先日の19日の朝に夜勤から帰宅して、それが最後の仕事になった。
年末で定年退職日を迎える。 まだ、年内は会社に所属しているけど、来年の1月からはいよいよ無職となる。
年末までは有給消化で休み。 昨日は午前中は洗濯したり、部屋を片付けたり、午後からは息子がベッド、洗濯機を取りに来たので、手伝いなど、ついでにスタッドレスタイヤに交換したりと忙しい午後だった。
スタッドレスタイヤの交換でリアは油圧ジャッキで何とか上がったのであるが、フロントのタイヤはジャッキの能力を超えていて、結局タイヤを上げる事が出来なかった。 私のデミオクラスの車なら問題なく簡単に上がるが、デミオのような大きな車の重量のフロント側はさすがにエンジンなどの重量があるので、持っている油圧ジャッキは小型の物なので、無理があるのだろう。
スタッドレスタイヤに交換していたのは3年程前までで、それ以降は全く冬用のタイヤに交換する予定もないし、必要とも思わないので、購入することもないし、換えることもない。
この東海地方の沿岸側の地域は年に1度の積雪があるかどうか程度で、積雪と言っても、5センチ程度が最大で、積雪も午前中で全て溶けるような程度だ。
遠方へ行かないといけないようなこともなく、結局はスタッドレスタイヤは無用な物になった。
この愛知県は山間部は別として、平地や沿岸側の地域では雪を見る事がほとんど無いし、最近は地震や台風などもこの地方はほとんど影響がなく、ある意味では過ごしやすい地域なんだと改めて思うのである。
ただし、地震は南海トラフなどの大型の地震の可能性が高いとされてきたが、最近になって、その発生確率の根拠になっている資料の信憑性が疑われるような資料なども見つかっている様子だ。
地震に関しては今も東北では頻繁に発生している状態で、東日本大震災以降も震度5程度の地震も発生しているし、その頻度はかなり多い。
その他にも北海道や九州地方などでも地震の被害が多発している印象がある。
台風なども最近は毎回のように大きな災害が報告されていて、豪雨や土砂災害などは深刻な問題である。
今年の日本海側の積雪も異常な降雪量を記録していて、生活に大きな悪影響を与えている状態だ。
これも台風などのように地球温暖化の影響である事も言われているし、実際に昔の日本の気象を知っている私のような高齢者から見ると、間違いなく異常な気候であることは間違いない。
夏の気温の異常な高温、冬のドカ雪など、春や秋の季節がすごく短くなった感じだし、雨の降り方もかつて無い程の豪雨や風雨となっている。
これからの若い人達の今後の人生に対してとても不安を感じるし、こうした世界を築いて来た我々の世代の責任を感じる。
今はロシアのウクライナ侵攻の影響も大きく、世界経済はとても安定している状態ではない。 この先もどんな影響があるか心配になる。
ロシア、中国、イラン、北朝鮮などの社会国家の独裁政治が招く暴挙や抑圧的な政治姿勢はこの先どのような悪影響を齎すのであるだろうか。
もちろん、資本国家の政治や自由を尊重する体制が全て良いとも言えないだろうが、少なくとも、民主国家は独裁的な政治や体制は出来る可能性がほとんどない。国民の意思が常に働くし、国民の自由は保障されていて、プライベートな個人情報や個人の資産や社会活動なども保証されている。
人間は本質的に自由を欲望する生き物であり、何かに抑制されている状態を容認することには我慢できることはない本能がある。
最近は社会国家や独裁政治国家などでも自由意思を求める市民が増えているのも事実である。
中国などもゼロコロナ政策への反発から若い人達が習近平体制への批判的なデモ活動などもあり、これまで抑圧されて来た人達が自由への意思を表現する動きも出てきたのである。
さらには、イランでスカーフのかぶり方をめぐり逮捕された女性が死亡し、政権に抗議するデモが続く中、イラン人の人気俳優が暴動を扇動したとして逮捕され、釈放を求める声が広がっていて、これも本来、人は自由意思を尊重する本能を持っている事を確信することである。
ロシアのウクライナ侵攻時でもロシアの国民の中には反対意見も多々あり、多くの著名人や芸術家、作家、音楽家、その他の研究者や自由を尊重する人達はロシアから他国に逃れる行動もある。
北朝鮮からは脱北する人も跡を絶たないし、社会国家や独裁政治国家から逃れる人は多くいるのである。
世界が本当の平和を築くのは果たして出来るだろうか? この地球が存続することは出来るだろうか?
愚かな人間によって平和は幻と化し、人間だけではなく、地球上の全ての生き物が正常に生きる事が難しくなってきている事は間違いない。
果たしてこの先の地球はどのような様相になっているのであるか?
未来を不安視する人は少なくないだろう。
まっ、しかし、私がこうして憂いていても意味もなく、世界を変えることなど到底出来る物でもなく、これからの若い人達がどのような世界を築き、どのように生きるのかは、彼らに委ねられているのである。
地球環境もこれまでの人間が破壊してきたものをどのように変える事が出来るのか? 世界の人々が誰一人取り残されることなく、平和な人生を送る事が出来るのか、今の幼い子供達に期待する以外には無いのである。