟りは自ずと向こうからやってきます。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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彗空さんは、言葉にするのが難しいことを、
わかりやすく書いてくださっていてすごいなと思っています。
ありがとうございます。
「全ては幻想で、自分の内にある」という意識を
持っているときと、
自覚なく、目の前の幻想に入り込んでしまっている時があります。
仕事や家庭など日常生活で自覚を保つ秘訣など、
(私が読めていないだけですでに書いておられるかもしれませんが、、、、)
もしよろしければ、教えていただけるとうれしいです。
これからも、ブログを楽しみにしています。
よろしくおねがいします。
>自覚なく、目の前の幻想に入り込んでしまっている時があります。
>仕事や家庭など日常生活で自覚を保つ秘訣など、
おそらく、目の前の幻想に入り込んでしまうとは、出来事(現象)や感情、思考等の巻き込まれてしまう、翻弄されてしまうということでしょうか。
取りあえず、この点についてお答えしますね(もしポイントが違っていたら遠慮なく仰ってくださいね)。
出来事、感情、思考等に巻き込まれて翻弄されてしまうのは、率直に言ってしまうと、自覚が弱いからなのです。
あるいは、起こってくる感情や思考の量いのかもしれません。
あるいは、自覚に対する切実さや決意が弱いのかも知れません。
基本的な原因は、このあたりにあります。
まずは、これらの点についてご自分に当てはまるところがないかを確認して頂きたいと思います。
では、よりしっかりとした自覚を行うにはどうしたらいいのかについて書きますね。
まずはやはり、自覚に対する決意が大事だと思います。
もう自分は、出来事や感情、思考に巻き込まれないぞ、翻弄されないぞ、という強い決意を改めて持っていただきたいと思います。
もう一つは、目が覚めている間、隙間無くずっと自覚を保つためのちょっとした要領があるんです。
まず第一のコツとして、「私」に意識を常に集中しているようにするんです。
もし「私」に意識を集中することがどういうことかよくお分かりにならない場合は、身体の中心を縦に通る中心軸をイメージするんです(あるいは、その中心軸に意識を向けるようにするんです)。
中心軸をイメージするだけで、「私」に意識が向いた状態になります。
第二のコツとして、起こってきた出来事や、感情や思考と、自分(あるいは自分という大いなる存在)とは、別個独立のものであって、自分が出来事や感情、思考から影響を受けることはないんだということを、少々無理してでも結構ですから、心の中でつぶやきながら(そう自覚しながら)、出来事や感情、思考等を距離感(独立感)を持って冷静に観る(自覚する)ようにするんです。
つまり、出来事や感情、思考等が起こってきたときに、それらは自分がつくった考えであり、自分はそれとは独立の存在であり、影響をうけることはないと自覚しながら、その出来事や感情、思考等のことを自覚するんです。
この第二のコツは、上の第一のコツと実は同じことを別の側面から言っているだけなのです。
「私」にしっかりと意識を向けていれば、私の意識が中心軸上にしっかりと保たれるため、自分の意識と起こってきた現象、感情、思考等との間に自ずと距離感(独立感)が生じ(例えば、ものごとが遠く感じるという感覚になります)、現象や思考等に巻き込まれることが無くなるのです。
関連するブログ記事としては、例えば下記のものがあります。
「改めて自覚ワーク(1)」
他に何か気になられることがあれば、遠慮なく仰ってくださいね。
http://blog.goo.ne.jp/suiku2013/e/2a3346f8c239d5acfd7eb2e0218703bf
さっそくお返事いただけてうれしいです。
ありがとうございます。
巻き込まれて翻弄されるということはほとんどありません。
落ち着いてひとりでいるときには静寂があるのですが、
人と話をするときなどにも常に感じていたいと思っています。
自覚に対する決意は弱かったかもしれません。
自覚に対する切実さを持つ決意をします。
これからも、よろしくおねがいします。
>落ち着いてひとりでいるときには静寂があるのですが、
そうなんですね、失礼しました。
kayoさんは、もう十分な強さで自覚ができていると思います。
>人と話をするときなどにも常に感じていたいと思っています。
人と話をするときや、本を読む等の対象に対する一定ベル以上の集中が必要なことがらについては、強い自覚の状態を維持するのは難しいのです。
強い自覚の状態や、kayoさんが静寂と言ってられる状態は、思考が抑制され、ものごとをただ観る観照意識が優位になっている状態なのですが、この意識状態は自然にそうなる分には問題が無いのですが、余りそれを意図して囚われるようになると、その意識状態自体が囚われになることがあるのです。
ですから、その意識状態にあまり囚われないようにして頂きたいのです。
自覚等をやっていて、その意識状態になっているときも、この意識状態は自分がつくっているんだということを自覚しながら、やって頂きたいのです。
最終的な悟りである解脱の悟りに至られると、例え嫌でも、常にその意識状態になります。
焦らず、囚われず、歩んで頂きたいと思います。