北のパラダイス

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好きな言葉その1

2013年04月02日 | 日記
私の好きな言葉の一つに「足るを知る」というのがあります。

老子の「道徳経」第三十三章からの出典で、その意味は「欲に惑わず、自分というものを尽す人であれば富んでいるのだ」ということであり、 「真の富とは財貨や名利ではなく、その人間のあり方による」ということになります。

言うは易しですが、なかなかこの境地に辿り着くのは難しいです。
凡人ですから、金も名誉も地位も権力もできることなら欲しいですね。
でも、生きているうちに「足るを知る」という心境になりたいと常々思ってます。

実は亡くなった義父や義兄が「足るを知る」タイプでした。
なので家内もそれを受け継いでいます。
当然、私とは性格が合いません。
私はどちらかというと見栄っ張りで派手な生き方を好むほうなので、ひっそりと目立たないように生きてきた家内とは水と油のような関係です。

でも、私は義父や義兄を尊敬していましたし、自分もあのようになりたいと思って生きてきたので、家内とも何とかやって来れたんだなと、今はそう思えるようになりました。

義父と義兄は親戚や職場の人達からとても人望があり信頼されていました。
義父は60代前半、義兄は50代後半で亡くなり、残念ながら長生きはできませんでしたが、お葬式の時には沢山の人がお参りに来てくれました。
特に義兄は、建設業者として役所の仕事をしていたことから、市役所の職員が沢山お参りに来て、口々に大変お世話になりましたと深々と頭を下げ手を合わせていたのを覚えています。
普通、建設業者の従業員が亡くなった時に市役所の職員が大勢お参りに来るというのはあまり考えられません。

2人とも、どんな時にもおもねることなく自分の信念に従い考えを述べ、そして真面目によく働く人でした。
仕事の出来栄えは素晴らしく、人望の厚い人達でしたが、決して多くは望みませんでした。
いつも今のままで十分と思っていたようで、まさしく「足るを知る」日々を送っていました。
残念ながら長生きできませんでしたが、その分、いつまでも家族の心の中に生き続けています。

私は「憎まれっ子世にはばかる」を地で行ってますし、この世に未練があるので、残念ながらまだ「足るを知る」境地に達することはできません。
でも、少しでも「足るを知る」境地に近づくことができれば、自分も、周りも、本当の意味での幸せな人生を送ることができるような気がします。