午前中に漫画本を売却するために出かけた。 125冊で2560円。 と言う事は、1冊20円か。 まっ、そんな物? 私は漫画本などは買った事が無いので、1冊の平均価格も知らないので、言われるままに売却したし、仮に0円でもそのまま処分して貰うつもりだったので、2560円は思って居る以上に良い価格だったとも思える。 本は息子の本である。 部屋を片付ける為に要らない物を処分する事になった物だ。 段ボールに一杯にして玄関に放置。 邪魔なので、処分場に持っていく事も考えたが、それだと逆にお金が掛かる。 ならば、少額であろうと引き取って値が付けば良い。
古本を買い取る店は意外とあって、いろいろと探した中でも少しはましな店に出向いた。 まっ、この価格は私としては納得出来るのであるが。
昼までに帰宅する予定なので、開店同時に持ち込んで、査定時間は30分程度。 それから買い物に出かけて、帰宅したのは丁度昼少し前。 今日の予定はこれで終了。 午前中に洗濯物を2回、干し終わってから車を拭上げ、すぐに出発。 午前中は結構な忙しさである。 午後は妻が仕事から帰宅して、カツ丼を私が作って2人で食べた。 私はビールを飲み、その後にウイスキーを少し飲む予定で、グラスに氷を入れて、ウイスキーを注いだ時に息子達が来た。
孫娘2人は早々におもちゃで遊び、それに付き合いながらグラスのウイスキーだけは飲み干した。 食事を済ませて、これから妻の母親のお見舞いに出かける事になっている。 私は同行しない。 すでに病院でも延命治療をする事も無く、施設に帰ってきて、後は老衰で亡くなるまでの時間を待つだけとなった。 そうした姿をあえて見たいとも思わないし、出来るなら、最後に会った時の姿のままの記憶に納めて居たいと思っている。
すでに高齢で、平均寿命を超えて居る事もあるし、数年前から話も出来ない状態だし、妻やその他の人の区別すら出来ない状態で施設に預かって頂いていた。 それでも、妻や妻の姉とは定期的に必要な物や、面会にも出向いていたし、それなりにいろんな要件を熟しても居る。
私も人生の残りが多くあるわけでも無いし、何時、難病にかかって死ぬかもしれないし、人の寿命を計る事は出来ない。 身内では、姉の夫が数年前には癌で他界している。 まだ60代だった。 特に無理な仕事をしたいた訳でもなく、不摂生をした居たわけでも無い。 一緒に定年後にバイクで走っていた時期もあるし、とても良くして頂いた記憶があるばかりだ。 それでも、そうした突然と言うか、まだまだ亡くなるような年齢でも亡い人が他界する事は珍しい事ではないのである。
私の父親は60歳前に亡くなった。 私が中学生の時だった。 原因は酒の飲み過ぎ。 高血圧で、生活もいい加減だったこともある。 母親は86歳で亡くなった。 こうして考えると、やはりある程度の年齢になったら、何時もでも死を想定した生き方と言う物をする事になる。
もちろん、私もまだ死ぬつもりはないが、それでもどんな事情で死ぬときが訪れるのかは想像出来ない。 今はギターを弾いて、筋トレをして、家事をして、バイトをして、時には旅行に行って、孫娘と遊んで、今は自由な時間を楽しむ事も出来ている。
そうした生活をどの程度続ける事が出来るだろうか? もう、ある意味ではやり残した事はそれほど無い。 やりたい事はもちろん、キリがない。 しかし、今の生活がほぼ満足出来る状態なので、このままそれを何時まで続ける事が出来るのかだけである。 身体が思うように動かなくなったら、その時があの世に行く時期だろう。
それまでは、こうして、精一杯生きて行くだけである。
今を大切に・・と言うか、今生きて居る事を感謝して、明日が同じように過ぎる事を願うだけである。