summer diary

日記らしきページ

亡くなる

2024年03月15日 | Weblog
 妻の母親が息を引き取った。 丁度昼ご飯を食べる時間だった。 インスタントラーメンにお湯を注いでいた時である。 妻はその前に施設からの連絡で、施設に向かったので、死に顔には会えただろう。 すでに、亡くなる事は承知したいたので、特に驚く事も無いし、今週中にはそうなることは解っていたのである。 それ以前から、私も数年間も逢って居ないし、逢っても私とは認識出来る事もない程に認知症は進んで居たので、妻もあえて面会などに同席する必要は無いと言う事であった。 数年前に施設を移る事になり、その時にはまだ車椅子に乗っていたが、それでも元気な姿をしていた。 その時は多少の荷物などを運んだりして、何度か逢っていたが、その後は全く今日まで逢うことは無かった。
先日に病院へ急遽入院となり、すでに、処置の施しような無く、1週間で退院して、再び施設に戻った。 それから5日目で息を引き取る事になったのである。 妻は葬儀の段取りはすでに事前に決めていたし、私の檀家と同じ寺なので、和尚も同じ人に依頼した。 今夜は早々に通夜である。 明日が葬式である。 式場の空きの関係もあり、慌ただしく決める事になった。 
息子達も今日の通夜は出席出来るかどうかは解らない。 明日の葬儀には出席する事は分かって居るが、まっ、家族葬で身内だけの葬儀であり、葬儀先の担当者の人からの助言では、特に喪服などの正式な礼服なども必要は無いだろうと言う事だ。 明日の葬儀には礼服を着ていくが、今日は黒色の上下なら何でも良いだろうと言う事である。 
そんな訳で、今日は午後からものんびりとギターを弾いて・・なんてことは取り止めにして、夕方までは家の片付けや、のんびりと過ごす事に決めた。 明日はバイトだが、葬儀は日中に終わるので、バイトは特に予定を変更する必要は無いだろう。 その後の整理は妻や妻の姉で始末するだろう。 こうして、私の両親も、妻の両親も他界する事になった。 逆に私達がお世話になる番でもある。 まだ先の事とは言え、息子達にはどのような手続きや、やらないと行けない事があるのかを知って置いて貰いたい。 
今時の人はそうした葬儀だの、墓の始末だの、おそらくまったく知らないで育った気もする。 私は幼い頃に父親が他界したし、親戚などのそうした後始末と言うか、死後の手続きと言うか、そうした事を経験しているので、何をどのようにするのかは理解している。 
さて、では少し昼寝でもして、通夜が始まるまでは静かに時を過ごそう。 











髪の毛の・・・

2024年03月15日 | Weblog
 高齢になって散髪は2ヶ月に1度程度通って居る。 襟足を短くバリカンでカットして、後は8分程度にカットする程度だ。 それでも、襟足の上側は少し残すようなスタイルである。 登頂はすでに薄くなっているので、カットするまでも無い。 最近はさすがに自分の髪の毛が薄くなって居る事は承知である。 最近は育毛トニックなども使用しているが、そんな事で髪の毛が再生する訳でもない。  
頭頂が薄いので、そのサイド側が伸びると、どうしてもバランスが悪い。 上に髪の毛が無い状態で、横だけ伸びてくるので、余計に頭頂の薄さが強調されるように見える。 あくまでも見えるである。 自分でもそのバランスの悪さが気になる。 散髪に行けば良いのだけど、散髪に行く程の長さでもないので・・・。 今日は丁度、息子が持って居たバリカン(3分~9分まで調整出来る物だ)があったので、頭頂と襟足の間の伸びた髪の毛をカットしてみた。 確かに少しはすっきりとした気もするが、どうもその部分を短くし過ぎた? そして、左右の長さが違っていたりするので、やはり気になる。 
まっ、すぐに伸びてくるので気にする程でも無いだろう。 散髪は次回は9分程度に全体をカットして、襟足だけを2分で短くカットする。 まっ、簡単に言えば、スポーツ刈りと言う物だ。 スポーツ刈り・・・。 頭頂の髪の毛が薄いので、スポーツ刈りの様には行かないだろう。 まっ、いいや。 

さてと、今日も休みである。 天気も良いし、陽射しのたっぷり、風も無く、朝は冷えているが、日中は暖かいだろう。 妻も休みだし、家で終日過ごすには勿体ない。 かと言って、特に用事も無いし、買い物があるわけでも無い。 出かけると行っても、行楽地に遊びに行く事も無いだろうし、イオンとか、ららぽーととか・・・。 まっ、ブラインドショッピング・・。 散歩の変わり程度に歩くのも良いだろう。 妻が行く気がないならそれでもいい。 家でギターを弾いて過ごす事にしよう。 課題曲、カルカッシ教則本の曲、ポピュラー曲(ソロギター)の練習も少しづつ弾ける様に成った。 最初はほとんど無理だと思うような曲でも、練習を続けていると、それなりに弾ける様に成るのである。 これはある程度難しい曲でも時間を費やして、丁寧に練習を重ねると徐々に弾けるようになる。 もちろん、プロのレベルの演奏は夢だろうが、人前で弾いても恥ずかしく無い程度には演奏出来る様に成る。 
クラシックギターの良い点は、どんな曲でも弾ける事だろう。 もちろん、アコギやエレキでも弾けるだろうが、ネックの幅からすると、やはり難がある。 音色もやはりどんな曲にも合うとも思えない。 クラシックギターはそう言う点でもギターの中でも万能なギターだと言っても良いだろう。 

私はクラシックギターは2本所有していて、この2本はほぼ毎日弾いて居る。 講座に持って行くギターはすでに3年以上使用している物で、もちろん、気に入って居る。 もう一本は昨年に購入して、今のローンを続けて居るギターだ。 これは今私が最も気に入って居るギターだし、この先新しく購入する事は無いので、クラシックギターとしては生涯のギターとなる。 
今後弾き込めば、まだまだ音色には奥行きが出るだろうし、手に馴染むだろう。 ギターは弾き込めば、より音色が深くなる。 サスティーンなどの伸びも冴えるだろう。 これはギターとか、バイオリンとか、チェロとか、木製の楽器は使い込む程に音色は良く成る。 木が年期によって堅くなる。 密度が増すと言うか・・・。 そして、弾き込む事で、振動を繰り返す事で、より一層響きを覚えるのである。 
覚える・・・。 これは楽器と言う性質だろう。 音を覚えるのである。 なので、毎日弾く事でギターは成熟するのである。 酒の熟成と似ている。 アルコールが長い時間を掛けて熟成されて、味が奥深く、まろやかにあるのである。 これと良く似ているような気がする。 長い時間を経て、音色はまろやかに、奥深く、魅力的な響きになるのである。 
特にギターの表板の松(スプルース)などは年期によって色も濃くなるし、音色も角が落ちてまろやかになるのである。 杉(シダー)は松に比べると最初から色も濃く、音色もまろやかである。 もちろん、年期によってさらにその奥行きある音色を増すのである。 ただし、音自体の明瞭感は松のギターが勝って居る。 はっきりとした音色が好みなら松だろう。 少しまろやかな音色が好みなら杉だろう。 手元で響き、音量を感じるのも杉の表板だろう。 しかし、遠投性は松のギターの方が優れていると言われて居る。 これは音の振動の違いだろう。 振動が細かい程に音は明瞭になるし、振動も短い波長である。 この短い波長が遠くまで音を運ぶ事が出来るのである。