楊逸(ヤンイー)さんの食べ物エッセイ「おいしい中国」を読む。
食べ物に対する思い出は人を問わず限りないものがあるらしく、楊さんも小さいころからの色々な食べ物と思い出を書き綴っている。
漢字の母国らしく初めて目にする文字もたくさん出てくる。
流石に芥川賞作家だけあってその文章の巧みさに引き込まれて一気に読み終えてしまった。
今の日本から見ると極めて粗食なのに随分と美味しい食べ物の様に感じるのは、それにまつわるエピソードに悲惨とか惨めとかとは無縁の語り口によるものだろう。
半世紀前にもなる私の子供の頃も大して違わなかったような気もするが、少しはましだったかも知れない。
きっとそれは統制経済と自由経済がもたらした格差だったような気がする。
特に下放と称して楊さん一家が農民体験のために田舎に行ってからの生活は想像すらできない。
再びハルビンに帰ることになった時に、飼っていた豚はともかくとして犬までが場につれていかれて皆の口にはいり、後日父上が愛犬の毛皮をとりに村まで行き、その毛皮が母君の敷布団になっているところなどは可笑しさもありながらもらい泣きもしてしまうエピソードだった。
これだけ多岐にわたり書けるのはやはり才能のなせる技なのだろうな…。
一読に値する書物だった。
紀伊国屋では「たかじんのそこまで言って委員会」コーナーがあって、かの番組の関係図書が並んでいるらしいのだが、楊さんも時折出演されているのでこの本も並んでいるのだろうか?
食べ物に対する思い出は人を問わず限りないものがあるらしく、楊さんも小さいころからの色々な食べ物と思い出を書き綴っている。
漢字の母国らしく初めて目にする文字もたくさん出てくる。
流石に芥川賞作家だけあってその文章の巧みさに引き込まれて一気に読み終えてしまった。
今の日本から見ると極めて粗食なのに随分と美味しい食べ物の様に感じるのは、それにまつわるエピソードに悲惨とか惨めとかとは無縁の語り口によるものだろう。
半世紀前にもなる私の子供の頃も大して違わなかったような気もするが、少しはましだったかも知れない。
きっとそれは統制経済と自由経済がもたらした格差だったような気がする。
特に下放と称して楊さん一家が農民体験のために田舎に行ってからの生活は想像すらできない。
再びハルビンに帰ることになった時に、飼っていた豚はともかくとして犬までが場につれていかれて皆の口にはいり、後日父上が愛犬の毛皮をとりに村まで行き、その毛皮が母君の敷布団になっているところなどは可笑しさもありながらもらい泣きもしてしまうエピソードだった。
これだけ多岐にわたり書けるのはやはり才能のなせる技なのだろうな…。
一読に値する書物だった。
紀伊国屋では「たかじんのそこまで言って委員会」コーナーがあって、かの番組の関係図書が並んでいるらしいのだが、楊さんも時折出演されているのでこの本も並んでいるのだろうか?
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